コラム
「仲間のためなら頑張れます」という人が嫌いな3つの理由
ドラマでも、子供向けのアニメでも、スポーツでも、「誰かのために頑張る」ことは古今東西、美談として語られる傾向にあると思います。スポーツ好きな私は、チーム一丸になって頑張るスポーツ選手の姿には感動しますが、たまに出会う「自分のためには頑張れないけど、仲間のためなら頑張れます」というひとは大嫌いです。
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ドラマでも、子供向けのアニメでも、スポーツでも、「誰かのために頑張る」ことは古今東西、美談として語られる傾向にあると思います。スポーツ好きな私は、チーム一丸になって頑張るスポーツ選手の姿には感動しますが、たまに出会う「自分のためには頑張れないけど、仲間のためなら頑張れます」というひとは大嫌いです。
「仲間のために頑張る」姿は人々の心を感動させます。
ドラマでも、子供向けのアニメでも、スポーツでも、「誰かのために頑張る」ことは古今東西、美談として語られる傾向にあると思います。スポーツ好きな私は、チーム一丸になって頑張るスポーツ選手の姿には感動します。
ただ、仕事でたまに出会う「自分のためには頑張れないけど、仲間のためなら頑張れます」というひとは大嫌いです。そして、こういう発言をするひとと付き合うときは要注意だと思っています。ソーシャルビジネス界隈、学生団体界隈にはそういうひと、けっこう多いのです。
「自分のためなら頑張れないけど、仲間のためなら頑張れます」というひとを嫌いな理由は挙げはじめればきりがなく、最終的には「生理的に無理」という結論なのでここでは書きませんが、このような発言をする人間に注意しなくてはいけない理由をお伝えします。なお、すべては私の経験と主観と偏見によるものであることは予めお伝えしておきます。
組織開発のプロセスを説明する際に「タックマンモデル」という有名な理論があります。チームが結成してから解散するまでの流れを以下の5つに分類したものです。
1.形成期
2.混乱期
3.統一期
4.機能期
5.散会期
タックマンモデルで重要なところは、2番目に混乱期が位置付けられていることです。チームを形成し、目的設定やお互いの業務を進めるうえでは混乱期は起こって当たり前です。一般的にタックマンモデルでは、この混乱期は避けるべきではないと言われています。避けられないという前提で、混乱期をいかに早く抜けるか、混乱期の混乱状態を最小限にとどめることが重要と考えられています。
「自分のためには頑張れないけど、仲間のためなら頑張れます」というひとは、やたらとすぐに「仲間」という言葉をつかいます。一度会ってちょっと話しただけなのに、SNSに「自分の仲間が~」とか書いちゃいます。すぐに仲間つくっちゃう病です。
すぐに仲間つくっちゃう病の方々は、タックマンモデルにおける混乱期を避ける傾向にあります。混乱期に入ると「ビジョンに共感できない」とか言いはじめて、「仲間」から離れるか、立場によっては「仲間」を切り捨てます。お前にとって仲間ってその程度の存在なのかと言いたくなります。まるでデビュー曲が売れて「このメンバー以外で音楽やることは考えらません」と言っていた矢先に「音楽性の違いから解散します」って電撃発表するバンドみたいです。
個人的には混乱期が面倒だから自分と意見が違う人間とはすぐに離れるという判断が必ずしも間違っているとは思いません。私もどちらかといえば、そのタイプです。でも、それなら簡単に「仲間」とか言うなと思うのです。
仲間を大切にしている人間を非難する人はまずいないと思います。そう、その人が本当に仲間を大切にしている人間ならば。
仲間を大切にしていると言いながら、混乱期を一緒に乗り越えようともせず、面倒くさがって逃げ出す、切り捨てるというのは仲間を大切にしているとは言えません。そういうことをやるひとは仲間を大切にしたいのではないのです。「自分のためには頑張れないけど、仲間のためなら頑張れる」というような言葉をつかって、本当に仲間を集めて成功している人を見て、真似してみているだけなのです。
「自分のためには頑張れないけど、仲間のためなら頑張れます」という言葉を使えば、自分も憧れのあの人みたいに協力者をたくさん集められるかもしれないという打算的な考えからの発言です。
言ってみれば、セルフブランディングの一種ですが、けっこう簡単に化けの皮が剥がれます。
本人はいたってまじめに、わりと本気で「自分のためには頑張れないけど、仲間のためなら頑張れます」と言っているケースもあります。この場合は、そう簡単に化けの皮ははがれません。なにせ、本人は化けの皮をかぶっている意識がないのですから。
このタイプの人の場合、基本的には仲間のために頑張ってくれます。よく動くし、よく働きます。でも、いざ大きなリスクを負わなければいけないとか、責任をとらなくてはいけないという場面になると本性を現します。
例えば、大きなお金を準備する必要がでてきた、クレーム対応で矢面にたたないといけない、キャリアや進路の変更を迫られるという場面になると、途端に意気消沈します。それまでは打ち合わせでの主語が「私たち」だったのが「私」に変わります。「私はそんなリスクは負いたくない」「私の責任ではない」「私の将来は誰か保証してくれるの?」みたいな発言をするわけです。
このタイプは、仲間よりも「仲間を大切にしている自分」が好きなのだと思います。「仲間のために頑張っている」のではなく、「『仲間のために頑張っている自分』になるために頑張っている」のです。結局、大切なのは自分なので、自分に火の粉が降りかかってくると仲間を差し置いて逃げ出そうとするのです。
「自分のためには頑張れないけど、仲間のためなら頑張れる」という人間が嫌いな私も、人生で一度だけ「仲間のために」と思って頑張ったことがあります。その時感じたのは、仲間のために頑張るのは、自分のために頑張るよりも何倍も辛くてしんどいということです。頑張るのを辞めたくても、自分の都合で辞めることはできないのですから当然です。
仲間のためだろうと自分のためだろうと、頑張る理由はなんでもいいと思います。モチベーションの源泉は人それぞれです。お金のため、自分のため、人のため、社会のため、どんなモチベーションでも優劣はないはずです。
だから、変に格好つけずに「自分がやりたいからやってるんだ!」と素直に言える人がもっと増えてほしいなあと思うのです。
【ライター:井上洋市朗】