ネットの話題
激しい言葉に静かな抗議 産経コラムで考えた排他的空気の向き合い方
産経新聞のウェブサイトに、「日本を貶める日本人をあぶりだせ」という見出しでコラムが配信され、批判が広がりました。フランスで在外研究中の文化人類学者、亀井伸孝・愛知県立大教授は、ネットを中心に広がる「異論を認めない空気」を憂え、ツイッターなどで発信を続けています。「人間とはどういう存在か」を研究しつづけた立場から、排他的な言説とどう向き合っていけばいいのか、聞きました。
ルワンダ虐殺を扇動したラジオは、身近な隣人たちの中の裏切り者を見つけよと叫んでいた。異なる者に対して攻撃をそそのかす言説をまき散らす団体に、ジャーナリズムを名乗る資格はない。静かに抗議します
— KAMEI Nobutaka (@jinrui_nikki) 2017年10月19日
【産経抄】日本を貶める日本人をあぶりだせhttps://t.co/piBsCIaPVS
配信されたコラムを読んで思い出したのは、1994年にルワンダで起きた虐殺においてメディアが果たした役割です。当時、フツとツチという二つの民族の分断が強調され、迫害が扇動されました。
両者は同じ言語を話し、同じ村の隣人として暮らし、結婚する人たちも多かった。その人々の間にくさびを打ち込み、暴力を振るうよう仕向けたのは明らかに政治権力でした。
そして、ツチへの迫害を扇動する具体的手段のひとつとなったのがラジオ。フツの政権に近い人たちによって設立、運営され、エリートが使うフランス語ではなく、ルワンダ語で語りかけるメディアとして民衆に親しまれていたラジオ局だったのです。
身近なところにいる見えない敵を探しだそうという発想。異なる意見を持つ人を議論の余地なく排斥しようという姿勢。それを命令形で人々に指示し、動員をかけるスタイル。今回の新聞社のコラムは、ルワンダのラジオ局の手法に共通していると感じます。
今回の件は、コラムの本文ですら表現していないことを見出しにあげ、過度の単純化と激しい言葉で目立たせようとする、ある種の炎上商法。SNSでは、拡散されて話題になることが目的化され、その結果、一部の人々の人権が侵害されてもかまわないという風潮が散見されます。
人類学という観点で考えると、ホモ・サピエンスは極めて短期間のうちに世界に拡散した、遺伝的に均質な種です。
国家や国民、民族、人種といったものは極めて新しい発明に過ぎず、文化や言語、アイデンティティー、歴史は常に変化し、伸び縮みするもの。それらを絶対視して振り回したり押し付けたりすることには合理性がありません。
また、人間の立場はいつでも交換可能だというのが原則です。ある特定の人たちに対する排斥だから自分たちは関係ないと思っていたら、いつしか基準がずれてきて、自分自身も弾圧の対象になってしまったということがありえます。身近なところでいえば、学校でのいじめに参加し、黙認していたら、ほんの小さなきっかけで自分がいじめられる側におかれてしまうことがありえます。
排他的な風潮を認めて、それに加担していたら、いつなんどき、自分自身が同じように排斥されるかもしれない。そういう想像力を常日頃からもっておくと、理不尽な言説を見逃さない、それに異議を唱える勇気をもつ人たちが増えるかもしれません。
人間は弱い存在です。『蜘蛛の糸』のカンダタのように、他人を足蹴にしてでも自分だけは救われたい、と思ってしまうこともしばしばです。
しかし、その他人を蹴り落とす力は、結局は自分自身をも奈落の底に落とす力に容易になりえます。そういうことを相互にしなくても済むような余裕のある社会の設計を考えることが、重要だろうと思います。
私のような個人の研究者は非力な存在ですが、それでもリツイートや引用で大きな反響をいただくことがある。扇情的にならず、ひとりひとりが静かに抗議の意思を示すことは、言葉の暴力に抗する一つの手段だと信じています。
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