話題
大好きな日本で背負った…1800万円の医療費 本当に怖い旅行中の病気
今年1月、雪を見るために日本を訪れていたタイ人女性が重度の心臓病にかかりました。「0.1%」という確率を覆し、元気な姿に戻したのは、日本の消防士や医師らでした。しかし、保険に入っていなかった彼女には1800万円の重い医療費がのしかかります。
話題
今年1月、雪を見るために日本を訪れていたタイ人女性が重度の心臓病にかかりました。「0.1%」という確率を覆し、元気な姿に戻したのは、日本の消防士や医師らでした。しかし、保険に入っていなかった彼女には1800万円の重い医療費がのしかかります。
今年1月、東京・上野のアメヤ横町で、1人のタイ人女性が突然倒れました。「雪を見たい」と友人と来日したワンウィサ・ジャイジュンさん(28)。専門家も「生存率は0.1%以下」とする重度の心臓病でした。命を救ったのは、たまたま居合わせた消防士、高度な手術や治療を重ねた医師たち。奇跡的に助かったワンウィサさんですが、1800万円を超える治療費を抱えてしまいました。
1月20日午後、アメ横は行き交う人の肩がぶつかるくらいのにぎわい。
休日で買い物に来ていた埼玉県川口市消防局の山本大介さん(47)は、路上に人混みを見つけました。近づくと、目を開いたまま倒れている女性が。口を少し動かすものの、呼吸をしているように見えません。瞳孔は開き、首や手首で脈もとれません。
山本さんは救急救命士の資格は持っていませんでしたが、研修で学んだ知識が思い当たりました。
「(心停止した患者がする)死戦期呼吸ではないか」
先を行っていたワンウィサさんの友人3人が慌てて戻ってきました。山本さんは友人の1人の男性に身ぶり手ぶりで人工呼吸をするよう頼み、自分は心臓マッサージを始めました。
山本さんが30回圧迫し、友人が2回息を吹き込む。2セット終わると、救急車が到着しました。
ワンウィサさんが運ばれたのは、東京医科歯科大学付属病院(文京区)。
担当した心臓血管科の大井啓司医師は「かなり危険な状況だ」と顔をしかめます。同僚の水野友裕医師が「80歳のお年寄りの血管かと思った」というほど、血管が弱っていました。
心臓の筋肉が死にかけていて全身に血液が回らない状態。さらに、不整脈も続けて発生。専門家によると、このような状態から健康体に快復する可能性は0.1%以下といいます。
ワンウィサさんは旅行保険に入っていませんでした。
高度な手術を重ねれば、治療費は多額になる。
それでも大井医師らは「目の前の患者を助けないわけにはいかない」と、治療を決断しました。
大井医師らは、人工心肺装置でポンプ機能を助け、血管を押し広げて血流を取り戻す治療を行い、一時的に命をつなぎとめました。
冠動脈バイパス手術で少し容体がよくなったかと思うとまた不整脈が発生し、命の危険が迫る。循環器内科などと連携しながら、最善の道を探ったといいます。
心筋の一部を焼く治療を2回して、ようやくワンウィサさんの体は落ち着きを見せ始めました。手術や治療を計5回。「結果的に、すべてのタイミングがよかった」と水野医師は振り返ります。
タイから母親のスープンさん(60)も20万バーツ(約60万円)を友人に頭を下げて工面して、病院に駆けつけました。大井医師らに「何とか娘を助けて下さい」と頭を下げます。
スープンさんはワンウィサさんの無事を祈り、毎日、滞在先のホテル近くの寺にお参りに行ってから病院へ。ワンウィサさんに寄り添い続けました。
入院から26日が過ぎた2月14日の昼前、ワンウィサさんは目を開き、スープンさんに視線を向けました。「娘が目を覚ました……」。ほかの患者の迷惑にならないようにとスープンさんは近くのトイレに駆け込み、声を殺して泣きました。
日本語がまったくわからないというスープンさん。生活するだけでも不安だらけの毎日だったことでしょう。取材時、当時を思い出したのか目頭を押さえていました。ワンウィサさんも「母の強い願いが、私を救ってくれたと思う」と言葉をかみしめながら話していました。
ワンウィサさんはそれから少しずつ快復。声がうまく出ず、スープンさんとは筆談で話したといいます。帰国できたのは4月でした。
現在、タイ北部のチェンマイで、ホンダの自動車ディーラーで働いています。「すぐに処置をしてくれた山本さん、そして病院の先生たちに、本当に感謝しています」と話しました。
実は、消防士の山本さんは「自分の処置は正しかったのか」、ずっと気になっていたといいます。
「もし亡くなってしまったら、自分のせいかもしれない」。人づてにワンウィサさんが元気になったことを聞き、胸をなで下ろした、と話してくれました。
「娘は元気になった。でも、どうやってお金を工面すればいいのやら……」。母親のスープンさんは視線を落としました。
総治療費は約1800万円。友人らの呼びかけで、タイ国内で50万バーツ(約150万円)の募金が集まりましたが、在日タイ大使館が立て替えてくれた800万円分を含め、1600万円余りが不足しています。
平均月収が10万円ほどとされるタイ。1800万円は、単純に計算すると15年分になります。一般的な家庭のワンウィサさんたちに、簡単に払える額ではありません。
実は、大井医師らは高額な体内埋め込み型の機器の代わりに着用型の機器を選ぶなど、費用を抑える工夫もしていました。
水野医師も、「助かっても医療費のせいで一生苦しんでほしくない。何とかならないものか」と話します。
病気やけがは誰にでも突然襲いかかる可能性があります。
これを書いている私も2年前、突発性難聴にかかり、1カ月通院しても耳の中で異音が鳴り続けました。
すがる思いで無保険のハリ治療を受けたところ、1週間で完治。10万円以上かかりましたが、「直るなら値段ではない」と思いました。でも、額がその10倍、100倍だったら……。
在日タイ大使館によると、タイ人の日本への旅行客の9割が旅行保険に入っていないといいます。
所得が増えた中流階級が続々と旅行に出かける一方、旅費を安く抑えたいという思いから、掛け捨ての保険には入らない人が多いようです。
外国人観光客はここ5年間で約4倍に増え、2016年は約2400万人(日本政府観光局)。
保険に入らず、病気やけがで多額の医療費を背負う人も少なくありません。観光庁の2013年の調査では、外国人観光客の約3割が保険に未加入でした。
近畿運輸局によると、昨年の5~7月だけで、大阪府内の22カ所の医療機関で未払いがあり、総額は1500万円を超えました。
北海道運輸局の道内の病院への調査でも、過去3年に28の病院で未払いが判明。未払い分は医療機関側が「泣き寝入り」することが多いといいます。
厚生労働省も全国的な調査に乗り出しました。
保険業界は、外国人旅行者向けの商品の販売を進めています。
損保ジャパン日本興亜は2016年2月、業界初の「訪日旅行保険」を発売。日本に着いてからインターネットで加入でき、けがや病気1回につき1千万円を限度に補償します。加入者は中国やアメリカからの旅行者が多いといいます。
東京海上日動は、保険に入ると翻訳や日本の文化・マナーの学習ができる、スマホ用のアプリを提供。病院の手配もできるといいます。
ワンウィサさんにとって、今回が3回目の日本旅行でした。雪を見に新潟県湯沢町のスキー場や富士山を訪れ、帰国で空港に向かう途中で倒れました。
これまで健康診断で「あまり心臓がよくない」と言われたことはあったものの、深刻には受け止めていませんでした。「今思うと、保険に入っておくべきだった。お金は一生かかっても払いたい」と言います。
もし金銭的に協力したいという方がいらっしゃれば、在日タイ大使館(infosect@thaiembassy.jp)までお願いします。
1/16枚