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2017年07月15日

「振り付けできなくて、歯を全部抜いたの」ギリヤーク尼ヶ崎の半世紀

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「まだ深まる。深めなきゃダメだと思ってますよ」と語るギリヤーク尼ケ崎さん

「まだ深まる。深めなきゃダメだと思ってますよ」と語るギリヤーク尼ケ崎さん

 病身を顧みず一心不乱に舞い、踊りのためには歯を抜くことさえいとわない。伝説の大道芸人ギリヤーク尼ケ崎さんの「鬼の踊り」を「祈りの踊り」へと変えた転機とは。来年、街頭公演50周年を迎えるギリヤークさんが、亡き母、妹、そして震災やテロ犠牲者への思いを語りました。


妹の供養のために…歯を全部抜いて完成させた踊り

 ――代表作の「念仏じょんがら」はどのようにして生まれたのでしょうか。

 「念仏じょんがら」は、25歳で亡くなった妹のためにつくった演目。妹はひとつの時に脳膜炎(髄膜炎)にかかって、命は助かったけど脳に障害が残りました。おばあさんになついていて、亡くなった時は、意味もわからず「ババちゃんのところに行きたい」とよく言っていた。

 その妹が亡くなる間際に、母が「ババちゃんのところに行くか?」と聞いたの。そうしたら「嫌だ」って2回首を振って。寿命が尽きる寸前に、死ぬことの意味がわかったんだろうね。

 いつか妹を供養する舞をつくりたいと思いながら、完成までに10年以上かかりました。1978年にニューヨーク公演に行く前、なかなか振り付けができなくて、歯を全部抜いたの。

「念仏じょんがら」と書かれた布を掲げるギリヤークさん=2016年、東京・西新宿

「念仏じょんがら」と書かれた布を掲げるギリヤークさん=2016年、東京・西新宿

出典: 朝日新聞

 ――踊りのために歯を全部抜いてしまうとは、尋常ではないです。

 お菓子屋の息子で、もともと虫歯も多かったし。歯医者さんに「いっぺんに抜いたら気絶して倒れる」と言われたから、2週間掛かって抜いたよ。鏡に映ったおばあさんのような顔を見て、すぐに踊りが浮かびました。

 ニューヨークでは老婆の姿で踊って、終わったら入れ歯を入れて「ジ・エンド」とあいさつしてね。そうしたら、これが受けたの。妹のためにつくった「念仏じょんがら」が、ニューヨークで完成した。総入れ歯にしてよかったよ。

入れ歯を外すと、途端に老婆のような表情に

入れ歯を外すと、途端に老婆のような表情に

母が亡くなって「空の青さが悲しみの色に感じた」

 ――ニューヨークへの渡航費用はお母様が用立てたそうですね。

 郵便局の保険を解約して旅費をつくってくれたの。あの時、母さんがお金を出してくれなかったら、「念仏じょんがら」は幻になっていたかもしれない。当時は東京の世田谷で母さんと一緒に暮らしてました。

 昔、病院で清掃の仕事をしていた頃に、ボーナスが入ったから母に反物を買ってあげたの。渋谷の東急デパートで8千円ぐらいだったかな。その時に、ハチ公前の方を指さして、「母さん、僕ここで踊ったんだよ」って言ったら、ガックリしてた。はあ~とため息をついてね。

 街頭じゃなくて舞台やホールで踊っていると思っていたんじゃない? まさか投げ銭をもらっているなんて、考えもしなかったんでしょう。何も言えなくなっちゃった。いまでも、その時のことが引っ掛かってます。僕の大道芸の原点ですね。

地面に身体を投げ出して踊るギリヤークさん=2016年、東京・西新宿

地面に身体を投げ出して踊るギリヤークさん=2016年、東京・西新宿

出典: 朝日新聞

 ――とはいえ、お母様も内心ではギリヤークさんのことを応援していたのでは。

 『鬼の踊り』(ブロンズ社)という自伝を出した時、母さんに「本ができたよ」と報告したの。そうしたら、よりによってヌードで踊っているページを開いちゃって(笑)。印税も入ったし喜んでもらいたかったんだけど、そんな話ふっとんじゃった。

 投げ銭を数えてるところを見つかって、慌てて隠したこともありますよ。ハチ公前の思い出もあって、正直に「大道芸をやってるんだよ」とは恥ずかしくて言えなかった。「お母さんを街頭に連れてきてあげたら」と言ってくれる人もいたけど、生きている間に踊りを見せたことは一度もなかった。かたくなでしたねえ。

 母さんは82歳で亡くなりました。くも膜下出血の延命治療の末に、意識不明の状態になって。僕はどうしても外せない公演で北海道にいて、死に目に会うことができなかった。北海道の空は東京よりも澄んでいて、いつも帰って来る度に空を見上げて「頑張るぞ」とやる気を出すの。でもこの時ばかりは、抜けるような空の青さが悲しみの色に感じたね。

母親の静枝さんに見られ、気まずい思いをしたというヌード写真の載った自伝

母親の静枝さんに見られ、気まずい思いをしたというヌード写真の載った自伝

 ――「念仏じょんがら」の最後に「母さん!」と叫ぶ場面があります。どんな思いで踊っているのでしょうか。

 あの最後の「母さん!」のために、全部の演目を踊っているんじゃないかという気がする。「念仏じょんがら」は妹の供養のためにつくった舞だけど、母さんのための作品でもあるから。

 母さんが亡くなってからは「大道芸っていいものなんだよ。僕、命がけで頑張ってきたんだよ」という思いで踊ってる。天国の母さんに「勝見ちゃん、頑張ってるね」「ちゃんと踊ってるね」って一言でいいから言ってほしくてね。

母・静枝さん。街頭で踊る時はいつも傍らに遺影を置いている

母・静枝さん。街頭で踊る時はいつも傍らに遺影を置いている

「鬼の踊り」を「祈りの踊り」に変えた阪神大震災

 ――阪神大震災、米同時多発テロ、東日本大震災など、各地で精力的に鎮魂の舞を踊ってきました。

 もともとは「鬼の踊り」と呼ばれてたの。洋画家の林武さんの自宅に呼ばれて踊った時に、「君のは鬼の踊りだね」と言われたのが最初。その時はほめられているのか、クサされているのかわからなかったんだけど。

 その「鬼の踊り」が「祈りの踊り」へ変わっていくキッカケになったのが、阪神大震災でした。発生から1カ月後に神戸の方から「供養の踊りをしないか」と声を掛けられて。地元の人に聞くと、半分は「いま来てもらっても余裕がない」と言い、もう半分は「こんな時だからこそ来てほしい」と言う。やる方に賭け、大阪からバスを乗り継いで神戸入りしました。

 その時、1箇所だけ間違えてしまったの。自分なりの自負をもって供養の踊りを踊ったつもりだったけど、亡くなった方々の「供養なんかいらない。もっと生きたかった」という思いが胸に突き刺さってきてね。僕の未熟な踊りよりも、亡くなった人の悲しみの方が深かったんだと思う。

阪神大震災の約1カ月後、犠牲者への祈りを込めて踊るギリヤークさん=1995年、神戸市長田区

阪神大震災の約1カ月後、犠牲者への祈りを込めて踊るギリヤークさん=1995年、神戸市長田区

出典: 朝日新聞

 ――そこから、どのようにして「祈りの踊り」を深めていったのですか。

 9・11のテロの後、ニューヨークのグラウンド・ゼロに行きました。1978年に「念仏じょんがら」を踊った運命の場所が、ああいうことになってしまった。僕は直前までグズグズ迷ってたの。下手したらまたテロが起きるかもしれない、殺されたらどうしよう、なんて。

 その時に後押ししてくれたのが、神戸で亡くなった人たちの声。「ギリヤークさん、踊ってあげなさいよ」と励ましてくれた気がしたの。震災から7年も経ってね。そこから、ハラを決めて踊りました。

テロから約1年後のグラウンド・ゼロ=ニューヨーク、2002年8月27日

テロから約1年後のグラウンド・ゼロ=ニューヨーク、2002年8月27日

出典: 朝日新聞

色っぽく、艶っぽく…でも「枯れるってことも大事」

 ――最近は体調が思わしくないそうですね。

 2年前ぐらいから調子が悪くてね。一度、京都で倒れてしまって。パーキンソン病で手は震えるし、脊柱管狭窄症で腰は痛むし。ふたつの症状が体のなかで入り乱れてる。震えだけじゃなくて、身体が硬直することもあります。心臓にもペースメーカーが入っているし、全身ボロボロですよ。

 5月20日に横浜で公演したんだけど、調子も悪いし本当は断るつもりでいたの。でも、日にちが近づくに連れて、「やるしかない」と体が上向いていくんだね。本番はコルセットをつけて踊りました。カンパも20万円ぐらいあったんじゃないかな。みんな、よくあの調子で踊れるもんだと驚いてたよ。

 ――来年、街頭公演50周年を迎えます。

 来年10月、新宿で50周年公演をやります。それで終わりではなくて、最後の締めに別の場所でもう一度踊りたい。心に決めているところがあるけど、場所は秘密です。大道芸人らしく、最後まで街頭でやりたいね。

「きょうは調子がいい」とバチで三味線を打ち鳴らすギリヤークさん

「きょうは調子がいい」とバチで三味線を打ち鳴らすギリヤークさん

 ――今後の抱負は。

 年のいった浄瑠璃の名人で、すごい人を見たことがあるの。ただそこに存在しながら、スッと人形を動かす。霊気が漂ってたよ。一生に一度でも、そういう霊気の漂う踊りを踊ってみたい。いまでもまだ追いつけないわ。

 それから年齢と関係なく、華のある芸人でいたい。色っぽく、艶っぽく。僕の目標は出雲阿国さん。阿国さんのために捧げる踊りをつくったこともあるの。伝説のような面もあるけど、精神的な意味で弟子のひとりだと思ってるから。

 華っていうのは若い頃のキレイな華もあるけど、枯れるってことも大事なんだよ。本当の意味で枯れるっていうことを、僕はまだ体験してないんだなあ。年をとってシワが寄っても色気のある人もいるでしょ。そういう色気がこれからの課題。「死の際」を感じとっていかないと。骨と皮ばっかりの身体だけどね。

 いまだに「これは」と思える境地に至ったことがない。まだ深まる。深めなきゃダメだと思ってますよ。

「出雲阿国さんのように華のある芸人でいたい」

「出雲阿国さんのように華のある芸人でいたい」

 〈ギリヤーク・あまがさき〉 本名・尼ヶ崎勝見。1930年、北海道・函館生まれ。1968年から全国の街頭で踊り続けている。著書に『鬼の踊り 大道芸人の記録』(ブロンズ社)、『ギリヤーク尼ヶ崎 「鬼の踊り」から「祈りの踊り」へ』(北海道新聞社)など。記録映画「祈りの踊り」「平和の踊り」では、製作・監督・主演を務めている。

踊りのためには歯さえ抜く! 全身大道芸人、ギリヤーク尼ケ崎の人生
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出典:朝日新聞
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