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名古屋城が燃えた日、東京大空襲より「B29」が多かった理由

1945年5月14日未明の空襲で焼失、石垣だけが残った名古屋城。1946年ごろ撮影
1945年5月14日未明の空襲で焼失、石垣だけが残った名古屋城。1946年ごろ撮影 出典: 朝日新聞

目次

 市長選の争点にもなった名古屋城。5月14日は、その名古屋城が空襲によって焼失した日です。戦争末期、1945年のことでした。名古屋城の歴史を振り返ります。

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姫路城の約2倍の規模

 名古屋城は徳川家康の命で1610(慶長15)年に築城がはじまり、2年後に5層5階、石垣上の高さ約36メートルの天守が完成しました。

 天守は延べ床面積4564平方メートルで姫路城の約2倍の規模がありました。1930年に国宝に指定されましたが、1945年5月、アメリカ軍の空襲で天守や本丸御殿が焼失しました。

 天守は1959年にコンクリート製で再建され、一帯は国の特別史跡に指定されています。

1945年5月の空襲で焼失する前の名古屋城
1945年5月の空襲で焼失する前の名古屋城 出典: 朝日新聞
徳川家康の命で1610(慶長15)年に築城開始。2年後に5層5階、石垣上の高さ約36メートルの天守が完成した。天守は延べ床面積4564平方メートルで姫路城の約2倍の規模があった。1930年に国宝に指定されたが、45年5月、米軍の空襲で天守や本丸御殿が焼失。天守は59年にコンクリート製で再建された。一帯は国の特別史跡に指定されている。2015年度の入場者数は約174万人。本丸御殿は木造復元工事中で18年3月末までに全面完成する。
2017年3月23日:天守木造化、可決へ 3党、予算案賛成に転じる 名古屋市議会:朝日新聞紙面から

日本に降伏を迫るため

 名古屋城への空襲は、大編隊を組んだ都市圏への最初の空襲でした。その目的は、日本に降伏を迫るためでした。

 アメリカ軍の報告書では、B29爆撃機での攻撃目標を「名古屋城周辺」などとし、城を右旋回する形で人口が密集する5カ所に設定。名古屋城は直接の目標ではありませんでしたが、巻き添えとなったといわれています。

 サイパンやグアムを出撃し、名古屋に向かったB29は524機。約10万人の死者を出した3月10日の東京大空襲より200機も上回る、当時としては過去最大の編隊でした。16グループに分かれ、午前8時5分からの80分間に2515トンの焼夷(しょうい)弾を波状的に投下しました。

 アメリカ陸軍航空軍の公刊戦史によると、アメリカ軍は沖縄での地上戦で多くの犠牲者を出したため、5月8日のドイツに続いて、日本を降伏させようと急いでいました。そのための「新たな焼夷弾空襲の最初のターゲットが、名古屋市北部の市街地だった」と記しています。

 名古屋へは、名古屋城を焼失させた5月14日を含め、終戦までに約2600機の米軍爆撃機の飛来があり、60回ほど空襲があったとされ、死者数は7800人以上、被害戸数は13万5千戸以上といわれています。

1945年5月14日未明の空襲で猛煙に包まれて炎上する名古屋城
1945年5月14日未明の空襲で猛煙に包まれて炎上する名古屋城 出典: 朝日新聞
太平洋戦争末期の45年5月14日に、国宝だった名古屋城を焼き、多くの死傷者を出した空襲のほぼ全容が、米軍の報告書で明らかになった。米軍はB29爆撃機での攻撃目標を「名古屋城周辺」などとし、城を右旋回する形で人口が密集する5カ所に設定。日本に降伏を迫るため、大編隊を組んだ都市圏への最初の空襲だった。名古屋城は直接の目標ではなかったが、巻き添えとなったとみられる。
2005年5月14日:名古屋城炎上の空襲、爆撃目標は5カ所 大編隊、市街狙う 米軍報告書:朝日新聞紙面から
また、米陸軍航空軍の公刊戦史によると、米軍は沖縄での地上戦で多くの犠牲者を出したため、5月8日のドイツに続いて、日本を降伏させようと急いだ。そのための「新たな焼夷弾空襲の最初のターゲットが、名古屋市北部の市街地だった」と記す。
2005年5月14日:名古屋城炎上の空襲、爆撃目標は5カ所 大編隊、市街狙う 米軍報告書:朝日新聞紙面から
名古屋市内への空襲が本格化したのは1944年の12月。45年3月の12、19、24日は市街地が集中的に攻撃され、3日間で2900人以上が死亡したとされる。名古屋城を焼失させた5月14日を含め、終戦までに約2600機の米軍爆撃機の飛来があり、60回ほど空襲があったといわれる。死者数は7800人以上、被害戸数は13万5千戸以上とされる。
2015年3月10日:(戦後70年)名古屋城炎上、継承いま 専門学校講師らが映画:朝日新聞紙面から

木造化、完成は5年半後

 現在の名古屋城の天守はコンクリートによる複製です。1959年の完成。工事費は6億円(市試算で現在の106億円に相当)で、名古屋の復興を象徴する一大事業でした。現在は市が所有、管理しています。

 再建から半世紀以上が経ち、「老朽化」が問題になり、市の2010年度の調査で、震度6強以上の揺れで倒壊する恐れが強いという結果も出ました。

 そんな中、出てきたのが、河村たかし市長による木造化の構想です。もともと、初当選直後の2009年から「都市として自慢できるものが欲しい。コンクリート製では名古屋人として寂しい」と訴えていました。

 2017年4月にあった名古屋市長選で、名古屋城天守木造化を掲げた河村市長が再選。5月には市が江戸時代半ばにあった「宝暦の大修理」後の姿で復元する方針を決めました。

 市が木造化のために施工業者と結んだ基本協定では、完成は約5年半後。最大505億円の事業費は入場料で賄う計画になっています。

戦前の名古屋城本丸全景。左から天守閣、西南隅櫓(未申櫓)、表二之門、東南隅櫓(辰巳櫓)。名古屋城は明治以降、宮内省の名古屋離宮となったが、1930年、名古屋市に下賜され、1931年1月11日から一般公開された
戦前の名古屋城本丸全景。左から天守閣、西南隅櫓(未申櫓)、表二之門、東南隅櫓(辰巳櫓)。名古屋城は明治以降、宮内省の名古屋離宮となったが、1930年、名古屋市に下賜され、1931年1月11日から一般公開された
今の天守はコンクリートによる複製だ。59年の完成。工事費は6億円(市試算で現在の106億円に相当)で、名古屋の復興を象徴する一大事業だった。現在は市が所有、管理している。
2017年4月21日:(ニュースQ3)名古屋城天守の木造「復元」、市長選の争点:朝日新聞紙面から
再建から半世紀以上が経ち、「老朽化」が問題になってきた。市の2010年度の調査で、震度6強以上の揺れで倒壊する恐れが強いという結果が出た。耐震性を高めるのであれば、鉄骨による補強でも可能だが、「木造で復元を」と強く主張したのが河村たかし市長だった。初当選直後の09年から「都市として自慢できるものが欲しい。コンクリート製では名古屋人として寂しい」と訴えてきた。
2017年4月21日:(ニュースQ3)名古屋城天守の木造「復元」、市長選の争点:朝日新聞紙面から
名古屋市は10日、木造化する名古屋城天守を江戸時代半ばにあった「宝暦の大修理」後の姿で復元する方針を決めた。江戸時代初期の創建時の姿に比べて資料が豊富で、史実に従った再現が可能と判断した。
2017年5月11日:名古屋城、江戸中期の姿へ 天守木造化、ほぼ焼失前の外観 復元へ市方針:朝日新聞紙面から
名古屋市は9日、名古屋城天守の木造化で施工業者と基本協定を結び、事業に着手した。完成は約5年半後で、最大505億円の事業費は入場料で賄う計画だ。今後は文化庁の許可や市議会の理解も不可欠で、課題は多い。
2017年5月10日:木造天守、課題抱え着手 名古屋市、竹中工務店と基本協定:朝日新聞紙面から

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