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大森靖子「一曲一曲が仕事をもって生きている」10周年で新アルバム
圧倒的なライブパフォーマンスとジャンルを超えた発信力が魅力のシンガー・ソングライター、大森靖子さん。時に「過激」とも言われるイメージがありますが、ファンの心をとらえているのは弾き語りやバンドで生み出される音楽です。「いまだに音楽に救われてる」と語る大森さん。ライブハウスで弾き語りをはじめた時期から数えて、今年で音楽活動10周年。記念すべき年に、過去の楽曲を弾き語りでリアレンジしたアルバム『MUTEKI』をリリースしました。大森さんに、過去と現在をつなぐ、自身の活動の原点について聞きました。(ライター・九龍ジョー)
――以前からファンの間でも弾き語りアルバムを望む声はありましたよね。
大森 ええ、でも、だからこそハードルも高いじゃないですか。あと天邪鬼なので、あまり望まれると、そのタイミングでは出したくないなっていうのもあったりして(笑)。ただ、次々と新しいことをやってきて、それでもいまの時代は消費が早くて、年間20曲とかを新曲として提供してたりするわけですよね。そうなってくると、そろそろ昔の曲を知らない人もいるかなと思って。
――それで今回、改めて過去の楽曲を弾き語りでレコーディングしてみたわけですね。ただ、たしかにほぼ弾き語りアルバムではあるんですけど、冒頭の2曲(「流星ヘブン」「みっくしゅじゅーちゅ」)は新曲で、しかもいきなりバンドサウンドじゃないですか(笑)。
大森 ふふふ、そこは、やっぱり期待を裏切っていきたいんですよねえ(笑)。
――この、弾き語りメインなんだけど、冒頭2曲だけちょっと違うサウンド、というパターンは、2013年に出したアルバム『絶対少女』も同じでしたよね。
大森 そうなんです。あのアルバムも、もともとは弾き語りだけで作るつもりが、打ち込みとかバンドの曲も入って。けっきょく、弾き語りもバンドも、両方最高だよね~! ってことを感じてほしいだけなんですよ(笑)。
――『絶対少女』のときに思ったのは、あの頃、ガッとメディアの注目が集まる中で、「過激なパフォーマンスをする弾き語りの新鋭女性シンガー」みたいな切り口で取り上げられることが多かったので、ポップな曲でそのイメージを覆したいのもあるのかなってことだったんですけど。
大森 まあ、過激なイメージといってもお客さん集めたかった手法でしたからね。ライブ中に目立つことをやってもせいぜい5分程度じゃないですか。残りの時間は何十分も弾き語りをやって、でもその5分しか拡散されないっていう話ですからね。実際に見てくれたお客さんはわかってくれてるわけで。
――ただ、そうやって印象が偏って拡散されたりする中で、大森さん自身がダメージを受けることはありませんでした?
大森 ダメージというか、例えば持ち時間をフルに使ってそういうことばかりやっている人もいるわけじゃないですか。でも、そういう人とは一緒にされたくない、っていうこだわりが強すぎて、仕事を失ったりすることはありました(笑)。本当は誰もそんなこと気にしてないのに、自分だけ勝手にイメージを気にしすぎてたかも。
――どう見られているか? っていうことには敏感ですよね。
大森 わりと他人が自分に対して思うイメージは、受け入れて生きてましたからね。学校を休んで家にいるだけでも、「グレて街で遊んでる」みたいなうわさが立つわけですよ。でも、べつにそれでいいやと思って、逆にそのキャラに合わせて学校では振る舞っていましたね。それでいて、家では学校の裏ブログを開設して、やばいことから、誰々先輩かっこいいよね、みたいなくだらないことまで、本音が書ける匿名掲示板を管理してました。みんな気づいてないけど、実は学校にあまり行ってない私が管理人っていう(笑)。
――そういう「本当の私は……」っていう部分は明かさないんですか。
大森 だってホントのことを説明するほうが面倒くさいじゃないですか。いまはこういう職業だから頑張って説明してますけど、その頃は、どうせ18歳で別れるような人たちにいちいち説明しても仕方ないと思ってました。「わかってもらえなくても、べつに」みたいな。他に、そこを省略できる関係性の友達もいましたし。
――「省略できる」というのは?
大森 ネットですね。ネットだけの彼氏とか。自分の中ではすごく誠実な関係性でしたね。学校の友達なんかよりわかり合えている感覚はありましたから。
――学校以外にそういう場所があれば問題ないですもんね。
大森 例えば学校でも何でも、そこにあるルールとか価値観に入り込めないっていう人は、ただ「新しい」だけなんですよ。もっと自分のことを「新しくて超面白い人なんだ」と思って生きてもいいじゃないですか。こういうことを言うと、よく「マイノリティーの味方」みたいな言われ方をしたりするんですけど、そういうことでもないと思うんですよ。面白いことにマイナーもメジャーもないというか。
――この間のツアーでは、アンコールの前に、お客さんに「今日起こった不幸自慢」を挙手制で言ってもらってたましたよね。けっこうシャレにならないレベルや一線を越えているようなエピソードもあって、でも一つ一つ大森さんが受け止めた上で適切にMCで扱っていた。あれはすごいなと思いました。
大森 あのコーナー、地方のほうがやばかったですよ(笑)。ああいうライブの場だと、どんなことでも全部、そのあとの歌で昇華できますからね。
――たしかにライブなのは大きいですね。
大森 テレビみたいにちゃんといい話にもっていく必要はないし。以前、あるテレビ番組に出たときも、例えば「昔はいじめられてました」みたいな経験を説明する必要があるって言われて、「10代のときに人となじめませんでした、っていうエピソードはどうですか?」とか提案されたんですけど、正直、いまだになじめてないわけじゃないですか(笑)。
――なるほど(笑)。
大森 えっ、10代のとき? って(笑)。いまだになじめてないし。もう、諦めてる。
――でも、諦めたところで、痛い目にはあいますよね?
大森 あいますよ~! あいつづけてる(笑)。
――痛い目にあいたいくない人はどうしたらいいんでしょう?
大森 あいたくないっていうのは難しいですね。助言できることは一つもない(笑)。あっても気にしないっていう方向性しかないですね。ただ、これは危なそうだなっていうのは、ちょっとわかってきました。「これは言っちゃダメなことだよ」とか、「これはこういう風に誤解されることがある言葉だよ」とか、事前にそういう情報をくれればわかる。まあ、ブログとかは検閲ないから、勝手にやってますけどね。
――それで、たまに炎上したり(笑)。
大森 あははは! まぁ、それで傷つくのが自分だけだったら、どうでもいいんですよ。守りたい自分とかはべつにないから。普通、メジャーデビューとかすると守るべき人が増えて、そういうことはあらかじめ防いだりするんだろうけど、私の周りはみんなけっこう一緒に闘ってくれる人が多いので、まだ自由にできている感じ。そこは感謝してますね。
――今回のアルバムに収録するにあたり、過去の楽曲と改めて向き合ってみてどうでしたか。
大森 わりとライブではずっと歌ってきた曲が多いから、そこまで改めて向き合うっていう感じではなかったかも。あと、曲って毎回その場のお客さんたちに引きずられて変化していくこともあるから、その結果がいまのかたちになっているっていうのもありますね。
――この10年で、曲の作り方が変わったりは?
大森 そもそも作り方が曲ごとによって違うんですよね。それぞれ曲に課せられた「仕事」みたいなものがあるので。
――仕事?
大森 そう、一曲一曲が会社員のように仕事をもって生きているんです。会社で、この担当はこの人ですっていうのがあるじゃないですか。そういうイメージがあるんですよ。で、変わったといえば、その仕事先の人の顔を思い浮かべることは多くなってきたかもしれないですね。この曲はこういう人に聴いてほしいとか、この曲はもうファンだけにわかってくれればいいやとか。
――例えば「流星ヘブン」だと?
大森 「流星ヘブン」の仕事は、とりあえず私自身のやり方を提示すること、ですね。
――定期的に必要な仕事ですね。
大森 そう、少し前だと「マジックミラー」がそうでした。自分にとっては当たり前のことでも、ちゃんと説明しないと意外とわかってもらえないですからね。
――歌詞については、年齢を重ねて、さらにまたそこに子育てとかも加わってくると、街場で遊んで歌詞を拾ったり、若い子の感覚を盛り込んだりということからは少し遠のく時期になるのかな、とか勝手に思ったりもするんですけど。
大森 そこは幸運なことに、いまでも若い子とやりとりすることは多いんですよね。ツイッターでDMが来たり、(オーディションの)ミスiDの子たちから頻繁にLINEが来たり。そういうやりとりの中で、「あれ、この曲、ちょっと難しかったかな」とか気づかされることはあります。ああ、もうちょっと簡単めな曲も作らなきゃ、とか。
――大森さんにしても、そう思う瞬間がある?
大森 あるあるある! そこには敏感でいたいですね。
――ファンとの距離も近いですもんね。
大森 いちおう、おいしいポジションにいると思うんですよ。インディーズ的にやりたいことも全部やりつづけて、メジャーでしかできないこともやれている。
――また、ロックフェスに出たり、アイドルシーンと交わったかと思えば、Chim↑Pomみたいなアート集団とも交流したり。
大森 全方向にフットワークの軽い人でいたいっていうのはありますね。
――もともと弾き語りで名前を売っていったときも、MOOSIC LABのような映画イベントにギター一本持って、出まくってたのも大きかったですもんね。
大森 大きいですよ。でも、メジャーでバンドってなると、ある程度、お金や人が集まらないと成立しないっていうのがあるじゃないですか。それが弾き語りだと省けるし、どこにでもいけて、誰とでも会える、みたいな。
――ちなみに最近、気になったニュースとかありますか。
大森 去年出した「オリオン座」っていう曲で、「どうせあたらないミサイルで威嚇する」っていう歌詞を書いたんですけど、ちょっと状況的に使いにくくなったのでイヤだなっていう。……まあ、でもいい曲なので、歌いますけどね。
――そういえば、NHKスペシャルの『戦後ゼロ年 東京ブラックホール 1945-1946』って番組は見ました?
大森 見ました!
――あの番組タイトルって、大森さんのアルバムや曲名でもある『TOKYO BLACK HOLE』からインスパイアされているんじゃないかと思ったんですが。
大森 やっぱ、そうですよね!? だって、いきなり新宿の闇市が……って、その入り方も、絶対私やん。もお~、曲使ってよ! って(笑)。でも、すごくタメになる番組でしたよね。けっこう私のファンって、NHKとか都庁とか堅い仕事関係の人も多いんですよ。「弁護士です」「教師です」っていうのもよく言われる。
――大森さんの根っこにある超生真面目さと、だからこその爆発力をみんなうすうす感じているのかもしれません(笑)。で、大森さんの場合、堅い職業にはつかず、最初は絵画を目指しながらも、やっぱり音楽だったわけですよね。
大森 絵にしても、最初からずっと音楽がやりたかったんだけど諦めてたっていうのがありましたからね。やっぱり音楽が一番でしたね。それで最近、思ったことがあって。他のミュージシャンと話してても、合う人と、合わないなって人がいるじゃないですか。それがどこで分かれるのか。「合う人」って、音楽にちゃんと救われている人なんですよね。それとは別に、単純に才能があって音楽をやってるっていう人もいて、そこは完全に分かれるよな~って。
――大森さんは救われた側ですよね。
大森 うん、いまだに音楽に救われてる。それを公言するかどうかは別として、その感覚があるかないかっていう違いは、意外にデカいなって。
――音楽に救われるっていうのは、具体的には?
大森 これがないと地獄だな、っていう感じ。その感覚はずっとある。だって中学の頃、通学に30分かかるんですけど、音楽がなかったら学校にいけるかどうかもわからなかった。本当にダメになったときに、ヘッドホンで耳を塞いで、音楽を聴いて、それで救われたんです。
――いま現在、そういうふうに大森さんの音楽を聴く人のことを思い浮かべたりはしますか?
大森 それは、あの頃の自分ですね。そこを裏切ったら終わりですよね。
――昔、「どんなにひどいライブでも、最後に5分、私に弾き語りをさせてくれたら、全部持っていく自信がある」って言ってたのが印象的なんですよね。
大森 その自信はありますね。
――今回のアルバムタイトルも『MUTEKI』(無敵)ですもんね。私にギター1本持たせれば……。
大森 いや、もうギターがなくても、アカペラでもいいですよ(笑)。私をひとり、そこに立たせてもらえれば。今回のアルバムは、なるべくマイクの存在を感じさせないように心がけてレコーディングして、作ったんですよ。すぐそこに私がいる。そういうふうに感じながら聴いてもらえれば、うれしいですね。