話題
16カ国のサッカークラブを渡り歩いた男の「契約を勝ち取る」処世術
プロサッカー選手になる夢を社会人になっても諦めず、計16カ国で挑戦を繰り返し、ついに南米ボリビアでかなえた日本人がいます。競技人口が少なく競争率が低い国へ行き、「日本の歌、歌ってよ」とむちゃぶりされてもノリノリで返す。非エリート選手がフィールドでつかんだ「七つの処世術」を聞きました。
16カ国のサッカークラブを渡り歩いたのは、菊池康平さん(34)です。
菊池さんの「処世術その1」は「日本でダメなら世界に出る」。
日本でトップになって世界に挑戦する。普通は、そう思いがちですが、実は、国によっては、日本の方がレベルが高いことも少なくありません。
有名なのは猫ひろしさんです。芸人の猫さんは、当然、陸上エリートではありません。国籍を変えてカンボジア人となり五輪出場を果たしました。
菊池さんは明大中野八王子高校時代、FC町田ユースというチームに所属。チームは全日本クラブユース選手権出場を果たしましたが、ベンチ入りはできず、いわゆる「エリート選手」ではありません。
高校卒業間際には、進学予定の明治大学のサッカー部で練習生になりましたが、周囲のレベルの高さに圧倒され、「4年間、試合に出られないのでは」と最終的に入部しませんでした。
そんな時、シンガポールへのサッカー留学があることを知り応募。チームは「明大サッカー部の方がうまかった」そうです。
「処世術その2」は「自分でやれば安い」です。
シンガポールでは、限られた外国人枠に、ブラジルやナイジェリアなど世界中から選手が集まり、結局、入団はかないませんでした。
現地で頼んだあっせん業者がほとんどフォローしてくれなかったので、明日の練習にも参加して良いのか、などの監督とのやりとりはあまり得意ではない英語を使って自分でやりました。
その時、「チームの連絡先と、どこで練習をしているかが分かれば、コーディネーターは不要なんじゃないか」と思うように。翌年は香港とオーストラリアに挑戦しました。
シンガポールの時のように、業者にお願いしていたら費用がかかって、何カ国も挑戦することはできませんでした。
そして、現地で菊池さんがやったのは、「道場破り」スタイル。インターネットで調べたり、地元サッカー協会に聞いたりして、一つ一つしらみつぶしに練習場所に行きました。
アポを入れて練習参加が認められたところもあれば、断られても練習着を着て行ってみたら練習生と勘違いされて参加できたりしたそうです。
「時間になったら練習着姿で選手に握手をしてもらい、監督を教えてもらう。監督に『許可は取ったのか』と言われた際、『取っていない』と答えても、『じゃあ、今日だけは良いけれど、明日から来るなよ』となる。そこで結果が良ければ、練習後、『お前、なかなか良いから明日も来い』と、明日がどんどんできていくんですよ」と語ります。
「処世術その3」は「二足のわらじもOK」です。
実は、菊池さん。ちょうど5カ国目の挑戦が終わった段階の2005年、普通に就職しています。
人材派遣会社「パソナ」に入社。それでも、長期休みなどを利用し、「道場破り」を続けます。
タイ、マレーシア、ブルネイ、モルジブ、マカオ、ベトナム、カンボジア、フィジーで挑戦し続けた菊池さん。途中、ケガをしたことで、さらに思いが強まり、会社に思いを理解してもらって08年から1年は休職し、より本格的に「道場破り」の日々に入ります。
12カ国目であるパラグアイを経て、その隣国のボリビアへ。サンタクルス州1部リーグに属する「CLUB DEPORTIVO UNIVERSIDAD」というチームに行きました。
初日の練習が練習試合だったのですが、前日まで食中毒で入院していたことで変に気負いがなく、たまたま蹴ったロングキックが良い場所に飛んで得点をアシストできたり、185センチの長身を生かしたヘディングで次々と相手の攻撃の芽を摘んだりと、「今まで生きてきた中で一番良いプレーができた」。
その日はオーナーが見に来ていたため、「こいつはすごい。すぐ契約だ」となり、日本円換算で月給約8千円程度ではありましたが、ついに初のプロ契約を勝ち取りました。
「処世術その4」は「あきらめが悪くて何が悪い」です。
ボリビアで念願のプロサッカー選手になった菊池さんですが、「夢はかなったようでかなっていない」と言います。移籍手続きのトラブルでシーズンが終わるまで、試合に出られなかったのです。
そのため「たくさんのお客さんが入っている前で試合に出たい。そうしたら、いろんな国で駄目だったことが、最後は良い思い出になる」との思いから、その後もインド、モンゴル、ラオスでも挑戦し、行った国は計16カ国に達しました。
実は菊池さんは、今では仕事はフリーランスとなり、小中高校で講演をしたり、専門学校でスポーツキャリア論の非常勤講師になったりしています。
古巣のパソナからの業務委託でアスリートのキャリア相談を引き受けたり、ライター活動もしていたりしますが、思いはさめていません。
短期の公式戦だけの契約でも良いから、海外チームとプロ契約が結べないか、と考え、サッカーの練習は欠かしていないそうです。
「処世術その5」は「自分の武器はわかりやすく」です。
16カ国を渡り歩いた経験から、菊池さんが学んだことは……「分かりやすい武器を作ること」です。
菊池さんがボリビアでプロ契約を勝ち取った際は、185センチの長身からのヘディングが光りましたし、他の国では、持久走が得意だった点を評価されたことがありました。
平均的な選手だと、他の選手に埋もれて、特にアピール力が物を言う外国人枠には入り込めないと語ります。
これはビジネスに置き換えたら、英語力かもしれないし、プログラミング能力かもしれません。
「処世術その6」は「むちゃぶりでも何か返す」です。
菊池さんは、人間関係を作れる力やコミュニケーション力の大切さも大事だと強調します。
技術力の差が小さい選手同士だと、結局はコミュニケーションが取れる方が選ばれる傾向があるとのこと。
「日本の歌、歌ってみろよ」とか、アップの際に「日本で流行している体操をやってくれ」とむちゃなことを言われても、とりあえずやってみる。そうすると、「面白いな、お前」となって、食事に誘われ、チームに溶け込むことができるようになるそうです。
そうすると、たまたまみんながいる場所にいないと、逆に「何で来ないの」と言われたりする。菊池さんは、食事に誘われたら絶対に断らなかったそうです。「そういうノリの良さっていうんですかね、大事かもしれないですね」と語ります。
最後は「できない理由を作るな」。
菊池さんは学生らに自分の話をする際、いつも、そう伝えています。
「僕なんか、できない理由だらけじゃないですか。コネもないし、力もないし、言葉もできないし。そのできない理由を考えたらたぶん、僕、1回も行っていないと思うんですよ。できる理由を考えよう、という話をしています」
挑戦しようとする人たちに対しては、「飛び込めば良いじゃん、言葉ができなくても、辞書を持って行けば良いじゃん」。そう伝えたい、と考えているそうです。