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先祖は直虎、井伊家の子孫も悩んだ“お世継ぎ”「自分と重なって…」
NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」は、いよいよ柴咲コウ、三浦春馬、高橋一生らが登場。柴咲コウ演じる直虎が、「井伊家」と「自分の気持ち」との間で揺れ動いていくのも、見どころの一つです。そんな直虎と同じような悩みを抱えたのが、井伊家の子孫・井伊裕子さんです。妹がいるのみで兄弟がいない中、「跡継ぎ問題」のプレッシャーが。「現代の直虎」に話を聞きました。
裕子さんは、彦根藩初代藩主・直政(直虎のいいなずけだった直親の息子)から数えて17代当主の長女に生まれた。しかし、裕子さんには、妹がいるのみで兄弟はいません。「跡継ぎはどうなるのか」「井伊家の今後は」という直虎と同じ悩みを抱えたそうです。
裕子さんは、直虎の存在を知った時、「ギュッと胸がしめ付けられた」と語ります。
「私は、二人姉妹の長女です。若いころには、まわりからよく『跡継ぎは?』『次の当主はどうなるの?』などときかれました。そんな多感な時期に、私は『直虎』の存在を知りました」
「初めて直虎を知ったときは、父やいいなずけ、一族の男性が続々と亡くなってしまったために家督を継ぐことになった直虎と、男兄弟のいない長女である自分自身の姿が重なって、ギュッと胸がしめ付けられるような思いがしました。今の時代に生まれた私ですらこうなのに、あの時代はもっと大変だったろうと想像するとなおさら……」
ちなみに裕子さんは、大学を卒業し、彦根市史編さん室に勤めた後は、結婚を機に退職。跡継ぎ問題もとりあえずは解決しました。
裕子さんは、「直虎」のことをふだんは「次郎法師」と呼んでいます。
幼い時、いいなずけの亀之丞(後の直親)が行方不明になった後、出家した時に直虎が名乗ったのが「次郎法師」です。「次郎」とは、井伊家代々の嫡子(ちゃくし)(跡継ぎの男子)の通称です。
「『直虎』よりも『次郎法師』と呼んだ方がしっくりくるんです。出家しない道を選んだらどうなるでしょうか。どこかの人質となるか、亀之丞への思いが残るなか婿をとらされるか。どちらも嫌です。結局、女でありながら『次郎法師』と男性の出家名を名乗ることになった直虎の決断を思うと胸がいっぱいになります」
男兄弟がいない点では「直虎」と同じ立場だった裕子さんにとって、「次郎法師」という名前の持つ意味は小さくありません。
「男兄弟のいない長女の悲哀を感じずにはいられません。『直虎』は、出家してだいぶたったあと、30代になり、井伊家の当主であった間に名乗っていた名前です。なので、やはり私は、『直虎』よりも『次郎法師』と呼ぶほうがしっくりきますね」
いいなずけの亀之丞(後の直親)は、行方知れずになってから約10年後、井伊谷の直虎のもとに戻ってきます。
結局、直虎とは結ばれず、他の女性と結婚して直政が誕生。けれども、1562年には、当主となった直親も今川方に謀殺されてしまいます。
さらには、曽祖父・直平や一族の男性も次々と亡くなっていく。あとに残された男子は、5歳にもならない直政のみ。そこで直虎は、井伊家とそこに暮らす人々を守るべく立ち上がります。
「『戦国時代の女城主』というと勇ましいイメージがあります。直虎は『虎』という字があって、なおさらかもしれません。ですが、直親の子・直政が、徳川家康に会うときに着るための着物を縫ってあげたという話がわが家に伝わっています。そうした心優しい面も、持ち合わせた女性だと思っています」
裕子さんは、昨年暮れ、井伊家のご先祖様について書いた『井伊家の教え』(朝日新聞出版)を出版しました。
この本を書こうと思った動機は、意外にも大河ドラマや直虎・直政ではないそうです。
「直弼公のことをもっとよく知ってもらいたくて。直弼というと、桜田門外の変のイメージばかりが強く、また、明治以降は悪者にされてしまったように思います。その影響か、現代でも、いまだに正当に評価されていないと感じます」
裕子さんが、大事にするのが直弼の文化人としての顔です。
「直弼には『一期一会』という言葉を生み出し、茶の湯のこよなく愛する茶人という側面もありました。実は、直弼は14男。兄弟が次々と亡くなり30歳を過ぎてから彦根藩主になるまで、とてもではないが藩主になるなど想像もつかないという存在でした」
「その時代は、能や居合をたしなみ、参禅もしました。なかでも茶の湯に関しては、『茶湯一会集』などの書物を書いてしまうくらい極めました。そんな文化人としての側面も知ってほしいと思ったのです」
戦国時代の直虎の献身、直政の活躍が、幕末の大老・直弼につながるという「名家」ならではのエピソードの数々。「現代の直虎」の思いを想像しながら大河ドラマを見ると、また違った味わいが出てきそうです。
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