連載
#4 辺境旅
「落ちたら死ぬ」酷道157号で見たものは…「もう勘弁してくれ!」
ひいき目にみても国道の格式を保てていない道は、時に「酷道」と呼ばれ、マニアから注目を集めていると言います。全国各地に酷道がひしめく中でも、「落ちたら死ぬ!!」の看板があることで有名な福井県と岐阜県を結ぶ国道157号の一部区間。「絶対にすれ違えない」幅員での連帯感。気づけば崖まであと5センチ。その走り心地は酷道の名に恥じないものでした。(朝日新聞福井総局・影山遼)
この酷道、冬の間は大雪のために通行止めになり、それ以外の時期も台風や土砂崩れなどでしょっちゅう規制がかかるため、通れるだけで幸運な国道です。
2年ほど走ることを夢見ながらもなかなか天候と自分の都合がつきませんでしたが、晴れ渡った6月のある日、ようやく挑戦する夢がかないました。
午前10時、JR福井駅前から自分の青い車でスタートです。車は排気量1500ccという大きめのコンパクトカーで、小回りはききますが、何度も駐車場で後ろをこすっている程度の運転技術しか持っていないので、少しだけ不安を抱えていました。
眠くなったら一巻の終わりなので、睡眠だけはたっぷりとって未知の道に臨みました。
1時間ほど走って、田んぼの中を抜けると、「岐阜県方面(国道157号) 大型車通行不能」の看板が見えてきました。ここがいわゆる酷道の入り口のようです。
ここまでの金沢市からつながる国道157号は広いほとんど直線の国道で、問題ありませんでした。これから先の道のりも「まあ言うてもちょっと曲がっているくらいでしょう。仮にも国道だし」くらいに考えていました。
それでも、少しだけ気合を入れて酷道に臨みます。法定速度は時速40キロで、ちゃんとセンターラインもありました。
真名川ダムというダムを過ぎてしばらくいくと、左手側に黄金色に輝く「麻那姫(まなひめ)像」が見えてきました。1200年ほど前に村人を飢餓から救ったという伝説の姫の優しいまなざしが、これからの道のりに安心感をもたらしてくれます。
このあたりに昔あった西谷村は、1965年に起きた集中豪雨で村の中心部がほぼ壊滅し、70年に廃村になったといいます。ということで、周囲に人はいません。
ちなみに現在に近いルートで国道157号となったのは75年のこと。廃村になった後の話で、できてから約40年経つのですね。ちょこちょこメンテナンスはしているそうです。
と解説しているそばから、幅員がどんどんせまくなってきました。この辺りはちゃんとガードレールがある部分もありますが、センターラインはところどころ消え、「落石注意」や「発破注意」といった物騒な看板も視界の隅に入ります。こんな道でも発破をするんですね…。工事車両がここまで来るのも一苦労しそうです。
心細くなってきたので、お気に入りのスピッツの曲を聴きながら進みます。ここでファンとして知る人ぞ知る話をすると、スピッツはインディーズ時代に「353号線のうた」という曲を作っています。この国道353号(群馬県~新潟県)も酷道という不思議な偶然。
ついには車1台がやっと通れる幅しかなくなりました。対向車が来ないことを祈っているときに限って、来るものです。
「絶対すれ違えない」
そう思ってはいても、どうにかしてすれ違わないとお互い先に進めません。道路から少しはみだしたギリギリのところに車をとめ、慎重に、慎重に。やれば何とかなるものです。結局6台とすれ違いましたが、連帯感がすごいです。
「私はこう行くわ」「なら僕はここで待つね」という会話が相手のドライバーと目を合わせただけで生まれてくる感じです。気持ちを一つにした連係プレーがないと、先に行けませんので。
基本的には山道です。一目で酷道と分かる区間は、山を無理やり車で走っている気分です。急カーブが続き、いったんとまるだけでも落ちていきそうで注意が必要です。
道の片側には木が生い茂り、崖が待っています。ブレーキはかなりの頻度で踏みました。右足が痛くなったら、左足で踏むという荒業も。
時折フッと現れる「国道157」の標識で、国道だということを思い出します。雪の重みで曲がったような標識もあります。完全ではありませんが、地面がむき出しの場所もあり…。
道路の脇から川のせせらぎが聞こえるちょっとしたジャングルのような場所でも、カーナビは「ここが国道」と示してきます。黙って進むしかなさそうです。
なんとか県境の温見峠まで来ました。だいぶ山の上まで来たような気がします。
実は、この国道157号が酷道界でも名をはせているのは、岐阜県の区間なのだそうです。ここまでで、かなり集中力を使っている身としては先が思いやられます。
ここは能郷白山という山の登山口でもあり、道路に車をとめて山に挑戦する人もいます。山に登る前に運転で疲れていそうです。
一息ついて車を発進させると、両脇の木々の間からは鳥のさえずりが聞こえてきます。福井県側では鳥獣保護区にも指定されていました。運転さえしていなければ、山道を歩いているという錯覚に陥る気がしてしまいます。道中ではおサルさん3匹にも会いました。「クマ出没! 入山注意」といった看板も目にしました。
道にはカーブミラーが本当にたまにしかありません。すれ違いの待機場所もごくたまにしかなく。よくこれで事故が起きないものです。いや、やっぱり「この先転落事故現場 スピード落とせ!!」の看板がありました。
もう勘弁してくれと思いながら走ると道路を水が流れています。誰かが打ち水? けれど、人は住んでいなさそう。
これは「洗い越し」と呼ばれるもので、川が道路を横切って流れている国内では貴重な存在です。高知県の四万十川の沈下橋に通ずるものがあります。橋を架けてしまうとコスパが悪いため、このような状態になっているということですが、大雨などで雨量が増えると危険度は跳ね上がります。157号、どこまでも国道という概念を打ち砕いてくれます。
この日まではずっと晴れ間が続いていたので、流れている水はチョロチョロとだけ。今年は雨の少ない梅雨で良かったです。
ひたすら運転を続けていると、最後の方は楽に感じてきました。と思っていると、ガードレールがなく、ポールにひもを結んだ区間や全く何もない区間もあります。どこまでも期待を裏切らないでいてくれる酷道です。
どんな道でも慣れは来るものです。鼻歌まじりに走っていると、ハンドルをうまくさばけずに曲がりきれず、急ブレーキをかけるということが何度かありました。車を降りてみると崖に落ちるまでタイヤがあと5センチほどといったこともあり、寿命が縮まります。
入り口(最初の「大型車通行不能」の看板付近をそう呼んでいます)から3時間。国道157号の総延長は199.4キロ(2015年時点)ですが、その中で酷道と呼ぶべきこの区間は距離にして60キロほどでしょうか。ようやく酷道の終わりが見えました。
そこにあったのは警察署などが立てた「落ちたら死ぬ!!」の看板。かなり仰々しい言葉ですが、来た道を思い返すと、ガードレールのない道で運転を誤ったら、考える間もなく川や山の下まで落下してしまうことでしょう。
この看板から先は、比較的ゆるやかな「普通の」国道に戻ります。
だいたい平均時速20キロで走っていたという計算になりますが、40キロ出せる区間もあれば、5キロでも道が狭すぎて怖くてブレーキ踏んじゃう区間もあったので、かなり緩急をつけた結果です。
毎年12月~翌5月ごろの冬の期間はこの道を走ることはできません。挑戦を考えている方は、出発前に一度確認した方が良さそうです。日本道路交通情報センターのホームページで交通止めの情報などを見ることができます。
高速道路、一般道の道路交通情報や、渋滞予測、開通予定などを公開しています
それにしても、この道が国道を名乗ってよいものなのでしょうか…。気になって国土交通省道路局企画課の担当者に聞いてみますと、道路法という法律では幅員などの規定はないといいます。ですが、道路法に基づいた政令「道路構造令」では幅員について定められているそう。
とはいっても、あくまでこれは新しく作る時や作り直す時の基準でしかなく、担当者は「現在あるものは、どれだけ酷(ひど)くても国道は国道なのです」と打ち明けてくれました。
「酷道」。最初に考えついた人はうまいことを言ったものです。この国道157号ですら入門編という話も聞き、末恐ろしいです。この道を初めに開通させて、国道にしようと考えた人々も素直にすごい…。
ちなみに帰りの話ですが、酷道の往路を抜けきった時すでに時間は夕方。暗くなる中、もう一度同じ酷道を引き返すのにビビってしまいました。そのため、来た道を戻らずにそのまま岐阜市まで出て、名神高速道路と北陸自動車道などを使って福井まで帰りました。
岐阜市から福井・石川に行く場合は、回り道したこちらを使うのが多数派でしょう。
ここまで散々ひどい、ひどいと言ってきましたが、この道は金沢市から福井県を通って岐阜市までをつないでいるため、北陸地方と東海地方を短い距離で結ぶ道として昔はかなり重要な役割を果たしていました。
酷道、一回走ってみると手軽にスリルを味わえるのが病みつきになる気がします。世の中には自転車で踏破している方もいるようなので、全国各地を旅行しつつ、適切なサドルの高さで他の酷道にも挑戦してみます。