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駅弁「誕生」から132年、超素朴だった最初のメニュー 進化の歴史

宇都宮駅では窓越しに売り子から駅弁を買う乗客=1982年6月
宇都宮駅では窓越しに売り子から駅弁を買う乗客=1982年6月 出典: 朝日新聞

目次

 1885(明治18)年7月16日、当時の日本鉄道が大宮―宇都宮間の開通と同時に宇都宮の旅館・白木屋が駅で弁当を売り始めました。諸説あるものの、この弁当が駅弁の発祥と長く言われてきました。それから132年。現在は、3500~4千種類にまで増え、列車だけでなく家で楽しむ人もいるほど、身近な存在になった駅弁。最初の駅弁の「素朴すぎるメニュー」から、戦争、で出稼ぎ、新幹線による変化。駅弁の歴史を振り返ります。

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シンプルです

 最初の駅弁とされる弁当の中身は、どんなものだったのでしょうか? 気になるメニューは…

「おにぎり2個とたくあん2切れで5銭」

 シンプルです。でも何だか旅っていう感じがします。

 当時、宇都宮駅前で旅館業を営んでいた白木屋の斉藤嘉平氏が、梅干し入りのおにぎり2個にごま塩を振りかけ、タクアン2切れと一緒に竹の皮に包んで販売しました。

 栃木は戦前から宇都宮をはじめ小山、黒磯、日光などに駅弁業者が集中する「駅弁王国」でした。特に宇都宮は白木屋、松廼家、富貴堂と3軒がありました。

白木屋が売り出した「おにぎり」の模型
白木屋が売り出した「おにぎり」の模型 出典: 朝日新聞
おにぎり2個とたくあん2切れで、5銭。この日に開業した宇都宮駅に登場した。
2007年7月23日:(time flies…)1885年7月16日 日本初の駅弁:AERAから
<駅弁のはじまり> 1885(明治18)年、日本鉄道の上野―宇都宮間が開業。1日4往復で片道3時間30分。駅前で旅館業を営んでいた白木屋の斉藤嘉平氏が7月に、梅干し入りのおにぎり2個にごま塩を振りかけ、タクアン2切れと一緒に竹の皮に包んで販売した。当時のお金で5銭。駅弁の発祥については諸説あるが、白木屋説が有力とされている。
2015年12月19日:(戦後70年)「ふるさと」詰まった駅弁 JR宇都宮線のおにぎりから始まった/栃木県
栃木は戦前から宇都宮をはじめ小山、黒磯、日光などに駅弁業者が集中する「駅弁王国」だった。特に宇都宮は白木屋、松廼家、富貴堂と3軒があった。
2015年12月19日:(戦後70年)「ふるさと」詰まった駅弁 JR宇都宮線のおにぎりから始まった/栃木県

駅弁王国と軍隊

 なぜ、宇都宮が駅弁王国に? 背景には軍隊の存在がありました。

 交通の要衝だった宇都宮は戦前、旧陸軍第14師団などが置かれました。県内のほか、群馬、茨城、長野から集まってくる兵隊に供出する弁当として「軍弁」を駅弁業者が手がけていました。

 戦地に向かう若者のおなかを満たした「軍弁」と駅弁には、戦争という接点があったのです。

 戦後は東北から東京に出稼ぎ向かう人たちが、宇都宮の駅弁を求めました。年末に帰省する際、30分に1本の臨時列車が黒磯駅に停車。すし詰めの客車から「お~い、弁当!」と手があがり、声がかかったそうです。

第1次上海事変に出兵のため、軍用列車で大阪臨港貨物線大阪港駅の住友倉庫側線に到着した宇都宮部隊の兵士たち=1932年3月1日
第1次上海事変に出兵のため、軍用列車で大阪臨港貨物線大阪港駅の住友倉庫側線に到着した宇都宮部隊の兵士たち=1932年3月1日 出典: 朝日新聞
交通の要衝だった宇都宮は戦前、旧陸軍第14師団などが置かれた。県内のほか、群馬、茨城、長野から兵隊が集まってきた。供出する弁当として軍弁を駅弁業者が手がけたのだ。戦地に向かう若者のおなかを満たした軍弁は、国を支える大きな柱だったとも言える。
2015年12月19日:(戦後70年)「ふるさと」詰まった駅弁 JR宇都宮線のおにぎりから始まった/栃木県
1950~60年代。黒磯駅前の老舗弁当店「高木弁当」社長だった高木慶一さん(69)は今も覚えている。東京で出稼ぎをしていた東北の人たちが年末に帰省する際、30分に1本の臨時列車が駅に止まる。すし詰めの客車から「お~い、弁当!」と手があがり、声がかかる。「それっとばかり必死になって売った。一晩で2千食売れた」。
2015年12月19日:(戦後70年)「ふるさと」詰まった駅弁 JR宇都宮線のおにぎりから始まった/栃木県

新幹線と民営化で打撃

 1982(昭和57)年の東北新幹線開通、87(同62)年の国鉄分割民営化で駅弁業に転機が訪れます。黒磯駅は新幹線が止まらず大打撃を受けたのです。

 JR発足に伴い、駅構内に様々な業種が参入、駅弁店とそば店の独壇場ではなくなりました。県内の駅弁業者は次々と姿を消していきました。

 そんな中、老舗として続けているのが松廼家です。松廼家の公式サイトには東北新幹線の写真とともに「駅弁発祥の地」という宣伝文句がうたわれています。

 ちなみに、駅弁発祥の地については、宇都宮以外にも、1883(明治16)年上野駅説や1877(明治10)年神戸駅説など、諸説あります。

宇都宮駅とともに歩んできた松廼家。ワゴンには「創業明治26年」の文字が入っている=2015年12月3日、JR宇都宮駅
宇都宮駅とともに歩んできた松廼家。ワゴンには「創業明治26年」の文字が入っている=2015年12月3日、JR宇都宮駅 出典: 朝日新聞
1982(昭和57)年の東北新幹線開通、87(同62)年の国鉄分割民営化で駅弁業に転機が訪れる。黒磯駅は新幹線が止まらず大打撃を受けた。JR発足に伴い、駅構内に様々な業種が参入、駅弁店とそば店の独壇場ではなくなった。「踏ん張り続けることができなくなった」と高木弁当は2001年、その歴史に幕を閉じた。小山駅の柏屋も、今は掛け紙だけが当時の盛況を物語っている。県内で唯一、老舗として奮闘する松廼家。今も約10種類の弁当を1日平均200個つくり、売れ残りは破棄している。
2015年12月19日:(戦後70年)「ふるさと」詰まった駅弁 JR宇都宮線のおにぎりから始まった/栃木県
駅弁の発祥は定かでない。『駅弁学講座』(集英社新書)によると、1885(明治18)年に宇都宮駅で握り飯にたくあんを添え竹の皮で包んだのが最初と、長く信じられた。しかし、83(同16)年上野駅説や77(同10)年神戸駅説など諸説ある。
2012年1月28日:(サザエさんをさがして)駅弁 世界に誇れる日本の食文化:朝日新聞紙面から

定価16万円「日本一豪華」な駅弁

 おにぎりとタクアン2切から始まったとされる駅弁。今では、超豪華弁当から個性派まで、様々な種類の駅弁が生まれています。そんな駅弁から色んな「日本一」を見てみましょう。

「日光埋蔵金弁当」
駅名;東武日光駅(栃木県日光市)など
値段;16万2000円(税込み)

 日光鱒鮨(ますずし)本舗が注文を受けて販売しています。日光彫に漆塗りを重ねた弁当箱、金箔(きんぱく)をちりばめた箸、そして、北海道産のタラバガニ、県産の高級和牛、国産大豆使用のゆば、無農薬米などを食材にした料理と、ぜいたくざんまいです。

 他にも計6種の日光埋蔵金弁当がありますが、1550円以外は「完売状態」(同社サイト)という人気です。

10万円の日光埋蔵金弁当の重箱=日光鱒鮨本舗提供
10万円の日光埋蔵金弁当の重箱=日光鱒鮨本舗提供
「日本一の豪華さ」と評判なのが「日光埋蔵金弁当」(10万円)だ。日光鱒鮨(ますずし)本舗(本店・栃木県日光市)が注文を受けて作り、東武日光駅(同市)などで売る。日光彫に漆塗りを重ねた3段重箱に、金箔(きんぱく)をちりばめたはし、北海道産のタラバガニ、県産の高級和牛、無農薬米・野菜を食材にした料理と、贅(ぜい)を尽くす。04年春から4個を予約販売した。
2006年2月2日:豪華駅弁でGO 地元の「宝」思い出に 松阪牛弁当・埋蔵金弁当:朝日新聞紙面から

グランプリ獲得「日本一満足できる」駅弁

「青森のぜいたく弁当」
駅名;東北新幹線新青森、七戸十和田、八戸、盛岡の各駅
値段;1300円(税込み)

 全国各地で売られている総菜や弁当が商品力やアイデア力、満足度などを競う「惣菜・べんとうグランプリ 2017」(日本食糧新聞社主催)の駅弁・空弁部門で優秀賞を獲得しました。

 三沢市の仕出し業「三咲羽(みさわ)や」が作っています。コンセプトは、新幹線を利用するサラリーマンが「ビール片手に楽しめる」ことや「ぜいたく・納得・満足」。

 八戸前沖サバと海峡サーモンの握りずし各4貫を中心に田子産ニンニクや茎ワサビ、地元産ゴボウなど地場産品をふんだんに使用しています。

「惣菜・べんとうグランプリ 2017」の駅弁・空弁部門で優秀賞を受賞した「青森のぜいたく弁当」
「惣菜・べんとうグランプリ 2017」の駅弁・空弁部門で優秀賞を受賞した「青森のぜいたく弁当」 出典: 朝日新聞
全国各地で売られている総菜や弁当が商品力やアイデア力、満足度などを競う「惣菜・べんとうグランプリ 2017」(日本食糧新聞社主催)で、三沢市中央町4丁目の仕出し業「三咲羽(みさわ)や」が作った駅弁「青森のぜいたく弁当」(1300円・税込み)が、駅弁・空弁部門で優秀賞を獲得した。
2017年6月22日:全国グランプリで青森の駅弁優秀賞 三沢の仕出し業者製造:朝日新聞紙面から

ロバートも協力「日本一あたたかい」駅弁

「たっぷり赤牛 牛めし弁当」
駅名;南阿蘇鉄道(南鉄)の南阿蘇白川水源駅
値段;1300円(税込み)

 熊本地震後の復興工事で瀕死(ひんし)の重傷を負った南阿蘇村の伊藤幸蔵さんが駅弁の販売を始めたところ、連日完売の人気に。

 村から舞い込んだ駅弁作りの仕事に、レシピ本も出版するお笑いトリオ「ロバート」の馬場裕之さんも加わり、一カ月かけて完成させました。

 特産のあか牛を甘く煮てご飯にかぶせ、高菜やクレソンなど地元産野菜が添えてあるこの弁当が、「呼び水になって欲しい」と本格的に観光客の戻る日を待ちわびているそうです。

伊藤さんと「ロバート」の馬場さんが考案した「たっぷり赤牛 牛めし弁当」
伊藤さんと「ロバート」の馬場さんが考案した「たっぷり赤牛 牛めし弁当」 出典: 朝日新聞
熊本地震後の復興工事で瀕死(ひんし)の重傷を負った熊本県南阿蘇村の男性が、南阿蘇鉄道(南鉄)の南阿蘇白川水源駅構内で販売を始めたあか牛の駅弁が、連日完売する人気だ。開発には、料理好きで知られるお笑いトリオ「ロバート」の馬場裕之さんも加わった。男性は、南鉄が完全復旧して本格的に観光客が戻る日を待ちわびている。
2017年4月17日:あか牛駅弁、南阿蘇に活気 カフェ店主が考案、ロバートの馬場さんも協力:朝日新聞紙面から

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