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日報問題、「運命の会議」の謎に迫る 稲田氏・背広組・制服組の暗闘

防衛相として最後の記者会見をする稲田氏=7月28日午前、東京都新宿区の防衛省
防衛相として最後の記者会見をする稲田氏=7月28日午前、東京都新宿区の防衛省 出典: 朝日新聞

「対外説明方針」を示した事務次官の意図は?

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 国会対応に関わるポストを歴任した黒江氏や、稲田氏の国会答弁を支える辰己氏が、そんな風に考えたとしても不自然ではありません。陸自から日報が出てきたと辰己氏が稲田氏に報告せず、黒江氏も岡部氏に対し稲田氏に伝える必要はないと述べたという、前述の監察結果から、容易に想像できます。それだけに、黒江氏と辰己氏は陸自に日報があったことを牛嶋氏からの回答で1月27日に知っていますが、2月13日と15日の会議であえて触れることも考えにくいと言えます。

 ただ、稲田氏が国会答弁などでウソをついたと指摘されるリスクは極小化しないといけません。岡部氏が懸念したかもしれない、「陸自の日報は不存在」と説明し続ける問題です。監察結果によると、黒江氏は16日に岡部氏に「対外説明方針」を示します。日報は統幕にあったものを7日に公表しており情報公開法上の対応に問題はなく、陸自から出てきた日報は個人データなので外部に説明する必要はない、というものでした。

日報問題について記者会見で質問に答える稲田防衛相(当時)=7月21日、東京都新宿区の防衛省
日報問題について記者会見で質問に答える稲田防衛相(当時)=7月21日、東京都新宿区の防衛省 出典: 朝日新聞

「2月の会議」、それぞれの立場

 ここまでの話をまとめると、2月の13日と15日の日報問題に関する会議に臨んだ面々の立場はこうなります。

 制服組の岡部氏らは、稲田氏が当初の陸自の主張に沿って不存在と国会などで説明し続けることに責任を感じ、日報がありましたと稲田氏に伝えたい。背広組の黒江氏らは、統幕にあった日報の公表により事態を収めるシナリオが崩れるので伝えたくない。稲田氏はきちんと報告を上げなさいと怒る一方で、自身の答弁をめぐり野党に攻め立てられている。

 この場で陸自に日報があった件が議論されたかどうかについて、稲田氏は「報告を受けた認識はない」と語っています。監察結果では他の出席者に対する個別の聴取内容は明かされませんでしたが、監察担当者は、報告をしたという人がいる一方で報告はなかったという人が稲田氏の他にもいたため結論を出せなかった、と説明しています。

 報告をしたと主張したのが制服組の岡部氏ら、稲田氏以外で報告はなかったと主張したのが背広組の黒江氏らだったことは、想像に難くありません。しかし、この主張の食い違いをどう考えればいいのでしょう。報告はなかったと複数が言っているのなら、稲田氏の言い分だけがおかしい、という単純な話ではなくなります。

「背広組」の防衛省職員らに拍手で送られ、深々と頭を下げて退庁する黒江事務次官。日報問題で引責辞任した=7月28日午後、東京都
「背広組」の防衛省職員らに拍手で送られ、深々と頭を下げて退庁する黒江事務次官。日報問題で引責辞任した=7月28日午後、東京都 出典: 朝日新聞

「個人データ」であ・うんの呼吸?

 実は稲田氏が辞任表明した7月28日の記者会見で、2月13日と15日の会議について、初めてクリアに語られた点があります。「それまで国会で答弁していた、施設部隊の日報が中央即応集団司令部に報告され、その後破棄されたという報告を覆すような報告はまったく、一切なかったと記憶している」というものです。

 つまり、会議で陸自の日報についてこういうやり取りがあったとも考えられます。陸自の出席者は、牛嶋氏が辰己氏に1月27日に伝えたように「個人データとして存在する」と説明。背広組の出席者は、黒江氏が考えたように「個人データであれば対応は不要。統幕にあった日報を公表済みなので問題ない」と説明。稲田氏にすれば、「個人データ」をめぐる話は聞いても、情報公開法で開示すべき文書が陸自から出てきたという「報告を受けた認識はない」。つまり国会答弁を変える必要もない――。

 前述のように黒江氏は16日に岡部氏に対し、陸自にあった日報は「個人データ」という陸自の説明を受け入れて情報公開法上の開示対象外とみなし、存在の公表も不要との判断を示しています。これが二つの会議を経た結論になります。もしかしたら、この「個人データ」をめぐる制服組と背広組、そして稲田氏の「あ・うんの呼吸」が徐々に崩れ、経緯を確かめようとする特別防衛監察を通じて「言った」「言わない」の泥沼に陥ったのかもしれません。

 ただ、そもそもPKOという自衛隊の任務に関する組織内の報告は、黒江氏の言うような管理状況に関わらず「個人データではあり得ない」と監察担当者は指摘しており、あ・うんの呼吸で「個人データ」とみなせば伏せていい、という話ではありません。

 もちろん、私の考えは監察結果が正しいことを前提にした推論です。二つの会議やその前後の経緯について、誰かが自分や組織を守るためにウソをついているかもしれません。あるいは記憶違いがあるかもしれません。防衛省で政務官を務めたある政治家は「疲れている時は事務方の説明を聞き流すこともある。あんな話了承したっけと秘書官に聞いたら、したじゃないですかとよく言われた。稲田さんもそうだったんじゃないか」と話します。

防衛庁から防衛省に昇格した時の看板の除幕式。それから10年、「日報」問題で防衛省・自衛隊の情報公開への意識の低さが露呈した=2007年1月9日
防衛庁から防衛省に昇格した時の看板の除幕式。それから10年、「日報」問題で防衛省・自衛隊の情報公開への意識の低さが露呈した=2007年1月9日 出典: 朝日新聞

「最後に。隠蔽はありません」

 稲田氏は、50分近く続いた7月28日の記者会見で質問が途絶えると、「あの、最後に」と語り始めました。「国民との関係で日報はすべて提出し、隠蔽という事実はありませんでした。防衛省・自衛隊の名誉にかけて、このことだけは申し上げたい」

 しかし、監察結果では、陸自による隠蔽の意図が明確に認定されています。日報を管理する中央即応集団司令部の堀切光彦副司令官が「部隊情報の保全や開示請求増加への懸念」という理由から日報を出したくないと考え、「行政文書の体をなしていない」と指導。このため日報は「個人資料」として開示対象から外され、その後の開示請求に対しては「不存在につき不開示」とされた後で一部が捨てられていました。

防衛相として最後の記者会見で質問に答える稲田氏=7月28日、東京都新宿区の防衛省
防衛相として最後の記者会見で質問に答える稲田氏=7月28日、東京都新宿区の防衛省 出典: 朝日新聞

 では、陸自が1月にあったと言い出した日報に、防衛省・自衛隊はどう対応すべきだったのでしょう。統幕にあった日報を2月に公表したことで「国民に隠蔽はしていない」と思考停止してしまったのが現実でしたが、そもそもの情報公開請求への対応で、存在する行政文書を陸自が「不存在につき不開示」とウソをついた上に廃棄までしていたという隠蔽体質の実態を検証するところから始めるべきだったのではないでしょうか。

 2月13日と15日の会議がそうした場でなかったことは、その後の展開から明らかです。陸自に日報が残っていたことが3月に報道で明るみに出ると、「陸自には不存在」と言えなくなった稲田氏は、「報道が仮に事実とするなら、防衛省・自衛隊に対する国民の信頼を大きく損ないかねない」として特別防衛監察を指示しました。しかし、「個人データ」として伏せた陸自の日報の扱いをめぐる防衛省・自衛隊内の亀裂は、「報告を受けた認識はない」として関わりがないと言い続ける稲田氏をよそに、深まるばかりでした。

 4カ月にわたる監察で、陸自が当初は意図的に日報を隠して廃棄までしていたことを明らかにしたことは成果と言えます。それなのに、監察を命じた稲田氏自身が防衛相として最後の記者会見であえて語った最後の言葉が、「隠蔽という事実はありませんでした」とは――。稲田氏にとって、自身の辞任直前に駆け込みで結果を出したこの監察は、「隠蔽はない」という結論ありきだったのでしょうか。カメラのフラッシュが瞬くなか、澄ました顔で記者会見場を去る姿を生中継で見ながら、茫然としました。

南スーダンでの国連平和維持活動(PKO)から戻った自衛隊の部隊の隊旗返還式に先立ち、儀仗(ぎ・じょう)隊を巡閲する安倍首相と稲田防衛相(当時)=5月30日、東京都新宿区の防衛省
南スーダンでの国連平和維持活動(PKO)から戻った自衛隊の部隊の隊旗返還式に先立ち、儀仗(ぎ・じょう)隊を巡閲する安倍首相と稲田防衛相(当時)=5月30日、東京都新宿区の防衛省 出典: 朝日新聞

宙に浮く「一丸で再発防止」

 稲田氏は会見で「かねてから総理にその都度その都度、私の正直な気持ちはお伝えしていた」とも語り、日報問題で混迷が深まる中で安倍首相に辞意を伝えていたと明かしました。制服組や背広組と信頼関係を築けないまま、何かと安倍氏に相談する姿が目に浮かびました。

 ただ、監察結果に関する20ページの報告書に、首相官邸とのやり取りは一行もありませんでした。稲田氏は21日の記者会見で私の質問に対し、「官邸とのやり取りは、日報に関する一連の経過について(監察を)指示をしているので、何か意味のあることならすべて対象になると思う」と語っていました。

 監察結果で責任を問われた黒江氏と岡部氏も辞めます。2月13日と15日の会議の出席者らは次々と防衛省・自衛隊を去り、真相はいぜん薮の中です。

 「国民を守るために欠かせない組織」として、防衛省が防衛庁から昇格して10年。防衛相、事務次官、陸上幕僚長が同時に辞めるという前代未聞の事態に直面し、防衛省・自衛隊は国民に対する情報公開への意識の低さを変えられるのでしょうか。

 あの二つの会議に向き合い、反省を共有しない限りは、難しいように思います。辞任する稲田氏が語った「防衛省・自衛隊一丸となって再発防止を図る」という言葉は、宙に浮いたままになりかねません。

防衛相辞任後の離任式で防衛省・自衛隊の「制服組」や「背広組」を前に話す稲田氏=7月31日、東京都新宿区の防衛省
防衛相辞任後の離任式で防衛省・自衛隊の「制服組」や「背広組」を前に話す稲田氏=7月31日、東京都新宿区の防衛省 出典: 朝日新聞

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