地元
担いだ神輿500基!全国から声が掛かる「お祭り男」宮田宣也の生き様
6年の間に全国で500基の神輿(みこし)を担いだ男がいます。人々を選別し、分断するかのようなスローガンが掲げられ、ネットで攻撃的な言葉が飛び交う時代に「祭りには人がつどい、集まった人同士で話をして縁がつながる」とその価値を訴えます。その存在は海外にも知られ、映画化の話も進んでいます。大学でバイオ燃料を学ぶ普通の学生だった彼は、なぜ現代の「お祭り男」になったのか? 話を聞きました。
その人とは、神輿職人の祖父を持つ宮田宣也さん(30)。神輿の担ぎ手が足りない祭りに助っ人として参上したり、神輿の修復、製作に携わったりしています。
宮田さんと私は大学時代の同級生。卒業後、SNSで報告される近況で、彼はどうやら神輿を担ぐ人になったらしいと知りました。
大学時代の専攻は「バイオ燃料」。友達は多い人でしたが、一人暮らしのアパートにある木にアンコウをつるしてさばき、みんなにアンコウ鍋を振る舞っていた変な人、という印象。
その彼が、なぜ神輿を職業に? 活動は海外にまで知られるようになり、ついに映画化(!)されそうだと聞き、今度は記者として彼の人生に興味を持ちました。
宮田さんは春から秋にかけて、全国で開かれる40~50の祭りに参加します。基本的に愛車の業務用の白いバンで駆け付けます。過去には宮城から香川まで22時間かけて、祭りを「はしご」したことも。
時には一人で、時には仲間を連れて、全国の祭りに向かいます。祭りを通じて知り合った関係者から担ぎ手として呼ばれることがほとんどで、自分から参加を申し出ているわけではありません。「祭りは『里のもの』」が宮田さんのモットー。だから、担ぎ手として祭りに参加する宮田さんは「俺らはオプション」という言います。
そんな宮田さんは、祭りには「感謝の対象」としての価値がある、と言います。
それってどういうこと?
宮田さんが、神輿や祭りに積極的に関わり始めたのは6年前。神輿職人のおじいさんの影響で幼いころから……というわけではありません。
2011年3月11日、筑波大学大学院にいた宮田さんは、茨城県つくば市で被災します。東北の被災地の惨状が情報として入ってくる中、「何かしないではいられない」。その思いだけで、自転車に乗せられるだけの支援物資と、当時から得意だった木工の道具を乗せて東北に向かいました。
1週間かけてたどり着いたのは宮城県南三陸町。そこで、一つの避難所を拠点に、いすや机を作ったり、生活に必要な棚をつくったりして、木工の腕を生かしながらのボランティアを続けました。
5月、ボランティア仲間から、宮城県石巻市にある旧雄勝町の商店街で、祭りをやりたいといっている人たちがいると聞きました。ただ、地元の人たちには仮設住宅の整備など、やらなくてはいけないことが多くあります。木工道具を持ってボランティアをしていたこともあり、宮田さんは神輿製作に取り組むことを決めました。
おじいさんから造り方を聞いたりしながら、少しずつ製作を進めますが、10月、おじいさんが病気で亡くなります。「もう無理かな」。技術面で頼れる人を亡くし、なにより精神的支柱がなくなってしまい、諦めかけたこともありましたが、11月の祭りでは宮田さんがつくった神輿が無事、あがりました。
神輿があがったとき、地元の方々が「震災前を思い出した」と言ってくれたことが忘れられないと言います。
「震災では自分たちが想像できないことがたくさんあった。大切な方が亡くなったり、自分の家が丸ごと流されてしまったり。そんな中、里の人から『祭りがしたい』と言葉が出てきた。それって、祭りにすごいエネルギーがあるってこと」
そこから、宮田さんの現在の生活が始まります。
宮田さんは、祭りを「神様を中心にご縁が集まる日」だと考えます。「神様」といっても、神道とか、なんとか宗とか、なんとか教とかに詳しい必要はありません。
「祭りには人が集まり、集まった人同士で話をしたりして、縁がつながる。縁がつながったとき、人は本能的に『感謝』をしたいと思うんだよね。そうなると感謝の対象がほしい。その感謝の対象として『神様』がいる。すごくストレートな考え方」
そもそも各地の祭りは神社に祭られている神様に感謝したり、神様の怒りを鎮めたりします。神様は神社や土地ごとに異なります。宮田さんはその神様がなんであるかはそんなに大きな問題ではなく、その存在こそが重要なのだといいます。つまり、感謝の対象としての存在です。
「たとえば、岩とか木をご神体としている神社もあるでしょう? 感謝の対象が明確だよね。神様はいわば人が敬う『思い』の集合体。大事にされて意味があるんだよ」
「だから、『宗教離れ』とかよくいわれるけど、それは悲しいことじゃない。神様ってなんだっけって考える絶好のチャンスなんだと思う」。
世の中、分断が進み、ネット上では他人を攻撃する言葉が行き交います。
地元に根付く祭りは、宮田さんのような外部からの神輿の担ぎ手を受け入れない「排除」の雰囲気が強いのではないか、そう思っていましたが、宮田さんの取り組みが各地で受け入れられていることに、驚きと希望を感じました。
それは、宮田さん自身が、祭りを、その地域を、大切に守っていく価値あるべきものだと尊重している気持ちが、受け入れる側にしっかり伝わっているからだと感じます。
宮田さんはこれからも神輿を担ぎ続け、地域のお祭りを絶やさないようにする手伝いを続けて行くそうです。
「祭りは、毎年同じことをやっているように見えるけど、それが何十年、何百年と続いているもの、時代が変わり、神輿を担ぐ人が変わっても続いているものだと感じたときに、それはすごいことだと気付く。ただ、それは初めて祭りに参加する子どもはわからないよね。それは、記憶の蓄積がないから。『やばい』と気付くにはその祭りを続け、記憶を積み重ねていく必要がある。大人はその役割を担う必要があるんだよ」
記憶を紡ぎ、思いをつなぐ、それこそが文化の継承だと考える宮田さん。
「祭りはいいものだって言うのは簡単だし、広めていくこともできるかもしれない。でも実際誰がやるの?って言ったときに、誰かがやってくれるっていうのではなく、俺はどっちもやりたい」
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