コラム
精神疾患の私が考えてみた、「無理しないで」っていう便利な言葉
「無理しないで」これは精神疾患の人向けに、よく使われる言葉です。もちろん、悪い意味ではないと思いますし、優しい気遣いや声掛けとしての定番として、使われている気がします。ただ、どんな立場の人でもひとりひとりに傾向があります。
コラム
「無理しないで」これは精神疾患の人向けに、よく使われる言葉です。もちろん、悪い意味ではないと思いますし、優しい気遣いや声掛けとしての定番として、使われている気がします。ただ、どんな立場の人でもひとりひとりに傾向があります。
「無理しないで」
これは精神疾患の人向けに、よく使われる言葉です。もちろん、悪い意味ではないと思いますし、優しい気遣いや声掛けとしての定番として、使われている気がします。
ただ、どんな立場の人でもひとりひとりに傾向があります。精神疾患の人に配慮する言葉として、例えばお店に入ったら「いらっしゃいませ」と店員が声掛けするような、ありふれた表現になっていませんか。
私としては、そんなこと当たり前に言われてもねえ、というのが本音です。
個人的に可能性を潰されてしまう気がして、あまり好きな表現ではありません。確かにうつ状態・統合失調症の症状が出ているときに「もっと頑張れ」と言われても、それは残酷です。多くの人が自分を追い込んでしまい、症状を悪化させることは明確です。
ですが、ある程度治療を経ていくと回復(リカバリー)も可能なのです。そこで本当に無理をしないで生活していては、何もできずにぬるま湯に浸かった生活につながってしまうと思いませんか?たとえ、精神疾患を持っていたとしても、特別な存在でも可哀想な存在でもないのです。
私はかつて、就労継続支援B型事業所という施設に通所していました。無理せずに仕事ができる、社会復帰のステップとして通所している人も多かったように思えます。
施設によって違うかもしれませんが、私が通所していた事業所では頑張ろうとしても、無理をさせてくれないシステムになっていたように思います。ちょっと「疲れた」と言ったら「それは大変だ、休むかい?」と事業所の人に言われました。また「頑張ります!」と言うと「無理しないで」と諭されたものです。
私にとっては、マイナスなイメージの意味で特別な場所だなと疑問に思うことが多かったことを覚えています。
そんなに可哀想に見えるのかな?
傍から見て危なっかしいのかな?
私にだってもっとできることは、たくさんあるのに、と。
時と場合によって無理くらいします。仕事をしていれば残業、納期だってあるし、どんな社会にいても他人に合わせること、融通を利かせなければならない状況もあります。そんなとき「無理しないで」なんて言われたら、私は疎外感を感じてしまいます。実は心ない一言のひとつでもあるのです。
だからといって、必要以上に頑張ると症状が出てしまう可能性がある障害です。今、私は症状が収まっていますが、強いストレスが掛かると再発してしまう可能性もあります。そんなシチュエーションを踏まえて「無理しないで」のフレーズが便利に使われるようになったのでしょうか。
気まぐれに生きているわけではありませんが、無理していい時と、そうでない時があります。何でもかんでも使われると、私は何もできないのかと思ってしまします。ところが、本当に気持ちの余裕がない時に使われると安心できるのです。
「無理しないで」という言葉をついつい使ってしまうという方には、改めて考えてみてほしいなと思います。
【ライター:小笠原早苗】