話題
ポテトチップスに〝新たな試練〟 愛される「国民食」の味の背景には
話題
ポテトチップス、何味が好きですか?好きな味や思い出を語りたくなるポテトチップスが、新たな試練に直面していると聞きました。記者がメーカーに同行し、ジャガイモの一大産地の北海道を訪ねました。(朝日新聞記者・山下裕志)
大人たちの「ポテトチップス語り」が止まらない――。編集者・ライターの稲田豊史さんは、ポテトチップス好きが高じて友人と開いた「ポテチ会」で、そんな状況に驚いたといいます。
予約困難店での美食会にしろ、ワインの飲み比べにしろ、大人の食をテーマにした集まりには、ハードルの高さがあると稲田さんは指摘します。
ともすると知識のマウンティング合戦になりがちです。高級食材には権威さえつきまといます。
これに対して、ポテトチップスは安く手に入り、誰もが語りうる「寛容さ」があるといいます。
「今ふうの言葉で言うなら、インクルーシブな(誰も排除しない)食べ物だ」
稲田さんは著書「ポテトチップスと日本人 人生に寄り添う国民食の誕生」(朝日新聞出版)にそう書いています。
確かに、ポテトチップスを取材していると話すと、尋ねもしないのに「私はコンソメ派です」と好みを語り出したり、「子どものころに母親と……」と記憶を披露したりする人によく出会います。
「あのメーカーのポテトチップスの味は粉でごまかしている」とか、「これだけ1袋の量が減ると、空気を詰めて売っているようなもの」とか、愛憎入り乱れた文句が出ることも。それだけ身近にあり、誰もが一家言を持つ存在ということでしょう。
かくいう記者自身、幼い頃は九州出身者としてカルビーの「九州しょうゆ」が一番おいしいと誇りに思っていました。
大学進学で上京して初めて食べたからか、「堅あげ」にはなぜか思い出補正の都会っぽさを感じてしまいます。
ポテトチップス好きからみると邪道かもしれませんが、ジャガイモをそのままスライスするのではなく、フレーク状にして形を整えて揚げた「成型ポテトチップス」の軽さにも最近はひかれています。
諸説ありながらも、米国で生まれたとされるポテトチップス。日本での歴史をひもとくと、太平洋戦争後にハワイから帰国した濱田音四郎氏が「フラ印」のブランドで売り出したのが、そのはしりとされています。
その後、湖池屋が1962年に日本人の味覚を意識した「のり塩」を発売。ちなみに「ポテチ」の略称は、湖池屋の登録商標でもあります。
今や業界トップのカルビーは、1975年に「うすしお」を出して市場に参入し、ことしで50年の節目を迎えました。
そんなポテトチップスが新たな試練に直面していると聞き、ジャガイモの一大産地の北海道を訪ねました。
記者が同行取材したのは、カルビーグループの原料部門、カルビーポテトで働く佐久間彩南さん(23)。農家と二人三脚でジャガイモを育てる「フィールドマン」で、全国に約50人いるうちのひとりです。
佐久間さんの頭を悩ませていたのが、気候変動でした。
北海道にも記録的な猛暑が襲い、ジャガイモに病気が発生したり、貯蔵庫の温度管理にこれまで以上に気を配ったり……。
干ばつが起きれば、ジャガイモの成長が妨げられます。新たに肥料を追加しますが、量が多すぎると今度は品質に関わってきます。
思えば3年前、カルビーの伊藤秀二社長(当時)はインタビューでこんなことを言っていました。
「ポテトチップスは、ジャガイモさえ届けば工場で30分あればできる商品で、ほとんどジャガイモを売っているのに近い。ジャガイモは生命線で、農業を直接やっているようなものです」
今夜も帰路のコンビニで、ポテトチップスの棚についつい手が伸びるでしょう。いつものようにおいしいポテトチップスが食べられる意味を、少し考えながら。