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シリア「新たな局面」ってどんな局面? 最悪、アメリカとロシアが…

シリア北西部イドリブ県で、毒ガスとみられる攻撃を受け、救助隊の処置を受ける男性(中央)。左の男性は酸素マスクを着けている=2017年4月4日、ロイター
シリア北西部イドリブ県で、毒ガスとみられる攻撃を受け、救助隊の処置を受ける男性(中央)。左の男性は酸素マスクを着けている=2017年4月4日、ロイター

目次

 中東のシリアで起きている内戦は、アメリカがミサイル攻撃をしたことで「新たな局面に入った」と報じられています。いや、そう言われても、そもそもがどんな局面だったのか知らないんですけど……という人のために。1人の青年の行動がきっかけとなった「アラブの春」。最悪の場合、シリアを舞台にアメリカとロシアが戦争に? シリア内戦をおさらいします。

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きっかけは「アラブの春」

 2010年12月、北アフリカの地中海岸にある、チュニジアという人口1000万人の国で大きなデモが起きました。

 失業中だった26歳の青年が、野菜を道ばたで売ろうとしたところ、警察に商品を没収されたうえに殴られました。青年は抗議のため、焼身自殺。これに同情の声が広がったことがきっかけです。

 チュニジアでは20年以上にわたり、ベンアリ大統領が独裁を続けていました。社会は腐敗が進み、経済はうまく回らず、若者には仕事がない。もともと不満がたまっていたところに、1人の青年の行動が火を付けたのです。

 デモ隊に押されてベンアリ大統領は退陣。さらに、同じように独裁者が治め、同じようなひずみを持つ中東の国々に広がっていきました。

 これが「アラブの春」。シリアも、影響が及んだ国の一つです。

チュニジアの首都チュニスで、ベンアリ大統領の退陣を求めてデモをする人びと=2011年1月14日
チュニジアの首都チュニスで、ベンアリ大統領の退陣を求めてデモをする人びと=2011年1月14日 出典: ロイター

シリアで反体制デモ

 現在のシリア大統領、バッシャール・アサド氏は「2代目」です。1971年から30年にわたって独裁を続けたハーフェズ・アサド前大統領の次男で、2000年に父が亡くなると大統領になりました。

 この人はもともと眼科医でしたが、後継者とみられていた兄が交通事故で死亡し、国のトップになりました。

 政治経験がほとんどなかったこともあり、主な政策は父親からそのまま受け継いでいます。中でも大きな特徴が、秘密警察に市民をきびしく監視させていることです。

 自由にものが言えない生活に耐えていたシリアの人びとは、アラブの春で他の独裁者が次々と倒れていくのを見て勇気づけられました。

 そして、シリアでも反体制デモが起こります。2011年3月のことでした。

シリアの首都ダマスカスで、バッシャール・アサド大統領のポスターを掲げるアサド政権支持者=2011年10月26日
シリアの首都ダマスカスで、バッシャール・アサド大統領のポスターを掲げるアサド政権支持者=2011年10月26日 出典: ロイター

反体制派が優位に

 デモはアサド政権の軍や警察によってつぶされました。すると反体制派の中に、武器を持って抵抗する人たちが現れます。

 彼らは「自由シリア軍」を名乗り、アサド政権を武力で倒す動きを始めました。一方で、デモに参加していたふつうの市民は、だんだんと運動から離れていきました。

 こうしてデモは内戦へと変わっていきます。

 かねてアサド政権の独裁を苦々しく思っていたアメリカは、反体制派を支援。アサド大統領に退陣を求めました。イギリス、フランスといったヨーロッパの国々や、トルコ、サウジアラビアといった中東の国々の大半も反体制派を支持。一時は反体制派が優位に立ちました。

シリア北部アレッポで、アサド政権軍に殺害されたという同僚の死を悼む自由シリア軍の兵士=2012年12月21日
シリア北部アレッポで、アサド政権軍に殺害されたという同僚の死を悼む自由シリア軍の兵士=2012年12月21日 出典: ロイター

イスラム過激派の台頭

 ところが、自由シリア軍は、各地でアサド政権に反対して立ち上がった人たちが、同じ名前を名乗っただけ。中にはアメリカなどの支援を目当てにした、素性の良くない人たちも混ざっていました。

 たとえば「ヌスラ戦線」という組織は、これは2001年にニューヨークで同時多発テロ(9・11事件)を起こしたイスラム過激派組織、アルカイダの流れをくんでいました。

 別の例が「イスラム国」(IS)です。アサド政権と自由シリア軍の戦いが長引くなかで勢力を拡大。シリア国外からたくさんの戦闘員が流れ込み、ついには2014年6月、シリア北東部の都市ラッカを中心に、国として独立を宣言しました。

シリア北東部ラッカ近郊で、パレードをする過激派組織「イスラム国」(IS)=2014年6月30日
シリア北東部ラッカ近郊で、パレードをする過激派組織「イスラム国」(IS)=2014年6月30日 出典: ロイター

ロシアの「参戦」

 アメリカは2014年9月、ISを標的にラッカへの空爆を始めました。

 ただ、アサド政権軍への攻撃はしませんでした。ロシアがアサド政権を支持していたからです。もとから親密な関係で、ロシアはシリア国内に軍事基地を持っています。最悪の場合、シリアを舞台にアメリカとロシアが戦うことになりかねません。

 そのロシアは、1年後の2015年9月に空爆を始めました。こちらもISを攻撃すると言っていたのですが、実際に爆撃を受けたのは反体制派の支配地域でした。

 ここまではアサド政権軍が押されていたんですが、ロシアの支援で一気に形勢は逆転。次々と支配地域を取り返していきます。

 2016年12月にはついに、シリア北部の中心都市アレッポを制圧。アサド政権の優位は揺るぎないものになりました。

シリア北西部ラタキア近郊の空軍基地を離陸するロシアの戦闘爆撃機Su24=2015年9月20日
シリア北西部ラタキア近郊の空軍基地を離陸するロシアの戦闘爆撃機Su24=2015年9月20日 出典: ロイター

トランプ氏の登場

 そうこうしているうちに、アメリカのオバマ大統領は任期を終えます。

 2017年1月、新しくアメリカの大統領になったトランプ氏は、はじめロシアと協力する考えを打ち出していました。

 悪いのはISだ。ISを倒すためなら、ロシアともアサド政権とも協力すればいいじゃないか。というのが、トランプ大統領の基本的な考え方だと思われてきました。

 ところが2017年4月、トランプ氏は、それまでアメリカがずっとやってこなかった、アサド政権軍への攻撃に踏み切りました。地中海の軍艦から、シリアの空軍基地にミサイルを59発撃ち込んだのです。

地中海からシリアに向けて巡航ミサイル「トマホーク」を発射するアメリカの駆逐艦ロス=2017年4月7日
地中海からシリアに向けて巡航ミサイル「トマホーク」を発射するアメリカの駆逐艦ロス=2017年4月7日 出典: ロイター

 ロシアは「侵略であり、国際法違反だ」とアメリカを厳しく非難。もともと良くなかったアメリカとの仲は、さらに悪くなっています。

 アメリカとロシアは、ともにシリア上空から空爆をしています。衝突を避けるために、互いに計画を事前に教え合ってきましたが、ロシアはこれを打ち切るとアメリカに通知しました。

先が見えない状態に

 2011年に始まったシリア内戦による死者は、既に40万人を数えると言われています。

 難民となったシリア人は、隣接するトルコやレバノン、ヨルダン、さらにはヨーロッパへと押し寄せました。

 この間、国連を中心に、何度も和平交渉が行われては、これといった成果を上げられずにきました。

シリアへのミサイル攻撃について声明を発表するトランプ米大統領=2017年4月7日
シリアへのミサイル攻撃について声明を発表するトランプ米大統領=2017年4月7日 出典: ロイター

 今のところ、アメリカによるアサド政権への攻撃は1回だけで、大きく戦況を変えるには至っていません。

 ただ、アメリカはさらに攻撃をする可能性もあるとしていて、今は誰もがトランプ氏の次の一手をじっとうかがっている状況です。

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