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「投げ銭の最高額は78万円」 伝説の大道芸人、ギリヤーク尼ヶ崎

「警察には78回くらいお世話に」「投げ銭の最高額は78万円」。街頭に立ち続けて半世紀近く。伝説の大道芸人ギリヤーク尼ケ崎が、総計8時間に及ぶロングインタビューで明かした芸への思い。

鎮魂の舞を披露するギリヤーク尼ケ崎さん=2015年、兵庫県尼崎市
鎮魂の舞を披露するギリヤーク尼ケ崎さん=2015年、兵庫県尼崎市 出典: 朝日新聞

目次

 半世紀近く街頭で踊り、観客からの投げ銭を頼りに暮らしてきたというギリヤーク尼ケ崎さん。パーキンソン病や脊柱管狭窄症の症状と闘いながら、80歳を超えるいまも街頭に立ち続けています。被災地やテロ現場で「祈りの踊り」を舞う一方で、「投げ銭を数えるのが楽しみ」と言ってはばからない一面も。聖と俗をあわせ持つ、伝説の大道芸人の素顔に迫りました。

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【ギリヤーク尼ケ崎の聖と俗】
「振り付けができなくて、歯を全部抜いたの」 ギリヤーク尼ケ崎の半世紀「枯れるってことも大事なんだよ」

初めての街頭は「右翼と学生と僕の三つどもえ」

 ――初めて街頭で踊ったのは。

 1968年の10月、38歳の時でした。銀座の数寄屋橋で学生さんが「○○反対!」と叫んでいて、もう一方では右翼の赤尾敏さんが演説していた。右翼と学生と僕の三つどもえ(笑)。赤尾さんの演説は浪花節の語りみたいで面白いの。

 タバコ売り場の前にベンチがあって、ここでやればいいやって。学生運動もやってるし、自由だろうと思ったわけ。200人以上は集まったかなあ。もうね、黒山の人だかり。その場でメイクを始めたものだから、何者だろうと思ったんじゃない? 若い女の子たちが、火星人でも見るような感じで目を輝かせてましたね。

 竹筒でつくった喜捨箱を置いておいたら、女子高生の2人組が恥ずかしそうに50円玉を入れてくれた。うれしくて泣けてきたね。あれがあったから、いままで50年近くやってこられた。あの時の女子高生も、元気でいればいま60代ぐらい。もう一度、会ってみたいなあ。

自宅で取材に応じるギリヤーク尼ケ崎さん
自宅で取材に応じるギリヤーク尼ケ崎さん

 ――38歳という年齢で街頭に踏み出すことに、迷いや葛藤はありませんでしたか。

 悩みましたよ。21歳で映画俳優を目指して北海道から上京したの。親には「英語の通訳になる」なんて言ってね。でも、函館弁のなまりが強くて、うまくいかなかった。それから舞踊研究所に入って、3年ぐらいで辞めて。

 10年もいたら、先生の型と同じ踊りしかできなくなっちゃう。絵描きさんは自分の描きたい絵を描くでしょ。創作舞踊も自分で創作するものだから、1人の方がいいやと思ったの。芸術っていうのは自分。自分の感情を自分で見つめて、自分で表現するしかない。自分一代だけの踊りを、一生掛けて掘り下げるんです。

映画俳優を目指していた、若き日のギリヤークさん。けっこう甘いマスク
映画俳優を目指していた、若き日のギリヤークさん。けっこう甘いマスク 出典: ギリヤーク尼ケ崎さん提供

「早く投げ銭を数えたい」 ぬれたお札にアイロン掛け

 ――半世紀近く観客の「投げ銭」で生活されているということですが、1回の街頭公演でどれぐらい稼げるものなのですか。

 いままでで一番投げ銭が多かったのは、1996年10月の新宿公演。1回で78万円も集まった。なかには1人で10万円入れてくれた人もいたよ。いいところで1万円札が入ると、1円、10円のつもりだった人も、思わず千円入れてくれる。群集心理だね(笑)。いただいた投げ銭は、明け方まで掛かって数えました。

 投げ銭を数えるのは、大道芸人の楽しみであり醍醐味。大道芸をやっている人は、本音ではみんなそう思ってるんじゃない? 踊り終わった後、打ち上げに呼ばれるんだけど、ゆっくり呑んでるヒマなんてないの。とにかく早く宿に戻って、投げ銭を数えたいわけ。

 「念仏じょんがら」という演目の最後に水をかぶるもんだから、早く投げ銭を乾かさないと、お札が破れたりくっついたりして、グチャグチャになっちゃう。ガマ口にしまえなくなっちゃうんですよ。

踊りの途中でバケツの水をかぶるギリヤークさん=2014年、兵庫県尼崎市
踊りの途中でバケツの水をかぶるギリヤークさん=2014年、兵庫県尼崎市 出典: 朝日新聞

 ――夜な夜な、お札にアイロンを掛けているというウワサを聞いたのですが。

 ホテルの部屋でお札にアイロンを掛けて、ドアからベッドまで並べて乾かすの。1万円札は破れたりしないように、慎重のうえにも慎重に温度調節して。だって、千円札10枚分でしょ。心配だから、1万円札だけはあまり長く干さない。生乾きでもしまっちゃう(笑)。

 ひとりでビール飲みながら、お札にアイロン掛けてる時が一番の快感。だから、打ち上げで乾杯するより、早く宿に帰りたいの。軽蔑する? でも僕はそのために踊ってるんだと胸を張っていたいね。

投げ銭の話題になった瞬間、この日一番の笑顔を見せるギリヤークさん
投げ銭の話題になった瞬間、この日一番の笑顔を見せるギリヤークさん

 ――そもそも泥棒に入られたことはあるんですか。

 一度もない。厳重にカギを掛けてるから。それでも夜中に2回は起きて、「よし、あるな」と投げ銭を確認する。1万円札とか高いお札ほど、寝床の近くに置いて寝るの。

 ――忍び込んだ部屋にお札が敷き詰めてあったら、さすがの泥棒も「これはヤバイ」と思うでしょう。

 泥棒が入ったら心理を聞いてみたいね。何かの罠だと思うんじゃない? 半分は盗れるもんなら盗ってみろって思ってるけど。

一心不乱に叫び、踊るギリヤークさん=2009年、兵庫県尼崎市
一心不乱に叫び、踊るギリヤークさん=2009年、兵庫県尼崎市 出典: 朝日新聞

「警察のお世話になったのは78回ぐらい」

 ――街頭で活動していると、警察から注意を受けることもありますよね。

 これまで警察のお世話になったのは78回ぐらい。秋田の大館にいた頃、神社の境内で踊りの練習をやっていたら、痴漢と間違われて警察に連れていかれたの(※ギリヤークさんは一度上京したものの、父親の体調悪化などに伴い1957年から3年間、大館で過ごした)。

 ふんどし一丁だし、奇妙な人間だと思われたんでしょう。取り調べの警察官に「お前がやったんだろう」と催眠術みたいに繰り返し追及されて。負けちゃいけないと、僕も下っ腹に力を入れて「やりません」と何度も答えました。

 そうこうしているうちに、被害者の女性が首実検で「あの人は違う」と言ってくれて釈放されました。何度も警察のお世話になったけど、この時が第1回目ですね。

年季の入った「青空舞踊公演」の掛け軸。「上演時間は15分。実際には30分やるとしても、そう書くの。15分ぐらいなら見ていこうと思うでしょ」
年季の入った「青空舞踊公演」の掛け軸。「上演時間は15分。実際には30分やるとしても、そう書くの。15分ぐらいなら見ていこうと思うでしょ」

 ――街頭で踊り始めた1968年以降では、いかがですか。
 
 新宿の西口広場で千人以上集まったことがあって、あの時はお客さんの顔が投げ銭に見えた(笑)。ところが、街頭で踊る時に引っかかってくるのが道路交通法なの。お巡りさんが来て「許可がないなら、ただちにやめてください」と言われて。いまさら中止にできないないから踊り出したんだけど、途中で連行されちゃった。
 
 なかには理解を示してくれるお巡りさんもいましたよ。僕が踊り終わって、投げ銭をしまうのを見届けてから声を掛けてきて。「もう終ったか。あんまり派手にやるなよ」って。青森県の出身で、踊りの時に流すじょんがらの音色が懐かしかったみたい。

 1983年、84年に両ひざの半月板を手術して、何カ月も休んだ後に渋谷のハチ公前で踊ったの。超満員で盛り上がったんだよ。若いお巡りさんさんが止めに入ったんだけど、お客さんが「帰れ、帰れ!」「(踊りを)やれ、やれ!」って叫んで。お巡りさんには気の毒だったけど、再起を賭けた公演だったから、お客さんの応援がありがたかったね。もしあそこで捕まっていたら、辞めていたかもしれない。

警察で母印をとった際の様子を再現するギリヤークさん。「5本指全部。指の上から強く押しつけられるようにしてとりました」
警察で母印をとった際の様子を再現するギリヤークさん。「5本指全部。指の上から強く押しつけられるようにしてとりました」

ヤクザに因縁、お客さんが助けてくれた

 ――海外でも捕まったとか。

 パリのシャンゼリゼ通りで踊った時に、警察署に連れていかれました。「芸術の都」というぐらいだし、ふんどし一丁でも大丈夫だろうと思ったら、私服の刑事がバーッと駆けつけてきて護送車に乗せられて。罰金も覚悟したけど、日本語のできるフランス人のジャーナリストの人が一緒に来て警察に掛け合ってくれたの。

 警察の偉い人からは「あなたの衣装はちょっと派手すぎます。シャンゼリゼはパリの顔。ほかの場所でやるなとは言いませんが、ここではご遠慮ください」と言われて。粋だなあと思いましたね。

 モスクワの赤の広場や中国の万里の長城でも踊りました。万里の長城はね、見張りの警官が戻ってくるタイミングを計算して、ずっと遠くまで行ったところで隙をついてやって。日本で警察の厄介になった経験が生きましたね。あ、別に権力に反対しているわけではないの。政治的なことは難しくてよくわからないし。

さすがにシャンゼリゼはふんどしNGだった…=2011年、北海道・根室
さすがにシャンゼリゼはふんどしNGだった…=2011年、北海道・根室 出典: 朝日新聞

 ――警察沙汰以外でも、路上はトラブルが多そうです。
 
 渋谷で投げ銭を持って帰ろうとしたら、地回りのヤクザに「おい、半分よこせ」と言われたことがあってね。その時はお客さんが守ってくれたの。「その人をいじめるな」「命がけで踊って稼いだお金を、よこせとは何事だ」って。学生さんやサラリーマン、奥さんとかが「早く逃げなさい」ってバスまで連れて行ってくれて。

 ――要所要所でお客さんに助けられていますね。

 ホームレスのおばさんは、いつもいの一番に500円ぐらい投げ銭をくれる。「私もカンパしたんだから入れなさい! タダ見はダメだよ」ってほかのお客さんに呼びかけてくれるの。

 右翼の人にもファンがいて、僕が行くと街宣の音楽を止めてね。「ギリヤーク先生の発表がありますから、どうかご覧ください」なんて紹介してくれたこともありましたね。

 僕の発表の場は街頭しかない。大道芸人には街頭しかないんだなあ。踊って投げ銭をもらって生きていく。僕の人生の住処、生き様みたいなもんだね。

時には観客と踊ることも。「いつもキレイな人ばかり選んでるって言われる。でも案外ロマンスはないね。終わったら早く投げ銭を数えたいし」=2006年、大阪市中央区
時には観客と踊ることも。「いつもキレイな人ばかり選んでるって言われる。でも案外ロマンスはないね。終わったら早く投げ銭を数えたいし」=2006年、大阪市中央区 出典: 朝日新聞

 〈ギリヤーク・あまがさき〉 本名・尼ヶ崎勝見。1930年、北海道・函館生まれ。1968年から全国の街頭で踊り続けている。著書に『鬼の踊り 大道芸人の記録』(ブロンズ社)、『ギリヤーク尼ヶ崎 「鬼の踊り」から「祈りの踊り」へ』(北海道新聞社)など。記録映画「祈りの踊り」「平和の踊り」では、製作・監督・主演を務めている。

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