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高橋源一郎の「理想の読者」「これまでにない緊張」で書く意外な新作
小説だけでなく、社会問題を切り取る論壇や評論でも活躍する作家、高橋源一郎さん。そんなベテラン作家が「これまでにないくらい緊張した」という小説を連載中です。作品は、高橋さんにとっての理想の読者である「14歳」に向かっていく子どもたちに向けて書かれています。読者を小学生に絞った小説は初めての取り組みです。高橋さんが、今、子どもたちに伝えたいことを聞きました。(朝日小学生新聞記者・谷ゆき)
高橋さんの初の児童小説「ゆっくりおやすみ、樹の下で」は、7月から「朝日小学生新聞」で毎日連載しています。
主人公は、小学5年生の女の子ミレイ。これまで一度も会ったことがなかった神奈川県鎌倉市の祖母の家で夏休みを過ごすことになります。
そこで、曾祖母が子どもだった時代や、戦時中にタイムスリップし、家族の歴史をたどることになります。
高橋さんにとっての理想の読者は、14歳。
「自分がだれに向けて書いているんだろうと思ったとき、14歳の自分に向けて書いていることに気づいたんです」
なぜ14歳なのか。大人と子どもの中間で、大人のように物事をわかるようにもなり、子どもの心も持っているのが、高橋さんの考える「14歳」です。
高橋さん自身が14歳のときに、友人が朗読した『吉本隆明詩集』に強い衝撃を受けたと言います。「泣きました。意味はわからなかったけれど、すごいということはわかりました。そのとき、ぼくに、初めて『英知』とでも呼ぶしかないものが生まれたんです」
自分の知らない世界に触れたときに、ただ感動するだけに留まらず、ああ負けたと打ちのめされ、それまでの自分が変えられてしまうほどの影響を受けることができる年齢が、14歳なのです。
「イメージとしては、細胞分裂がいちばん活発になる時期。無防備で、どんなものにもなれる。そういう存在に向けて書きたいなと思ったんです」
この作品は小学生が読者対象ですが、14歳という分岐点に向かって成長していく子たちに読んでもらえたらと話します。
高橋さんの2人の子どもが今13歳と11歳。正に、14歳に向かっている年齢です。自分の子どもたちに書き残すとしたら、ということも意識します。
児童文学が大好きだという高橋さん。その理由はと問うと「14歳に向けて書いているから」。名作といわれるものは、子どものなかにある、大人の部分に届くように書かれている、そこに引かれるといいます。
小説には戦争の話も出てきます。
戦時下などの大変な状況にあっても、人間はただ生きているだけではなく、自分につながる過去のこと、そして自分の子どもや孫の世代のことを考えるはずだと高橋さんは話します。
「でも、そういうことって、意外と伝わっていないんですよね。言いたかったけれど伝わらなかった、感情の堆積みたいなことを書いてみたいんです」
「主人公は女の子ですが、あらゆる親の世代を代弁して、君たちのことをこんなふうに思っていたんだよということ、つまり、君たちはとてもとても愛されていたんだよということを伝えたい。読んでくれた子が、優しい、温かい気持ちになってくれたらいいなと思います」
この物語を通じてもうひとつ、「君たちが生きている、この国の歴史」についても知ってほしいといいます。
戦後72年がたって、戦争を体験した人たちが少なくなっていく中、その体験は人々の記憶から忘れ去られてしまうかもしれません。
「君たちのひいおじいさん、ひいおばあさんは、戦争を体験したんだよっていう話が、この国にはあるんです」
「特別な人たちじゃなくて、ぼくたちと全く同じ人たちが大変な思いをしてきて、でもその中で、その人たちはきっと、未来のことを考えていたはずじゃないかと考えると、その未来にあたる君たちがお返しに彼らのことを思い出すのも、大切ではないでしょうか」
多くの書評を発表している高橋さんですが、この物語の中にも、
「本を読むのは、いいことです。それがどんな本であっても。みなさんも、ぜひ読んでください!」
「この世界そのものが、一冊の、とびきり大きい本で、しかも、どのページをめくってもかまわないんだ」など、本を大切に思う言葉がはさみこまれています。
「本は大事ですよ。本のおもしろいところは、ページを開いたからって、全員にとって同じ価値があるわけじゃないっていうところです」
「打ちのめされるほど心を震撼させられる人もいれば、どうでもいいと感じる人もいる。無限の彼方まで連れていかれる人もいれば、なんにも感じない人もいる。誰かに届く、誰かを震撼させることができればいいんじゃないかな。みんなが同じ感想を持たないところが、いいところだと思います」
作品では「楽しいことば」を使おうと呼びかけます。
「悪意のある言葉を浴びせられているとがっくりするし、ヘイトスピーチみたいなものを聞いてると、嫌な気持ちになる。逆に、ポジティブな言葉は、人をポジティブにします。とげとげしい言葉に接しているとエネルギーが減っていくし、肯定的な言葉を聞いていると豊かな気分になりますよね。やっぱり、楽しい言葉があった方がいいですよ」
高橋さん自身のお子さんにも、「ネガティブなことは言わない。いいね、いいね、かわいいねって言います」
子育てでも、心がけているのは「好きだといってあげること」。愛情表現は惜しまないと笑います。
「朝日小学生新聞」編集部には、読者からの感想が数多く届いています。
連載第6話「完璧に幸せな家なんてどこにもない」の一節には、両親が毎晩喧嘩をしている男の子や、いつもイライラしているシングルマザーの母親を心配する女の子の描写があります。
その回を読んだ小学6年生から、そんな感想が届きました。
また、第40話から43話には、「アーダ(妖精)」「マインマック(素敵)」「ヒンナ(いただきます)」など、いろんな国や地域のことばに由来する名前の犬が登場し、どんな人も犬も、そのままそこに在ることを受け入れられる様子が描かれています。
3年生と1年生の兄弟は、多様性をおもしろいと感じてくれました。
小学生の読者に、高橋さんのメッセージは確実に届いているようです。
「『子どもだまし』という言葉があるけれど、ぼくはそんなことはないと思っています。子どもは敏感で正直で、だませない」。連載が始まるときに、高橋さんはそう話しました。
それだけに、読者がどう感じるか、これまでにないくらい緊張したといいます。
「それは、いま言ったように、子どもはだませないからです。全てを見すかされてしまう。だから、子どもたちが相手だからこそ、ぼくの持てる力を全部出すしかないと思ったのです」
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高橋源一郎(たかはし・げんいちろう)1951年広島県生まれ。作家、明治学院大学教授。1981年「さようなら、ギャングたち」でデビュー。2012年『さよならクリストファー・ロビン』で第48回谷崎潤一郎賞受賞。著書多数。朝日新聞掲載の「論壇時評」に加筆し単行本にまとめた『ぼくらの民主主義なんだぜ』は、10万部を越えるヒット作に。
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