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「白ブリーフ裁判官」の息子が医師を目指す理由「父にはむしろ感謝」

「白ブリーフ判事」として知られる父の岡口基一裁判官ともども、マイペースなつぶやきで人気の次男「おか☆かず」さん。医師の道を志した理由や、つらかった浪人時代、父への思いを語りました。

2浪の末に宮崎大学の医学部に合格した「おか☆かず」こと岡口和也さん
2浪の末に宮崎大学の医学部に合格した「おか☆かず」こと岡口和也さん

目次

 自身の白ブリーフ姿をツイッターで公開し、「白ブリーフ判事」として話題をさらった東京高裁の岡口基一裁判官。次男の「おか☆かず」こと岡口和也さん(22)は宮崎大学の医学部に通い、医師を目指しています。苦しかった2年の浪人生活や、両親への感謝の思いを語りました。

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「国語が不得意なので文系はあきらめた」

 ――医師を志したキッカケは。
 
 高校生の時にNHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」という番組で、心臓外科医の天野篤先生が取り上げられているのを見たことです。年間何百件もの手術をこなし、ほかの医師には手に負えないような患者さんを救う。カッコ良さを感じました。

 ちょうどその頃、義理のおばが白血病にかかり、いとこから「医学部に入って救ってほしい」と言われたことも、決め手になりました。その後、亡くなってしまったのですが、子どもの頃から毎週のように遊びに行っていて、とても仲が良かったんです。
 
 父親が裁判官なので、小学生ぐらいの時はずっと「裁判官になりたい」と言っていたんですけど、国語が不得意なので文系は無理だろうな、とあきらめました。

子どもの頃は裁判官になりたかった
子どもの頃は裁判官になりたかった

「ここで吐いたら、やり直しにしてくれるんじゃないか」

 ――医学部受験といえば難関ですが、どのようにして挑んだのでしょうか。

 茨城県立土浦第一高校という地元の進学校に進んだのですが、進学校に入れたことで「自分は頭がいいから大丈夫だ」と勘違いしてしまった。本当は必死に勉強して、ギリギリで受かっただけだったのに。センター試験で思うように点数をとれず、そこで初めて僕ってこんなもんなのか、と気づかされました。

 現役の年は筑波大、1浪目は信州大の医学部を受けて落ちました。2度目のセンター試験では、数学のテストでトイレに行きたくなってパニック状態に陥ってしまい、まったく集中できなかった。何を思ったのか「ここで吐いたら、体調不良ということでやり直しにしてくれるじゃないか」と必死に吐こうとして。体調は万全だったのでまったく吐けなかったんですけど(笑)。力を出し切れず、すごく後悔しましたね。

現役時のセンター試験で撃沈。勘違いから目覚めた
現役時のセンター試験で撃沈。勘違いから目覚めた

やっと母に恩返しできた

 2浪目は市谷の予備校に通ったんですけど、周りに友達がいなくて孤独でした。休み時間も一切しゃべらず勉強。浪人生活でメンタルをやられて、グロい映像ばかり見ている時期もありました。宮崎大の合格発表の時は、私立などに全部落ちて、ダメなら3浪という状況。ネットで合否を確認したところ、自分の番号が見当たらない。「ああ、落ちた…」と絶望しかけたのですが、番号を間違って覚えていたことに気がつきました。

 調べ直すと番号が見つかって、隣で見守っていた母と一緒に泣きました。毎日弁当をつくってくれて、僕が落ちる度にガッカリさせてしまった母に、やっと恩返しができたという思いでした。

「ゴッドハンドになって、患者さんを救いたい」
「ゴッドハンドになって、患者さんを救いたい」

放任主義の父、好きなことをやらせてくれた

 ――お父さんはどんなリアクションでしたか。
 
 軽く「おめでとう」ぐらいな感じでした。
 
 ――裸で熱く抱きしめたりとかは。

 いや、まったくですね。もし私立に受かっていたら、仮に入学しなくても入学金だけは払わないといけないので、「お金を払わずに済んでよかった」と冗談交じりに言ってましたけど。

 父は基本的に放任主義で、干渉しないんですよ。お陰で中学、高校と塾にも行かず、好きなことをやらせてもらいました。


「父にはむしろ感謝しているぐらい」

 ――「白ブリーフ判事」として、昨年は随分騒がれましたが。
 
 父は昔からああいう写真をネットにあげていたので、僕は今さら?という感じがしたんですけど。ヤフーニュースにも取り上げられて、「ここまできたか、さすがだな」みたいな。

 ――厳重注意を受けてからも、相変わらずマイペースにつぶやき続けています。

 父は昔から、命令されるのが好きじゃないんです。学生時代から先輩の言うこととかも聞かなかったみたいですね。

 ――父親がああいう形でニュースになって、ヘコんだりとかは。
 
 まったくありません。こういう機会をつくってもらって、父にはむしろ感謝しているぐらいです。父の話題をキッカケにして、いろんな方とお話できるのはいいことだなって。僕のツイッターのフォロワーも千人ぐらい増えましたし。


騒動に便乗、自作曲を宣伝

 ――騒動に便乗して、自作曲のミュージックビデオをツイッターで宣伝していましたね。

 「夏休み」という曲ですね。高2の時につくって、浪人時代の2014年にユーチューブにアップしました。父も僕も目立ちたがり屋。お互いがお互いをネタにしているような感じなんです。

 2年浪人してアイデンティティーが失われて、僕は何のために生きてるんだろう、僕って何なんだろうという思いがあって……。どんな形であれ、注目してもらえるのはうれしかったですね。


 ――ビデオのなかに、おか☆かずさんのブリーフ姿が出てきますが、時系列的に偶然でしょうか。

 偶然ですね。もし意図していたら、ちゃんとポーズを決めてますよ(※岡口基一裁判官による独特の自撮りポーズは「岡口撮り」と呼ばれ、カンニング竹山さんらもマネしている)。

 自分で曲をつくるのは、受験勉強のいい気晴らしになりましたね。1浪目のセンターで失敗して、2次試験まで勉強しないといけないといけないのに、全然勉強する気にならない。「このままじゃマズイ、自分頑張れ!」と自分を励ますために、「テスト前」という曲をつくって。2浪目の時も、部屋で歌いながら勉強していました。


初めてつくった曲は彼女へのプレゼントだった

 ――音楽がお好きなんですね。
 
 父が昔ピアノを習っていたこともあって、兄弟2人でピアノを習わされていました。3、4歳ぐらいから弾いてましたね。ギターは母の実家の倉庫で見つけて、中1ぐらいから弾き始めました。初めて作曲したのは、中2ですかね。恥ずかしい過去なんですけど、当時付き合っていた彼女にプレゼントしました(笑)。

 ――黒歴史を掘り返して申し訳ないのですが、どんな曲を?
 
 えーと……。「いつも頭の中で君の名前を呼んでいるよ」みたいな感じで(笑)。ありがたいことに、泣いてくれて。それから勉強の合間、合間に作曲して、いまでは10曲ぐらいになりました。

浪人時代の自分を励ますためにつくった歌「テスト前」。受験生のために弾き語りで歌ってくれた

 ――医学生ってモテそうですよね。
 
 僕もそう思ってたんですけど、全然モテないですね。男女比2:1ぐらいなのですが、女子はほとんど誰かと付き合っていて、僕は余り組です。

 ――去年、お父さんの騒動が盛り上がっている時に、女子にツイッターのフォローリクエストを出してませんでしたか?

 ヤフーニュースにも出てたし、時代が来てる、みたいな。高校時代から気になっていた子で、なかなかキッカケがなかったんですけど、行くならいまだ!って感じで。

 ――結局フラれてしまいましたが、やっぱり父の威を借るというか、人のブリーフで相撲をとろうという魂胆がよくなかったのでは。

 いや~父親のことはまったく触れなかったんですけどね……。後日、「彼氏がいるのですみません」と連絡がありました。


 ――お父さんからはどんな影響を受けましたか。
 
 子どもの頃は単身赴任をしていて、月に1回帰ってきて。マージャンやボウリング、カラオケとかで一緒に遊んでくれました。で、遊び終わると、ずっと仕事をしてるんですよ。

 ツイッターではあんな感じでふざけてますけど、素顔は仕事の鬼ですね。それぐらいずっと仕事をしている。そういうプロフェッショナルなところ、仕事一筋な姿勢を小さい頃からずっと見てきたことが、いま自分が頑張れる原動力になっている気がします。

 医学部の勉強は大変ですが、将来は心臓外科のゴッドハンドになって、誰にも救えないような患者さんを救いたいです。

子どもの頃のおか☆かずさん(右)。父・兄と記念撮影した1枚
子どもの頃のおか☆かずさん(右)。父・兄と記念撮影した1枚 出典: 本人提供

「父に似てるって言われてもうれしくない」

 ――かなり体を鍛えていらっしゃいますが、それもお父さんの影響でしょうか。

 いや、関係ないです。自分を鏡で見た時に、父がアップしている写真と似ていてショックでした。父の外見をカッコイイと思ったことがないのですが、似てるってことはカッコ良くないってことですよね? だから、似てるって言われてもあまりうれしくないんです(笑)。


 (おかぐち・かずや) 1995年、茨城県生まれ。県立土浦第一高校を卒業後、2浪の末に宮崎大学医学部に合格。現在2年生。「おか☆かず」名義で自作曲をユーチューブに発表している。影響を受けたミュージシャンは「ゆず」。大学ではアームレスリング部と合唱部に加え、アカペラのサークルや医療系のサークルにも所属している。身長174.5センチ、体重70キロ。日によってブリーフをはくこともあれば、トランクスをはくこともあるという。父・岡口基一さんは法曹界のバイブルとされる『要件事実マニュアル』(ぎょうせい)の著者としても有名。

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