海軍の潜水艇、使えず
密林で見つかった旧日本兵の鉄かぶとや武器などが並ぶ村もあった=2016年9月2日、ソロモン諸島ガダルカナル島、橋本弦撮影
出典: 朝日新聞
潜航輸送艇は、「ゆ」の字を丸で囲んだ暗号名で「まるゆ」と呼ばれた。
出典: 1999年2月21日:まるゆ8号艇 終戦2日前、爆撃で沈没(静岡物語):朝日新聞紙面から
1942年ごろから、米軍機による輸送船への攻撃が拡大し、陸軍は潜水艦による輸送を迫られていた。ところが、米軍の主力艦隊との決戦を控えていた海軍は、潜水艦を陸軍への補給用として回せなかったため、「まるゆ」が建造された。
出典: 2006年9月12日:旧陸軍潜水輸送艇の建造過程を追う 岩国の元医師、本出版:朝日新聞紙面から
4カ月の突貫作業で完成させる
戦争末期「まるゆ」が作られた日立製作所笠戸事業所=2017年3月5日
出典: 朝日新聞
造船所やドックは海軍の管理下で、陸軍の仕事まで手が回らず、ボイラー工場や鉄工所で建造された。4カ月の突貫作業で43年10月には1号艇を笠戸工場で進水させ、潜水艇による物資の輸送が始まったという。
出典: 2006年9月12日:旧陸軍潜水輸送艇の建造過程を追う 岩国の元医師、本出版:朝日新聞紙面から
終戦時、三十四隻が残っていたが、米軍によってすべて沈められた。極秘に造られ、消えていった「まるゆ」を知る人は、ほとんどいない。
出典: 1999年2月21日:まるゆ8号艇 終戦2日前、爆撃で沈没(静岡物語):朝日新聞紙面から
「まるゆ」は全国4カ所で約50隻が造られ、このうち24隻は下松市の日立製作所笠戸工場(現・笠戸事業所)で建造された。
出典: 2006年9月12日:旧陸軍潜水輸送艇の建造過程を追う 岩国の元医師、本出版:朝日新聞紙面から
終戦2日前に10人が犠牲
下田市の大浦八幡にある「まるゆ」犠牲者のための「鎮魂の碑」
出典: 朝日新聞
一九四五年八月十三日、神社から近い鍋田浦の入り江に停泊していた陸軍の潜航輸送艇が、米軍機の爆撃を受けて沈没。乗組員の十人の若い兵士が犠牲となった。
出典: 1999年2月21日:まるゆ8号艇 終戦2日前、爆撃で沈没(静岡物語):朝日新聞紙面から
残がいは六年後に撤去されたが、その時、遺骨の一部が海にこぼれた。たまたま遺骨を見つけた一人の海女が仲間に呼びかけ、みんなで石油缶いっぱいの骨を拾い集めた。「海で稼がせてもらっているのだから」と費用を出し合い、近くの寺に納めた。
出典: 1999年2月21日:まるゆ8号艇 終戦2日前、爆撃で沈没(静岡物語):朝日新聞紙面から
中島さんは「海の素人が短期間で潜水艇を完成、運用したということは、人間の可能性の大きさを示したものだ。しかし、それも戦争に使われたのは悲しい」と話している。
出典: 2006年9月12日:旧陸軍潜水輸送艇の建造過程を追う 岩国の元医師、本出版:朝日新聞紙面から

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