話題
マイナー毒蛇から小5救う 血清開発したヘビ園に聞く対策の闇
7月末、ヤマカガシとみられる毒蛇にかまれた小5を救った血清は30年ほど前、群馬の観光ヘビ園によって開発されたものでした。研究者の自発的な研究があったおかげの救命、だったのかもしれません。実は、国内の毒蛇対策って、全体的にも危ういようで...
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7月末、ヤマカガシとみられる毒蛇にかまれた小5を救った血清は30年ほど前、群馬の観光ヘビ園によって開発されたものでした。研究者の自発的な研究があったおかげの救命、だったのかもしれません。実は、国内の毒蛇対策って、全体的にも危ういようで...
先月末、兵庫県の小5男子がヤマカガシとみられるヘビにかまれ、一時意識不明になりました。治療に使われた血清は、群馬県太田市の小さな観光ヘビ園で30年ほど前に開発されたもの。死に至る毒があるものの被害例は少ないヤマカガシは、治療研究も少ないです。ヘビ園のご努力がなければ、今回の男の子はどうなっていたのだろう… そんな思いを胸にヘビ園を訪ねると、日本の毒蛇対策のさらにお寒い事情を知ることになってしまいました。
私がガキンチョだった数十年前、仲間うちでヤマカガシは「毒のないヘビ」と思われていて、とっつかまえてはブンブン振り回す身近な生き物でした。ところが1984年、愛知県の中2がかまれて死亡と報道され、「毒蛇やったんや」と衝撃を受けた記憶があります。
今回の兵庫の事故後、Facebookで、京都女子大名誉教授の小波秀雄さんからの「ヤマカガシの血清開発は科研費の研究だった」という投稿がまわってきて、驚きました。
科研費、つまり科学研究費助成事業は、研究者が国に研究プランを示し、認められたときに研究費が出る仕組みです。要するに、死に至る毒蛇の治療法の開発は国主導ではなく、研究者が自発的に始めたということです。
小波さんも投稿で「その科研費が採択されていなければ、血清は作られておらず、今回の事故でも死亡につながったかもというわけです。人の命を救うための研究が、そういう性質の予算で辛うじて支えられたというのは、ちょっとこわい」。確かに。
科研費のデータベースを見ると、申請は愛知の死亡事故の翌年で、申請者は日本蛇族学術研究所(へび研)。ググると、群馬県太田市の観光ヘビ園、ジャパンスネークセンターに併設されています。とにかく、行ってみることにしました。
大変失礼ながら、「とても立派だ」とは言いがたい雰囲気のへび研。聞けば、ヘビ園運営も併せてスタッフはパートさんも含めて計9人。運営費も基本的に、ヘビ園の収益でまかなっています。でも実は、現在も国内の毒蛇対策の重要拠点なのです。
「ヤマカガシの研究を始めた動機は、単に他にやっている人がいなかったから、ですね。単純な毒だとは考えられていたので、素人には取り組みやすいと思ったのです。死亡例は1例知られていましたが、そこまで危機感があったわけではありません」
主任研究員で所長代理の堺淳さん(62)は淡々と、話してくれました。大学時代に学んだのはクモの動物行動学。確かにヘビは「素人」だった堺さんですが、入所後に行った研究は、ヤマカガシの血清開発に大きな可能性を与えました。
堺さんが明らかにしたのは、ヤマカガシの毒をウサギなどの動物に注射すると、きちんと血中に抗体が出来ること。そして、その抗体がきちんと毒を中和すること。それがあってこそ、愛知の死亡事故の翌年、へび研が血清試作に乗り出すことができたのです。
試作に乗り出したきっかけは、死亡した中学生の遺族からの依頼のほか、当時の所長の熱意もあったようです。「元々は東大のヘビ毒の研究者でしたが、被害の多い東南アジアも駆け回り、治療法を探った人ですから」と、堺さんは振り返ります。
へび研が試作した血清が11人分の治療で尽きはじめた頃の1998年、やっと厚生省(当時)研究班ができ、ヤマカガシの血清開発に取り組みます。堺さんも参加し、1000回分以上の血清が作られました。これが今も、使われています。
あまり人をかむことがないヤマカガシの被害は少なく、血清が使われだしてからの治療例は20回だけ。しかし、治療開始が遅れた1人以外の死亡例はありません。
「マイナーなリスクであっても、誰かが対応しないとダメ、ということですね。でも、メジャーな毒蛇のマムシ対策だって、厳しい状況なんです」と、堺さんは顔を曇らせました。
国内でマムシの被害は年間約3000件で、死者は5人前後。年間約3000回分の血清が出荷されています。作っているのは一般財団法人の化学及血清療法研究所(化血研、熊本市)だけです。「昔は企業や大学など4者が作っていましたが、撤退しました。利用数が少ない血清は、利益が出ないんですよ」と、堺さんは説明します。
しかも、血清製造に必要なマムシの毒を採取し、化血研に送っているのはへび研だけです。「マムシから毒を絞るだけでなく、処理もしなくてはいけない。今のところ、できるのはうちだけです」
しかし、へび研の運営を支えるヘビ園の入場者は減りました。堺さんが1979年に就職した当時、会社の慰安旅行の団体さんも多くにぎわいましたが、近年は「かろうじてやっている」状態。若い人が入所しても生活が成り立たず、やめていくといいます。
マムシ血清の材料の供給が途絶えかねない不安に加え、もっと直近の不安もあります。
ヤマカガシもそうですが、マムシ被害にしても、多くのお医者さんはそう頻繁に診察する訳ではありません。特にマムシはかまれた時に痛みが少ない時もあり、来院が遅れることもあります。様々な状況に対応できない全国のお医者さんが、へび研に相談の電話をかけてきます。
「相談の仕事ができるのは私だけなんですよ。でももう62歳。いつまでできるか…」
ヤマカガシに関しては、堺さんの体力やへび研の経営以上に困難な状況もあります。
水辺でほぼカエルを専門に食べるヤマカガシは近年、カエルの減少と共に減っています。そして、ヤマカガシの毒はマムシと違い、殺さないと採取できないので数を集めなくてはなりません。厚生省研究班で血清を作った際は、約300匹を集めました。
「そろそろ作り直すことを考える時期ですが、それだけのヤマカガシを集めるのはかなり困難でしょう」
日本の毒蛇対策はどうなるのでしょう。
「もう、大変不安です」
正直なところ、「昔の研究者の熱意が兵庫の少年を救う」という美談が書けるのでは、という思いで始めた取材でしたが、へび研を去るときには私にも、不安しかありませんでした。
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