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川端康成、今も残る「自殺の謎」 「国宝」3つも所有!目利きの顔も
45年前の1972年4月16日、日本人初のノーベル賞作家となった川端康成が、神奈川県逗子市のマンションで自殺しました。遺書はなく、いまも謎とされる自殺の理由。文豪の足跡をたどります。
川端康成は、1899年、大阪市に生まれます。父母が早くに亡くなり、祖父母に引き取られ育ちます。東大国文科を卒業し、横光利一らと「文芸時代」を創刊。新感覚派の代表作家として活躍しました。
代表作に「伊豆の踊子」「雪国」「山の音」「古都」などがあります。
「伊豆の踊子」は、一人旅の学生と旅芸人一座の若い踊り子とのほのかな恋と別れを描いた名作です。実は、文庫本で30ページほどの短さですが、何度も映画化されました。
1974年には山口百恵さんが主演。相手役に抜てきされた三浦友和さんと結婚しています。
1968年、川端はノーベル文学賞に選ばれます。授賞理由は「日本人の心の精髄を、すぐれた感受性をもって表現するその叙述の巧みさ」でした。
川端自身は「日本の伝統のおかげ」「各国の翻訳者のおかげ」、まな弟子の「三島由紀夫君のおかげ」を自らの思う受賞理由に挙げました。
「作家にとっては名誉などというものは、かえって重荷になり、邪魔にさえなって、いしゅくしてしまうんではないかと思っています」とも語りました。
1972年、72歳の川端は海に近いマンションの一室で、ガス管をくわえ自殺します。遺書はありませんでした。
ノーベル文学賞を受賞した文豪が、布団の中でガス管をくわえて自死するという衝撃的な事件は日本中を騒然とさせました。
ノーベル賞の候補に挙がりながら若すぎると評された三島由紀夫が割腹自殺した2年後の出来事でした。
謎めいた死は様々な臆測を呼びます。川端の自死をテーマにしたとされる小説が発表され裁判になったこともありました。
川端は美術品コレクションの優れた目利きでもありました。
2009年に開かれた「川端康成コレクション」展には国宝3点が出展されました。この国宝、いずれも川端が購入後に国宝に指定されています。
中でもお気に入りだったのが「聖徳太子立像」です。子どもらしく丸みのある体や衣のひだが生き生きと表現されています。
川端が入院中の1958年12月24日に購入して枕元に置きました。鎌倉の自邸に戻ってからも座敷や書斎に飾っていたそうです。
川端ゆかりのお店は各地にあります。
京都の「志る幸」は汁物で知られる名店です。作家の池波正太郎や川端康成も好んで通ったといわれています。
JR新宿駅そばの京懐石「柿傳(かきでん)」は、店の看板が川端康成の直筆です。
東京・神保町の古書店「一誠堂書店」は、川端康成、三島由紀夫、東山魁夷、松本清張らがひいきにしました。開業が1903(明治36)年。昭和初期には雑誌や新聞に「天下一の古書店」と紹介されました。
浅草の文具店「舛屋」が販売する「満寿屋の原稿用紙」は、川端愛用の品として知られています。お店のサイトには、「満寿屋の原稿用紙」を使った名だたる文豪の名前が掲載されています。
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