地元
日本で忘れられた「謎の皇帝」 暴れ川の神「中国の禹王」の正体は?
中国では超有名な皇帝「禹王」。日本では、あまり知られていませんが、実は、最近、「禹王」関連の記念碑などが次々と見つかっています。その数、124カ所。治水で有名な「禹王」。孫悟空の如意棒ともゆかりがある「禹王」とは、いったい、どんな人だったのでしょう?
「禹王」は紀年前2000年ごろの人物で、神話や伝説に近い存在です。洪水に見舞われた土地で、「塞ぐ」のではなく、「疎通」という手法を取り入れたと言われています。
司馬遷の『史記』にも名前が出ており、「三皇五帝」という有名な「聖君」の一人として伝えられています。中国最初の王朝「夏」の創立者としても知られています。
中国では知らない人がいないぐらい超有名な存在です。
法政大学・国際日本学研究センターの王敏(ワンミン)教授は、日本における「禹王」研究の第一人者と言われています。
宮沢賢治の研究者でもある王教授。賢治も子供時代から愛読していた『西遊記』について調べている中で、孫悟空の如意棒は、「禹王」が治水の際に使った「定海神針」だったという記述に目をつけました。
そこから「禹王」と日本の関わりについて興味関心を持ち始めたそうです。
王教授が日本で「禹王」の史跡を見つけたのは2007年のことでした。
神奈川県・開成町の町長から、「禹王」関連の石碑を教えてもらい、そこから日本全国の禹文化の史跡を調べるようになりました。
地元の民間研究者から提供された情報を手がかりに、治水神・禹王研究会が中心に調査を進め、全国で様々な史跡を発見してきました。
王教授によると、「禹王」関連の史跡は国内で124件確認されているそうです。王教授は「今後も、さらに増える見込みです」と話します。
山口県の萩市には、萩博物館が所蔵している江戸時代の絵「鸞輿巡幸図」にあった呉服屋の暖簾に「禹」という文字がはっきり見えました。また「禹」の文字がついた軒瓦も発見されています。
江戸時代までは日本でも広く知られている信仰の対象だった「禹王」。なぜ、今はマイナーな存在になってしまったのでしょう?
王教授は「まず治水の技術が発達して、自然災害のこわさが昔よりも減ったからかもしれません。他方、相対的に自然に対する畏敬と信仰心が薄くなってきた」と考察します。
とはいえ、地震や津波など、今も日本人は災害と隣り合わせに生きているのも事実です。
日中両国であがめられた偉人「禹王」。史跡が多いのは「暴れ川」と言われた川の周辺です。
王教授は「今、禹王信仰を考えることは生命観・幸福感への再考を喚起することであり、東アジア的風土と一体である生き方を再認識していただきたい」と呼びかけています。
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