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戦争末期、陸軍が作った潜水艇の悲劇…密かに建造、終戦2日前に撃沈
太平洋戦争末期、「海の素人」である旧陸軍が潜水艇を作っていました。アメリカ軍の主力艦隊との戦いに備えていた海軍が、陸軍に潜水艦を回せなかったため、陸軍が秘密裏に建造。海軍の協力がなかったのにも関わらず、たった4カ月で完成させました。「まるゆ」と呼ばれた「陸軍の潜水艦」。約50隻が極秘に作られ、戦後は残ったすべてが破壊されました。
陸軍が作った潜水艇は、潜水輸送艇と呼ばれるもので、補給用に作られました。「ゆ」の字を丸で囲んだ暗号名で「まるゆ」と呼ばれました。
当時の日本は、1942年ごろからアメリカ軍機による攻撃が拡大し、陸軍にとって戦地への補給路を確保するのが重要な問題でした。その際、注目されたのが潜水艇による補給でした。
通常、潜水艇の運用は海軍の仕事になります。しかし、海軍はアメリカ軍の主力艦隊との戦いに備えており、潜水輸送艇を陸軍にまわすことができませんでした。
そこで陸軍は、自分たちだけで潜水艇を作ることを決めます。
しかし、造船所やドックは海軍の管理下で、陸軍の仕事まで手が回りません。そのため、陸軍の潜水艇は、ボイラー工場や鉄工所で建造されました。
技術やノウハウの蓄積がある海軍の協力がないまま、陸軍は、手探り状態で秘密裏に潜水艇を作ります。
それでも4カ月の突貫作業で1943年10月には1号艇を山口県下松市にある日立製作所笠戸工場で進水させ、潜水艇による物資の輸送が始まりました。「まるゆ」は全国4カ所で約50隻が造られ、このうち24隻は笠戸工場で建造されたと言われています。
終戦時に残っていた「まるゆ」はアメリカ軍によってすべて沈められました。
「まるゆ」をめぐっては、終戦2日前に、アメリカ軍の爆撃によって10人が犠牲になるという悲劇も起きてます。
静岡県下田市の鍋田沖で撃沈された残がいは、6年後に撤去されました。その時、海にこぼれた遺骨の一部は、その場にいた海女さんが仲間に呼びかけ拾い集めたそうです。
海女さんたちは「海で稼がせてもらっているのだから」と費用を出し合い、近くの寺に納めました。
2006年、「まるゆ」についての本「陸軍潜水艦隊」(新人物往来社)を出版した中島篤巳さんは、朝日新聞の取材に次のように語っています。
「海の素人が短期間で潜水艇を完成、運用したということは、人間の可能性の大きさを示したものだ。しかし、それも戦争に使われたのは悲しい」
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