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「子育てシェアハウス」に思わぬ反論、これが日本の「しんどさ」か…
7LDKの家にシェアハウスとして11人で住み「育児のシェア」をしようとしている取り組みを紹介する記事を書いたところ、思わぬ数の否定的なコメントが寄せられました。「事故があった時の責任は?」「自分たちだけで育児ができないなら子どもを作るなと思う」。コメントからただよう「しんどさ」について、記事で紹介した出産予定の女性と、同居する女性と一緒に考えてみました。
記事は5月に「出産してもシェアハウス、夫婦で社会実験中 ぶっちゃけ大丈夫?」という見出しで配信しました。この記事が転載されたポータルサイトでは100件を超すコメントが寄せられました。その大半が記事に対する否定的な内容でした。
記事への反応について、どう思ったのか? 会社員で10月に第1子を出産予定の栗山(旧姓茂原)奈央美さん(32)と、一緒のシェアハウスに住んでいる会社員で独身の阿部珠恵さん(32)の2人に話を聞きました。
栗山さんは「もちろん、私たちも第1子で、大変さはまだリアルには分からないので、批判される内容は『なるほど』と勉強させていただいています」と受け止めています。
栗山さんと阿部さんが社会人になって程なくしてリーマン・ショックがあり、世界経済は厳しい状況に。人生の先輩たちを見渡すと、夫婦共働きで何とかやりくりをしていて、かつ、女性が時短勤務をしているか、近所に住んでいる親たちが子育てをサポートしているか、という状況でした。
栗山さんは群馬県、阿部さんは山口県出身で、都内で仕事をしながら親のサポートを期待するのは正直、難しいことが想定されました。
そこで、新たな可能性として浮上したのが、家事や育児をシェアして効率化できるシェアハウスでした。
同居人との関係について、ネット上では責任の所在に対する疑問が寄せられました。
「事故があったりして子供が怪我などをすると自分の責任を棚に上げて責めるのではないか」
「実際は気が弱そうな人が幼稚園の送り迎えなどを押し付けられるのではないか」
これについては栗山さんは、前提として信頼できる友人と住んでいることに触れた上で、「親や親族が一緒にいても怪我をすることもあるし、血のつながった親でも虐待などの悲しい事件もあるので、同居人だから何かある、ということは心配していません」と指摘します。
仮に何らかの悲しい事件が起こったとしても、「最終責任はもちろん自分たち夫婦にある」との覚悟を持ち、誰かに責任を押しつけるつもりはない、と言います。
阿部さんは、シェアハウスの特徴は「いつ出て行っても良い世界」であることを指摘します。
「子育てシェアハウスは負担が大きい、と思ったら、出て行って別に家を借りるなりして住めば良い。なので、『押しつける』という力は働きづらいし、その『いつ出て行っても良い』という点でバランスが取れるのではないでしょうか」と考えています。
子どもの視点に立ったとみられる意見もありました。
「子育ては夫婦が作るその家庭の価値観の中で行うべきでは」
「大人都合の『実験』に巻き込まれる子供が可哀想」
これに対し栗山さんは「たくさんの人に触れた方が子どもの教育にとって良いのではないか」と考えているそうです。
同居人に対する心配の声もありました。
「仕事をしている独身男女が赤の他人の乳幼児の泣き声に耐え続けられるとは思えない」
「みんな育児未経験だったら無理だと思う」
独身の阿部さんは、シェアハウスでの子育てを「他人事」としてはとらえず、「明日は我が身」として受け止めている、と説明します。
そもそも、核家族で本当にうまく子育てができるか不安があり、「育児のシェア」にたどり着いた阿部さん。
「自分の子どもを育てる前に、友人の育児のサポートをすることで自身も予行練習ができる」という認識で、前向きに受け止めているそうです。
「価値観の違い」とも言える指摘も多くありました。
「他人を安易に頼りにする危機感のなさと図々しさに心底呆れる」
「自分たちだけで育児できないなら子供作るなと思う」
「親の代わりに同居人をタダ働きさせようという考えではないか」
栗山さんは、「もちろん、『安易に人をあてにする』つもりがないです」と言います。加えて「この『親や祖父母など血縁関係の人のみ子育てに関わるべき』という価値観が今の時代の子育ての難しさや、『ワンオペ育児』という言葉を生んでいるのでは」と指摘します。
「結果として、配偶者や両親を頼ることができない状況にある人は、『母親のみ』が育児責任を負うことになってしまう。それが(今の日本を覆う)『しんどさ』を生んでいる気がする」と話す栗山さん。
「昔の日本の『ご近所づきあい』というのも、村(地域コミュニティー)全体で子育てをサポートする構図になっていたのではないでしょうか」
書いた記者としては、今回紹介したような批判的なコメントがずらりと並ぶことは、正直意外でした。
こうした取り組みを読んでいただいた方全員にやって欲しい、とは思っていませんでしたし、今もその気持ちは変わりません。
ただ、「保育園落ちた 日本死ね」が流行語となった日本において、そこに活路を見いだせる人が少しでもいて救われるのならば、との思いから書きました。
AかBかという道しかないように思える状況の中で、「別に選ばなくても良いけれど、Cという道もやりようによってはあるかもしれない、ということは、知っていても悪くはないんじゃないの?」という気持ちでした。
阿部さんは、シェアハウスを「いつ出て行っても良い世界」であると説明しました。
記事でも、強くすすめるのではなく「こんな選択肢もあるよ」と提示したつもりでしたが、それに対しても、激しい言葉で反論せずにはいられない状況に対して、複雑な気持ちになりました。
「新しい生き方」は、それまでの考え方からすると刺激的にうつることがあるかもしれません。だからこそ、結論を決めつけるのではなく、そこから巻き起こる議論を通じて、様々な考え方を知ってもらうことが大事なのではないでしょうか。日本を覆っている「しんどさ」を打ち払うヒントが、そこにある気がしています。
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