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「シリア飯」の胸が痛む“おいしさ” 検問の合間に食べたスイーツ
「シリア」という中東の国の名前を聞いて思い浮かぶものと言えば何でしょうか。戦争、空爆、破壊、難民……。普通に考えればこのような恐ろしいイメージが広がるのではないでしょうか。今年1月、取材ビザを得て、激戦地と言われる北部アレッポに行ってみると知られざるシリアの「素顔」が見えてきたのです。(朝日新聞国際報道カメラマン・矢木隆晴)
2017年1月、シリアは外務省の危険情報で「レベル4」が出されました。行くことは控え、国外にすぐに出るようにとの勧告が出ています。旅行などで訪れることができないのが現状です。
今回はシリア政府の取材ビザを得て、首都ダマスカスや北部アレッポの現状をリポートするために、春日芳晃・イスタンブール支局長と行くことになりました。
1月6日、隣国レバノンの首都ベイルートから陸路でシリアの首都ダマスカスを目指します。両国は幹線道路がつながっており、物資を運ぶたくさんのトラックが行き来しています。
ベイルートから車で出発して40分ほど走ると高原にさしかかります。そこには中東らしからぬ、白銀の世界が広がっていました。
しばらく走るとレバノン国境を管理する建物が見えてきます。パスポートを見せて出国手続きを終えると、緩衝地帯を抜け、シリア側の国境ゲートへ。
取材ビザを確認して入国手続き、税関検査を終えるとようやくシリアへ。ちなみに入国税31ドルはアメリカドルで払います。レバノンを午前9時に出発して、ダマスカスのホテルに着いたのが午後2時ごろでした。
翌日はダマスカス市内で取材の準備をします。情報省の担当部署に行って、アレッポへ同行する職員にあいさつします。その後、携帯電話会社に行って、SIMカードを購入。日本から持ってきたSIMフリー携帯に差せば、通話やデータ通信ができます。
1月8日午前8時、北部アレッポへ向かって出発。アレッポは長らく戦闘が続いていましたが、昨年12月に政府側が市全土を掌握。戦闘が沈静化したことから、安全を確保できると判断し、現地へ向かいました。
防弾車などは目立ってかえって危険だということで、日本でも走っているようなフツーの車。春日記者とわたし、シリア情報省職員が乗ります。念のため、もう一台予備の車も用意しました。
【シリア飯「ハラワ」】
ダマスカスから北上し、1時間ほど走ると幹線道路脇にドライブインを発見。まずは腹ごしらえ。「ハラワ」と呼ばれるスイーツと、薄い生地に挽き肉をのせて焼いた物。ピザのような感じ。甘いチャイ(紅茶)とともに味わいます。
首都ダマスカスからアレッポまで幹線道路で約360キロ。東京から名古屋までの距離(約350キロ)とほぼ同じです。
しかし安全を確保するため、政府側が確実に管理しているルートを通らなければなりません。そのためかなり大回りして、約430キロの道のり。休憩をしながら、約7時間かかります。
数キロおきに政府側の検問所があり、銃を持った兵士に車を止められます。そのたびにシリア情報省職員が書類を見せて説明します。「日本の報道陣だ」とアラビア語で説明していたようです(ほぼ想像ですが……)
アレッポには計5日間滞在しました。朝、ホテルから出発して、東部の荒れ果てた現状を取材します。困窮した人々の話を聞く度に胸が痛みます。
住民は生きるのに必死。どのように生活を再建していくか考えると気が遠くなります。しかし、カメラを向けると、多くの場合笑顔を見せます。こんな状況でなぜ笑うことができるのか……。
同行した春日記者は、アレッポ大学を訪れた際、日本語を学ぶ女子大生にこう言われました。
「わたしたちは大丈夫です、春日さん。弱くはありません。人生、七転び八起きです」
これには、わたしたち2人とも参ってしまいました。厳しい環境の中でも生き抜くたくましさ。笑顔は、非日常な出来事に負けまいという、彼らなりの「プライド」なのかもしれません。
「日常」を保つことで精神を平穏に保つことができる。当たり前のことがいかに大切かを思い知らされました。
西側で、レストランで食事を楽しんだり、カフェで水タバコを吸ったりすることも、「日常」を保ちながら生活するという、戦争に対する「抵抗」なのかもしれません。
【シリア飯「ファットゥーシュサラダ」】
アレッポのレストランのメニューには英語メニューがあることから、かつて欧米からの観光客も多かったのだと思われます。「スキヤキ」と思われる表記も……。サラダは中東ではメジャーな「ファットゥーシュサラダ」。ダマスカスよりドレッシングが甘酸っぱいのがアレッポ風でした。
1月12日、わたしたちはアレッポ取材を終えて、ダマスカスに戻りました。翌日、ダマスカス市内に住む知人が自宅に招いてくれました。
そこには机いっぱいに並べられたごちそうの数々。水道も止められ、電気も通っていない中で歓待してもらいました。
聞けば、父親はドバイで仕事をして家族を支え、兄はトルコのイスタンブールにいるそうです。戦争が原因で、一家が離れ離れに生活しています。
夜には、取材を手伝ってくれているシリア人の助手さんと運転手さんとともに、ダマスカス旧市街にある名門レストランへ。アレッポからの無事の帰還を祝いました。
骨付きの羊肉をかぶりつきます。炊かれた穀物にも羊のだしが染みこみ、うまみがあふれています。
紛争地にいって食事を楽しむとは不謹慎な、と思うかもしれません。殺伐とした状況を取材した後、楽しみは食事しかないのが事実です。
ちなみに中東の特派員に聞いたところ、中東の中でもシリア料理は特においしい部類に入るとのこと。長い歴史を持つ国の豊かな食文化を感じました。
一刻も早く紛争がおさまり、日常の生活が送れるようになること、また、再び多くの観光客が安全に訪れることができて、シリアの文化を体験できるようになることを祈るばかりです。
【シリア飯「クッベ」】
コロッケのような「クッベ」。中に挽き肉が入っています。ダマスカスでは他にもファットゥーシュサラダ、パイで包んだシリア式チャーハンの「ウージー」などもいただきました。
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