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ボルトの「すごさ」あらためて思う…カメラマンをとらえた「魔力」
すがすがしい表情でフィニッシュラインで祈りを捧げた後、トラックにそっと唇をつけた。6万人の大観衆が固唾をのみ、一人のアスリートの終演を見届けた。(朝日新聞映像報道部記者・池田良)
8月、ロンドンで陸上の世界選手権を取材した。これで引退となる世界記録保持者のウサイン・ボルト(ジャマイカ)。個人種目最後の男子100メートル決勝は3位だったが、スタンドからはボルトコールが沸き上がった。
歓喜する人や涙を浮かべる人。1位と2位の選手はそんな雰囲気を察してか、早々とスタンドを去った。スタジアムは「ボルト劇場」だった。
弓を引くポーズや、感謝を示すトラックへのキスなど、ボルトにはレース後の「儀式」がある。パフォーマンスもボルトの魅力の一つだろう。
走るシーンを「オン」とするなら、レース後の喜怒哀楽は「オフ」。オンの撮影は被写体の行動をある程度予測でき「画(え)」も思い描ける。
オフは逆。何が起こるかわからないぶん、表現は撮影者によって大きく変わってくる。ボルトの最後のオフの表情は? どんなパフォーマンスを見せるのか? オフショットでラストを感じさせたいと思った。
ボルトが入場するだけで、地鳴りのような声援が起きた。会場の視線やカメラのレンズも、ほぼボルトに向けられていた。歓声にけおされ、撮影しながら手が汗ばんだ。スタートの合図が迫る。と同時に、胸が高鳴りワクワクしている自分に気づいた。
大会の撮影データの整理を始めたのは帰国の飛行機の中だ。ボルトの写真を見ているうちに、決勝当日の胸の鼓動を、再び感じた。
日本勢の活躍にも胸を熱くさせられたが、ボルトのオーラとは違う。これまでにさまざま場面を撮影してきたが、初めて味わう不思議な感覚だった。
この特別な感覚を与えるのがスターなのか。そう思った。人類最速の実績はもちろん、人々を引き付ける力がある。私も自然とのみ込まれていたようで、意識せずに撮ったカットも、映画のワンシーンのように見えた。そう感じただけか。それもまた、スターの魔力だろうか。
日本の陸上界でもそんなスターが現れたら――。そう切望していた矢先に、東洋大の桐生祥秀が日本学生対校選手権(福井市)で9月9日、9秒98を記録し、日本人初の9秒台を果たした。近年は他にも9秒台を期待できる人材が豊富だ。人々を魅了するスターの出現が待ち遠しい。
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