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JAY'ED「気付いたら過去の曲に頼っていた」仲間に支えられリスタート
2008年にメジャーデビュー後、「ずっと一緒」「最後の優しさ」「明日がくるなら」(JUJU with JAY'ED名義)で注目されたJAY'EDさん。その後はなかなかヒット曲に恵まれませんでした。今年、EXILEが所属するLDHと契約、3年振りにオリジナルアルバム『Here I Stand』をリリースしました。「ヒット曲が出なかった時期は数字に振り回され、純粋に音楽と向き合えていなかった」と言うJAY'EDさん。くすぶっていた時、支えになったのはEXILEのATSUSHIさんら、仲間の存在だったと言います。(ライター・黒川秀紀)
――JAY'EDさんは、日本人の父とニュージーランド人の母を持ち、幼い頃は母の母国で暮らしていたそうですね。10歳から家族で大阪に引っ越してきたそうですが、そもそもの音楽との出会いは何だったのでしょうか。
単にリスナーとして音楽は好きでしたが、カラオケとかで歌うキャラでもありませんでした。高3になって進路を考えた時も、やりたいことが特になくて、ついには高校も辞めてしまいました。
当時は工事現場で働き、仕事が終わったら友達と遊びにいく毎日で、それが楽しくて「こんな生活でいいや」という感じ。目標も持たず、友達と一緒にいても意見を言わずに周りに合わせてしまうおとなしいタイプでした。
でも一方では、アイデンティティーを持たない自分に何となく不安や嫌気を感じていて……。そんなもやもやした気持ちでいた時に、友達にライブに誘ってもらったんです。
当時人気のあったケイシー&ジョジョ(K-Ci & JOJO)というR&Bグループで、彼らの音楽が観客を魅了しているのを見て衝撃を受けました。僕自身も数日間、ライブの興奮が余韻として残っていたんです。
その時に音楽のパワーを感じて、「自分も歌ってみたい」と初めて自分から行動を起こしました。今まで歌うキャラではなかったので、当然、恥ずかしさもありましたが、友達に隠れて1年ぐらいブラックミュージックを練習したんです。
そして練習を積み重ねていくうちに、音楽が自分に欠かせないものと強く思え、「プロになりたい」と初めて“目標”を持てたんです。
――プロを目指してクラブで歌い始め、インディーズシーンで注目をあび、2008年にはついにメジャーデビューしました。JUJUさんとのコラボで注目されるなど順風満帆という感じでしたが、そのままの勢いに乗れなかった感じがします。
それはありますね。インディーズから出てメジャーデビューもできたので、やっぱり高い目標とか自分で設定してやっていました。少しずついい形になっていくなかで、周囲の期待もひしひしと感じるようになっていきました。その結果、例えばCDの売り上げなど、少しでも求めているラインに届かないと、反動が強くて、落ち込んだりしたんです。
デビュー当初は、いい音楽を多くの人に届け、感動してもらえたら。そして自分がブラックミュージックによって“目標”を見つけられたように、多くの人にパワーを分け与えたいというポジティブな思いがありました。
でも、周囲の期待が手に取るようにわかり、数字的な結果をださなきゃといろいろ考え過ぎたんだと思います。今思えば、そのまま純粋な自分と向き合うべきだったんでしょうね。
――JAY'EDさんがデビューしたころから、音楽もデジタル配信などが進み、CDが売れない時代と言われるようになりました。インディーズとメジャーの垣根もあいまいになりはじめ、音楽業界全体が大きく変わりつつある時代でもありましたよね。
その通りですね。そういう話は聞いていましたが、制作チームのことを考えると、CDセールスとか少しでも上げていきたいという思いが強くて。そういう時期なんだと割り切り、受けとめれば、数字に振り回されなかったかもしれません。
――そんななかで他のアーティストとのコラボは積極的でした。
元々好きで、インディーズ時代からフィーチャリングやコラボレーションはしていました。特別な意味はなくて、「この人と一緒にやったら何か面白い音楽ができるなか」という興味からです。彼だけ、彼女だけでは生まれないもの、僕だけでも生まれないものが、2人でやれば化学反応みたいに、新しい音楽が生まれます。それが楽しい。音楽の向き合い方やジャンルが違う場合もあるので、勉強にもなるし、そういう意味でもコラボは積極的にやってきました。
――来年、デビュー10周年を迎える年に事務所とレーベルを移籍しました。新しい事務所LDHへは、EXILEのATSUSHIさんに誘われたそうですね。
はい。ATSUSHIさんとは10年来のお付き合いです。インディーズ時代、初めて東京でライブをした日の打ち上げで、お会いしたんです。当然、「うわ~、EXILEだ! 東京スゲー」みたいな感じだったんですが(笑)、なぜか音楽の話で盛り上がって意気投合し、その後もたまに会っていました。
去年、久しぶりに飲んだ時、「一緒に音楽をやろうよ。よかったらウチ(LDH)に来ない?」とATSUSHIさんが言ってくれて。でも飲み会の席だし、半信半疑でしたが、翌日、LINEで「昨日の話だけど、マジでよかったら来てほしい」と、それがすごく長い文章で送られてきたんです。
正直、煮詰まっている自分がいて、「また歌えるチャンスがあるなら、しかも尊敬するATSUSHIさんに誘われたのなら断る理由もない」と決断しました。
――くすぶっている自分に気付いていて、何かを変えたいという思いを持ち続けてていたのでしょうか。
全国各地でライブをして、昔の曲を歌っていればファンは喜ぶし、それで生活はできます。それはそれで成立するけど、心のどこかで「アーティストってそういうものじゃないよな」って感じていました。
でも、新曲を作らない自分がいて、気付いたら、過去の曲たちに頼っていたんです。アーティストは、何もないところから音楽を作って、人に何かを感じさせるものだと思います。それをないがしろにしていたというか、そういう勝負をしなくなった自分がいて、時間が流れるにつれ、どんどん勝負ができなくなっていきました。
「もし失敗したらどうしよう」という恐怖があり、その心の弱さに負けてしまった自分がいて……。
それに気づき、「音楽を始めたのは、お金や名声のためでなく、人に喜んでもらったり、気持ちを高揚させるため」と初心に戻ったり、「やっぱり自分には音楽しかない」「もう一度勝負したい」と思い始めた時に、ATSUSHIさんに声をかけてもらったんです。
だから今回は、リスタートであり、デビューの気持ちでやりたいと思っています。
――ATSUSHIさんは最新アルバム『Here I Stand』で、プロデュースも担当しています。
最初はお願いするつもりはありませんでした。LDHに入り、「リスタート」という言葉がすぐに頭に浮かび、今までを振り返りました。すると、自分がダメな時に、いつも支えてくれる仲間がいたことに改めて気づきました。そして多くのスタッフにも支えられてきたと……。
ATSUSHIさんだって、こういうふうに僕にチャンスをくれた1人。仲間がいて、支えがあって、そのおかげで僕はこうやってここに立ち、今日、歌えるわけです。だから「Here I Stand」というアルバムタイトルにしようと思ったんです。
それをATSUSHIさんに話したら、このコンセプトをすごく気に入っていただいて、いろいろなアドバイスをいただいた最後に「よかったら俺もこのプロジェクトにサウンドプロデューサーとして参加してもいいかな」と言ってくれて。
――リスタートという意味では、1stステージである過去を切り捨て、新たなJAY'EDを打ち出すのかと思いました。しかしアルバムには、過去曲も収録されています。その理由は?
過去の曲に頼っている自分が嫌だったのですが、これはATSUSHIさんの提案でした。
「代表曲を今のJAY'EDとしてリメイクしてもいいと思う。なぜなら、デビューしてから時間が経っているし、JAY'EDのことを知らない人もいるから、“こういうアーティストだよ”っていう曲も必要だよ。それに、それをやるならこのアルバムしかないから」と。
確かに、「ずっと一緒」はライブでも歌い続けてきたし、年を重ねた自分が、今、どういうふうに歌うのか興味もわきました。
――アルバムリード曲「Here I Stand」は、作詞がATSUSHIさん、作曲がさかいゆうさんです。
アルバム名と同じタイトルですが、最初にアルバムコンセプトを決めた時、リード曲はアルバムコンセプトを歌詞に反映させたバラードにしたいと思いました。自分でもバラードは作りますが、今回は新しさを感じたいと思って、さかいゆうさんにお願いしたんです。
いろいろなデモ曲を流しながらATSUSHIさんと打ち合せをしていた時、さかいさんの曲がかかって、「この曲で、コンセプトに合った詞を俺が書いてもいいかな」と言ってくれて。
その数日後、LINEで歌詞が送られてきて、ATSUSHIさんが歌ったデモも届きました。メモが一緒に入っていて、「変えたいところがあったら変えてもらっていいから。デモをまねる必要もないし、JAY'EDの歌だから、JAY'EDの好きなように歌って。最悪、このデモは聴かなくてもいいから」と書いてありました。
――「Here I Stand」の歌詞は、JAY'EDさんのこれまでの軌跡をきちんと見ていて、理解したうえで、応援をしてくれている内容です。ATSUSHIさんからJAY'EDさんへの温かいメッセージが伝わってきます。
ATSUSHIさんから僕へのエールを感じますし、「唄い手はこれぐらいの気持ちでやらないといけない」という“志”を教えてもらっているような気持ちになりました。ATSUSHIさんのデモを聴きながら、何度も歌詞を読んで、いろいろなこと思い出しながら、その晩は家で泣きました。
――仲間からの愛をいちばん感じる瞬間はどんな時ですか。
挫折があったからこそ、それをより明白に感じるようになった気はします。僕がLDHに入った時も、DOBERMAN INFINITYが曲を一緒にやろうとすぐに連絡をくれました。「俺たちがJAY'EDを盛り上げなきゃ」という仲間たちの思いを感じます。そういう意味では、この2ndステージが1stステージとは大きく違う部分かもしれませんね。
――学校や仕事場での人間関係が原因だったり、社会に息苦しさを感じたり、さまざまな葛藤から心が折れそうになる人も少なくないと思います。JAY'EDさんは、心が折れそうになった時の頑張れる源は何でしたか?
僕の場合は、僕の音楽を聴いてくれる人たちと、身近にいる仲間の存在ですね。インディーズ時代は自分でCDを作って、クラブとかでフライヤーをまいたりしていました。
そんな苦労していた時代から僕を見ていた人がいて、「メジャーデビューしてもうまくいかない。俺1人では何もできない」と弱音を吐いていたら、「今まで1人でやってきたヤツが何を言っているんだ」とすごく怒られて。普段、温和な人が自分のために真剣に怒ってくれて、目が覚めました。
ATSUSHIさんをはじめ、自分のことを見てくれている人がいるから、どんなことがあってもしっかりやらなきゃと思いました。
――最後に、どんな2ndステージにしたいですか。
まず“Here I Stand”と歌っている以上、引くに引けません(笑)。僕自身は一度、挫折を味わっているので、だからこそブレずに音楽と向き合い、「Hear I Stand」のように、しっかり音楽を届けていきたいと思います。