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“売れっ子”になっても全くモテない…“一発屋”髭男爵が抱いた嫉妬
「“呼び捨て”やん!!」。ディレクターに気に入られる若手芸人に抱いた嫉妬。「俺とあいつと…一体、何が違うんだ!?」。“売れっ子”になっても、全くモテない。“一発屋”は、買い足し、補充すれば良い。その商品価値は“消耗品”だと気付く。(髭男爵 山田ルイ53世)
“一発屋”はモテない。
正確には、後に“一発屋”と揶揄されるような芸風の芸人はモテないということ。
勿論、“女性に……”などと言った艶っぽい話でもない。
番組制作の中核を担う、ディレクターや構成作家といった人々の“恋愛対象”になり得ないのである。
理由は簡単。
我々が“ブス”だからだ。
容姿ではなく、芸風がブスなのである。
僕の経験上、作家やディレクターの好みのタイプは基本、
「“独特の世界観”のネタが持ち味!!」
と評されるような芸人である。
いやいや。
“独特の世界観”なら、“一発屋”とて負けてはいない。
シルクハットにワイングラス。
貴族と自称し、乾杯をしながら漫才をする。
むしろ、世界観の塊、権化である。
しかし、残念ながら、肉眼で目視できるような即物的“世界観”では、彼らの食指は動かない。
宗教じみた物言いになるが、作家やディレクタ―のお好みは、もっと目に見えぬ“世界観”であり、『ウソ、大袈裟、紛らわしい!』……“ナントカ機構”に通報されかねない芸風の“コスプレキャラ芸人”では、むしろ興醒め。
誰しも、“ブス”など連れて歩きたくないのが人情である。
“世界観”の芸人のネタは、漫才にしろコントにしろ、題材がさりげない。
「パンを盗んだ貧しい少年を諭す!」
「ディナーに舌鼓を打っていたら、毒殺されかけた!」
我々のように、“キャラありき”の過剰であざとい設定は選ばないし、
「ルネッサーンス!!」
などと、不必要に騒ぎ立てたりもしない。
ネタ中の声のトーンはむしろ抑え気味。
日常の些細な場面を、笑いに昇華させるそのお手並みは、同業者ながらお見事の一言である。
謂わば、何の変哲もないTシャツやカーディガンをオシャレに着こなすような芸。
その差は様々な場面で露わとなる。
昨今はどうか知らぬが、我々世代の芸人にとって、自分名義のDVDをリリースすることは大きな目標の一つ。
かくいう貴族も、数本発売したが、それはあくまで“一度売れた”際の御褒美的なもの。
裏を返せば、余程“売れっ子”にでもならぬ限り、永遠にDVDのオファーなど来ない。
対して“世界観”の芸人の場合、
「業界関係者の間で話題の……」
「ライブシーンで評判の……」
“今後に期待”、“次世代の有力株”といった段階で、話が舞い込んで来るケースがある。
彼らの漫才やコントは“作品”だが、我々のネタは歯磨き粉やトイレットペーパーと同じ、“消耗品”。
無くなれば買い足し、補充すれば良いだけの存在である。
何かと褒められがちなのも、“世界観”の人達の特徴である。
“お笑い界”は元より、門外漢からの称賛も珍しくない。
漫画家、小説家、脚本家、俳優……様々なジャンルの一廉の人物達がその“世界観”を絶賛する。
我々も“売れっ子”時には、
「実は今ハマってるんですよ!」
「実はメンバーの間で流行ってて!!」
逐一“実は”という、意外性をアピールする枕言葉が付くものの、著名なミュージシャンの方からラブコールを頂くこともあった。
しかし、“世界観”の場合と比べて決定的に違うのは、その効果のベクトルである。
例えば、
「“髭男爵”が好きなんです!」
と発言するミュージシャンを見たお茶の間は、
「へー!ああいうのが好きだなんて意外だな!」
「ストイックで取っ付き難いイメージだったけど、親しみやすい人だなー!」
そんな印象を受けるに違いない。
彼、彼女らの意外な一面、人柄の良さを際立たせる効果がある。
勿論、此方とて有難いのだが、メリットの取り分は褒めた側に大なのは否めない。
一方、“世界観”に言及すれば、
「この人音楽だけじゃなくて、お笑いも分かるんだ!センスあるなー!!」
と先方の株が上がるのは勿論、褒められた側も、
「このアーティストのお気に入りってことは、センスのある芸人なんだな―!」
とメリットは双方向。
「やはり、“世界観”を持つ者同士、相通ずるものが……」
センスとセンスがラリーされ、相乗効果が期待出来る。
“世界観”の芸人と、他ジャンルの人間の対談企画をよく見かけるのは、そういう理由に違いない。
僕も、格好良く対談などしてみたいが、何分相手がいない。
相手がいなければ、ただの独り言。
不気味なだけである。
とにかく。
これまでの芸人人生で、常に苛まれてきた“世界観”との格差。
皮肉なのは、その差を一番痛感したのが、僕が芸人として“瞬間最大風速”を記録した時であったということ。
そう。
売れようが売れまいが関係ない。
“注目”はされても“一目”は置かれない……売れてもモテないのが、“一発屋”なのである。
数年前。
まだ僕が一時の“売れっ子”時代を謳歌していた頃。
何度となくお世話になった番組があった。
持ち時間こそ短いが、月に一度か二度、ゴールデンタイムで漫才を披露出来る。
ネタ作りは大変だが、やりがいのある仕事であった。
その日。
「お疲れ様です!」
僕はディレクターに声をかけた。
彼とは顔馴染み。
この番組だけではなく、他の現場でも幾度となく仕事を共にした仲である。
「大丈夫でした!?」
出番を終え、自分のパフォーマンス、ネタの出来を彼に確認する。
少々不安気なニュアンスを込めはしたが、十二分に手応えがあった。
大体、“スベった”との自覚があれば、わざわざ此方から尋ねたりなどしない。
「えー!?いや全然ウケてましたよ!!」
そんな言葉を引き出したいがための質問。
我ながら姑息だが、
「いや、ばっちりですよー!ウケてましたねー!!」
と返してくれるディレクタ―。
しめしめである。
続けて、
「そういえば○○(他局の人気番組)出てましたね!!」
「何か最近CM出てません?見ましたよー!!」
僕の“売れっ子”ぶりを称賛してくれる彼と立ち話をしていると、一人の若者が近付いて来た。
彼はとあるお笑いコンビの片割れ。
世間的に“ブレイク”はしてはいないが、ライブシーンで頭角を現し始めていた注目株である。
言うまでも無く……“世界観”だ。
彼はその日が、件(くだん)の番組初登場であった。
いや、もしかすると、テレビ出演自体、初めてだったかもしれぬ。
と言うのも、僕と話し込んでいるディレクターに“ダメ出し”でもして欲しいのか、少し離れて順番待ちをしている様子は、所在無げで、どこかオドオドとしていた。
その初々しい姿に、
(おー……彼も“やっと”出れたんだー!)
心の中で先輩風を吹かしつつ、丁度話題も尽きた頃合いだったので、
「またよろしくお願いします!」
これ幸いとディレクターを彼に譲り、その場を離れようとした刹那、
「昨日は御馳走様でした!」
(……ん!?)
ディレクターに礼を述べる彼の声に、僕は歩みを緩めた。
(へー……もう呑みに行ったりしたんだー……)
繰り返すが、彼は番組初登場。
ちなみに、常連の僕は、そのディレクターと食事に行ったことはなかった。
そもそも、誘われた記憶もない。
自分の社交性の無さを差し引いても、彼らの関係性、その進展は早過ぎるように感じる。
「○○さん(ディレクター)が、変なこと言うから!△△ちゃん怒ってませんでした!?」
「えーマジで!?結局、あの後どうしたの!?」
じゃれ合う二人に、
(合コンか!?一緒に?もう?)
心中穏やかではない。
気付けば、僕は完全に立ち止まっていた。
彼らの会話が届く、円(えん)の縁(ふち)、そのギリギリで。
「それと、“単独”有難うございました!」
「○○さんのオープニングVTR、めっちゃ評判良かったです!」
今度は真面目な口調で、再び礼を述べる若手芸人に、
「次いつやんの?今度はさーロケしようよー!」
とディレクターも楽しそうである。
盗み聞きの成果を纏めると、どうやら、その若手芸人の単独ライブを彼が手伝った模様。
しかも“手弁当”で……つまりノーギャラらしい。
(いつの間に!!)
そもそも僕には関係のない事。
分かってはいるが、何故か出し抜かれたような気持ちになる。
そこへ番組の作家が合流。
彼もまた、僕とは顔馴染みだが、
「××さん(作家)は、単独のネタ、どれが一番良かったですか?」
と尋ねる“世界観”に、
「うーん、三本目かな―……でもオチ変えた方が、分かり易いかもね?」
などと、真摯にアドバイスをする彼の口調には馴染みが無かった。
(コイツも“一味”か……)
一味も何もないのだが、複雑な心境。
と言うのも、以前僕はその作家氏に、
「僕らのネタ考えて下さいよー!?」
「単独とか一緒にやりません!?」
と頼んだことがあったのだ。
当時、僕には、秘かに描いていた夢があった。
“売れっ子”になれば、
「一緒に仕事していきましょう!」
「芸能界の階段を一緒に上って行きましょう!!」
“ブレーン”とも呼べる頼もしい人々が僕の元へ集い、充実した芸人人生が始まるというもの。
諸先輩方から伝え聞く成功譚には、そういった“桃園の誓い”さながらの場面が必ず登場する。
「自分にもきっと……」
今思えば、分不相応な絵空事。
お恥ずかしい限りである。
いずれにせよ、作家氏からの返答は、
「いやいや、ヒゲさんは、“そーいう感じ”じゃないでしょー?」
怪しげな金融商品を勧められ困惑しているような表情で、やんわりと断られたので勘弁して頂きたい。
“一発屋”は、いつまでたっても一人である。
赤面ものの記憶に、思わず身を竦めた僕に、
「ケンジ(仮名)はスケジュールどこ空いてる?」
若手芸人の予定を確認し始めた作家の声が追い打ちをかける。
(“呼び捨て”やん!!)
しかも、下の名前で。
呼び捨ては仲間の証。
彼らの距離感の近さに、
(俺だって、呼び捨てにされたい!!!)
十年近く前の話。
三十代前半のおじさんたる僕に、思いもよらぬ感情が湧き起こる。
そう。
僕は嫉妬していた。
何やら、新しく始まるコント番組の話題で盛り上る彼らを背中で感じながら、その場を離れる。
勿論、その番組に呼ばれることはなかった。
テレビ局を出ると、連れ立ってタクシーに乗り込もうとする彼らの姿が。
若く才能豊かな芸人と、野心溢れる優秀なディレクター。
お似合いのカップルである。
(俺とあいつと…一体、何が違うんだ!?)
いや、違いはハッキリしている。
確かに、その時点において、僕の方が“売れっ子”であった。
テレビ、ラジオ、何本ものCM出演……間違いない。
しかし。
ディレクタ―や作家が我々に見ているのは“今”。
“今”売れているからキャスティングするだけ。
対して、“世界観”に見るのは、“未来”であり“将来”。
そして、その“将来”は彼ら自身のものでもある。
自然、熱の入り方も違ってくるというものだ。
アフターに誘って貰えないブスなキャバ嬢よろしく、目の端で彼らの車を見送りながら、僕は一人、おでこを激しく掻きむしっていた。
妬み、嫉み、悔しさ、苛立ち……そのどれでもない。
繰り返すが、その時の僕は“売れっ子”。
連日、シルクハットを被り過ぎたせいで額は汗疹だらけ……痒くて堪らなかったのである。
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