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「政治に音楽」持ち込んだら本当にダメなの? 政治学者の違和感

自民党県連前に張り出された「政治って意外とHIPHOP」と書かれたポスター(左)が、今夏「政治と音楽」論争を引き起こした
自民党県連前に張り出された「政治って意外とHIPHOP」と書かれたポスター(左)が、今夏「政治と音楽」論争を引き起こした 出典: 朝日新聞

目次

 音楽に政治的トピックが絡むと、ハレーションが起きる――。SNS上では、もはやお約束とも言える現象。最近では自民党新潟県連が「政治って意外とHIPHOP」というポスターを作ったところ、批判が相次ぎました。政治学者の岡田憲治・専修大学教授は「政治と音楽は『表現する人間の行為』という点で地続き」と言います。毎回起こる「音楽と政治」の騒動、政治学の視点から見た「違和感」について聞きました。

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「政治がとてもスペシャルなものだと思われている」

――「音楽と政治」論争、SNSを中心に、ここ数年で、よく語られるようになった気がします。政治学者から見て、どのようにお考えですか?

 その前にまず、政治という言葉に人々が抱くであろうイメージに注目しています。日本では政治がとてもスペシャルなものだと思われている。そして、スペシャルなものだから、覚悟がいるものだとされている。


――特別なものではないのですか?

 例えば、私には極右から極左まで幅広い友人がいますが、その中には「安倍政権はひどいよ」「もう我慢できない」と言う人がいて、かつ、そういった人たちは、比較的民進党にシンパシーを持っています。

 ただ、そういう人たちが、では民進党の代表選に投票できるサポーター制度に入ってアクションを起こすかというと、「岡田、いろいろ考えたけど、俺、サポーターになるのだけはやめておくよ」と言う。その時、私は「ああ、またか」となるんです。

民進党代表選の立会演説会で握手する前原誠司氏(左)と枝野幸男氏=2017年8月28日、東京・有楽町、長島一浩撮影
民進党代表選の立会演説会で握手する前原誠司氏(左)と枝野幸男氏=2017年8月28日、東京・有楽町、長島一浩撮影 出典: 朝日新聞

――なぜ「またか」となるのですか?

 「いやいや、あなた、この程度のことを結論出すのに、1日中かかったの?悩みすぎでしょ。政治の話だよ」と私なんかは思うからです。

 だって、しょせんは政治的支持ですよ。誰を応援するとか、どの政党を支持するとか、そんなもの、最悪の事態を避けるためには状況次第でいつだって変えるでしょう。思想は思想。政治は政治。切り分けられるはずなのに・・・。


――なぜか固定化されてしまうと思い込んでしまいます

 ただ、そういう人間が少なからずいるなかで気がついたのは、彼らは政治的に何らかの判断をする、自分の政治的なスタンスを部分的に明らかにする、ということは、タトゥーを入れることだと思っている。入れたら消えないものだと。

政治的ステートメントを発するのは、タトゥーを入れるほどの覚悟を持つ?
政治的ステートメントを発するのは、タトゥーを入れるほどの覚悟を持つ? 出典: 朝日新聞

音楽は聖なる空間か

――そういう政治観が社会の土台にあるなかで、いわゆる「音楽と政治」論争が起きているわけですね

 スペシャルなもので、覚悟を必要とする政治が、音楽という世界に入り込んでくる。そこへの拒否反応かもしれません。

 つまり、音楽が鳴り響く世界は、何によっても穢されていない聖なる空間であると思っている。そこには人間の情念や価値観などいろんなものが及ばない領域なのだ、と。それって、極めて政治的な考えなんですけどね。


――なぜ、そう思うのでしょうか

 ひょっとすると、日常生きるなかで、常に「おまえはどうなんだ」と政治的立ち位置を求められる息苦しい状況を感じているのかもしれない。つべこべ言われない、キイキイ言われない、そんな避難所としての世界や空間を音楽に求めるという、ディフェンシブな姿勢があるのかもしれません。

 真っ白な画用紙に好きなミュージシャンが絵を描いてくれるのに、そこに、硬質というか、生活にリアリズムがまったくないというか、そういった言葉が入り込み、何かが穢されそうになる、というイメージなのでしょうか。

フジロックのアトミック・カフェで登壇する(左から)津田大介さん、奥田愛基さん、吉田明子さん。「音楽に政治を持ち込むな」などの意見が出て注目された=2016年7月23日、湯沢町
フジロックのアトミック・カフェで登壇する(左から)津田大介さん、奥田愛基さん、吉田明子さん。「音楽に政治を持ち込むな」などの意見が出て注目された=2016年7月23日、湯沢町 出典: 朝日新聞


――でも、音楽と政治はそのような関係性で語ることはできないわけですね

 政治というのは「位相」です。ある角度やある位相において、ある行動や作品が、側面として政治的な色合いを帯びる時がある。

 1960年代にロックが、反体制的な音楽になったのは、ロックの本質が反体制的ではなくて、当時の時代状況から、反体制の位相として立ち上がったということだと思います。

 自分の世界に対する立ち位置を部分的に表現する政治と、自分にとって肯定的な何かを表現する音楽というのは、<表現する人間の行為>という点で同じ、地続きだと思います。

1960年代、カウンターカルチャーの象徴だったロックも、今やエンターテインメント色が強い音楽に。写真は、2016年秋、南カリフォルニアで開催された音楽フェス「desert trip」で共演したポール・マッカートニー(左)とニール・ヤング。
1960年代、カウンターカルチャーの象徴だったロックも、今やエンターテインメント色が強い音楽に。写真は、2016年秋、南カリフォルニアで開催された音楽フェス「desert trip」で共演したポール・マッカートニー(左)とニール・ヤング。 出典: ロイター

「政治を持ち込むな」は乱暴な言葉

――とはいえ「個別具体的な政治主張を、音楽と結びつけることが興ざめだ」と思っている人がいる。

 政治という言葉をもっと分節化して、切り分けないといけない。

 政治と言ったって、デパートみたいなもので、売り場がいろいろあるでしょ?「あなたが言っているのは、政争とか、特定政党の候補者の知名度を上げるためにフェスを利用するということでしょ?」。

 もしくは、定型化された左派的主張、右派的主張を、音楽に詰め込むことが、かっこわるい、良い気持ちがしないのでしょうか。いずれにしても、そう思うのなら、そう言えばいい。

 それを「音楽に政治を持ち込むな」という言葉でくくるのは乱暴過ぎます。

2013年の参院選。投票日前日の選挙フェスのステージに登場した三宅洋平氏=2013年7月20日
2013年の参院選。投票日前日の選挙フェスのステージに登場した三宅洋平氏=2013年7月20日 出典: 朝日新聞


――最近では、自民党新潟県連が「政治って意外とHIPHOP」というポスターを作って、批判が出ました。
 
 政治なのだから、金や暴力でものを言わせなければ、あらゆる手段を行使していいわけです。言葉を動員させ、人の心を動かすという、政治の原義に照らすなら何をしてもいい。

 そういう意味では、自民党がヒップホップのポスターを作ることだって、別に悪いことではないですよ。

 ただ、その表現する中身について「ダサイよね」「意味がわからないよね」などと批評することはいいと思う。

 繰り返しますが、それを「音楽に政治を持ち込むな」という大きな枠組みで語ることはやめた方がいいでしょう。

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