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オスプレイが降ってきた 米国から見た故郷 大学生監督のモヤモヤ

「人魚に会える日。」の監督を務めた仲村颯悟さん
「人魚に会える日。」の監督を務めた仲村颯悟さん

 オスプレイの事故、普天間飛行場の移設工事再開――。沖縄出身の慶応大3年で、映画「人魚に会える日。」の監督を務めた仲村颯悟(りゅう・ご)さん(20)は、留学先の米国でそのニュースを知りました。映画では、基地と隣り合わせの環境で育ち、賛否では割り切れないモヤモヤを抱える若者たちを描きました。脚本に、仲村さんは「オスプレイおちたことないし」というセリフを書きました。その「事実」が変わってしまった衝撃、大人たちが口にする「またか」の言葉の意味――。改めて考えたことを、つづってくれました。

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2004年に発生した沖縄国際大学のヘリコプター墜落事故が頭をよぎった。

 米国での留学生活にも十分に慣れてきたが、週に数回ツイッターを眺める習慣だけは日本にいた頃と同じだった。そしてその日も、いつものようにぼーっと画面を指で撫でていると突然現れた『オスプレイ不時着』の文字。沖縄の友人が、新聞社から発せられた速報をリツイートしたものだった。

 詳細を確認しようと検索するものの、一向に状況が掴めない。米国にいるからなのか、そうも思ったが、不意に2004年に発生した沖縄国際大学のヘリコプター墜落事故が頭をよぎった。いや、おそらく沖縄の当時を知るマスコミや大人たちも同じように”あの事件”を思い出しただろう。

 夏休みの大学に普天間基地所属のヘリが墜落し、現場にはすぐさま米軍の管理のもと規制線が張られ、大学関係者を含む県民が現場に立ち入ることが許されなかった出来事だ。

 小学生だった僕は後になって知り合いのマスコミ関係者からその話をよく聞かされていた。そんな過去があるからこそ、夜中に撮影された大破した機体の写真を翌朝県内紙で拝見したとき、うやむやにされる前に撮影してやろうという沖縄のマスコミの思いを感じとったのだった。

米軍ヘリが墜落した校舎を眺めるゼミの学生たち=2005年4月4日、沖縄県宜野湾市の沖縄国際大学で
米軍ヘリが墜落した校舎を眺めるゼミの学生たち=2005年4月4日、沖縄県宜野湾市の沖縄国際大学で

何か意見を発していいのか、もしくは駄目なのか。と迷っているように感じた。

 乗員を含め、犠牲者が出なかったことは不幸中の幸いだ。しかしこの事故が日米両政府そして沖縄に大きな影響を及ぼすものだということはすぐに想像がついた。

 事故後、「不時着」か「墜落か」といったことで日本が騒いでいるなか、アメリカでは「Osprey crashed in Okinawa」という見出しでニュースに上がっていた。

 「ついに」「やっぱり」とSNSに並ぶ大人たちの声の間に、新聞社から発せられた情報を黙ってリツイートするだけの若者の姿をみたとき、この事件に対して何か意見を発していいのか、もしくは駄目なのか。と迷っているように感じた。

 決して関心がないわけでなく、これから起こるであろう大きな波に近寄らないようにしているように。そして僕自身、この出来事を米国で誰かに話す気にはなれなかった。話していいことなのかを迷ったのだ。

オスプレイの機体の一部を回収する米軍関係者=2016年12月20日、沖縄県名護市、小宮路勝撮影
オスプレイの機体の一部を回収する米軍関係者=2016年12月20日、沖縄県名護市、小宮路勝撮影 出典: 朝日新聞

ある日、沖縄と言ってみると、大きく目を開いて「知ってる!行きたいんだ!」

 米国にやって来て驚いたことの一つが、「沖縄」の知名度の高さだった。留学当初、関東の大学に通っているからと、東京からやって来たと言っていた。しかしある日、沖縄と言ってみると、大きく目を開いて「知ってる!行きたいんだ!」と話した。

 それ以降、沖縄と言うと、皆が皆知っていた。沖縄に友人がいるんだ。長寿の島でしょ。と、予想外の回答に毎回すごく驚く。

 だから逆に、どんどん基地についてを話していいのかを迷ってしまった。こんなにも暖かく僕を受け入れてくれ、沖縄について笑顔で話す人に向かって、この事故に対してどう思うかを聞くことが出来なかった。

 そしてそれは、僕が沖縄で過ごしてた高校時代までの間、若者が米軍基地に対して賛成も反対も声を上げることがなかった状況と交差して見えた。

白い砂浜に青空が広がる「アラハビーチ」。沖縄戦では付近一帯に米軍が上陸したが、当時の面影はない=2015年6月3日、沖縄県北谷町、諫山卓弥撮影
白い砂浜に青空が広がる「アラハビーチ」。沖縄戦では付近一帯に米軍が上陸したが、当時の面影はない=2015年6月3日、沖縄県北谷町、諫山卓弥撮影 出典: 朝日新聞

だからずっと、基地問題に関してモヤモヤとしていた。

 生まれた時から隣りには基地があるのが当たり前の日常を送ってきた僕らにとって、基地に関する問題に意見を持つことはとても難しいことだった。

 米軍絡みの事件事故に嘆いている暇もなく、繰り返される問題。反対活動に声を上げている大人たち。それも沖縄の真実だ。その一方で基地で働いている友達がいたり、基地があるからこそ生まれたハーフの子がいたりと、何も全てが悪いわけじゃないのも知っていた。

 逆に基地があって良かったと思った時さえある。だからずっと、基地問題に関してモヤモヤとしていた。反対派の意見も、容認派の意見も理解できる。でも、言葉にできないから「わからない」と答える。

 そんな基地問題に悩む若者を物語の背景に描いた「人魚に会える日。」というファンタジー映画を公開したのは今年のことだった。

映画のワンシーン=映画「人魚に会える日。」製作委員会提供
映画のワンシーン=映画「人魚に会える日。」製作委員会提供

何事も無いようにみえたオスプレイが降ってきたのだ。

 東京・大阪・名古屋と主要都市のほか、地元である沖縄では延長に延長を重ね、今日も上映が続いている。「自分たちの思っていることがきちんと映画に反映されていた」という沖縄の若者からの感想の他に、県外では「こんなことも思っていたなんて知らなかった。

 もっと沖縄に目を向けたい」といった言葉が多く、今を生きる沖縄の若者の思いを映画というに込めたことに意味があったんだと強く感じていた。

 そんな映画「人魚に会える日。」の作品内で沖縄の高校生が「結局、オスプレイも堕ちたことないからね。」と言う場面がある。もちろん、そのセリフを書いたのは紛れもない僕だ。オスプレイは堕ちないと思っていたのか、それとも皮肉を込めて加えたのか、それは作品を観た人それぞれの解釈によると思うが、脚本を書いた2年前と今とで、事実は変わったのだ。

 ヘリが降ってきたように、何事も無いようにみえたオスプレイが降ってきたのだ。僕にとってその衝撃が大きかった。

エンジンカッターを使い切断したオスプレイの一部を運ぶ米軍関係者ら=2016年12月16日、沖縄県名護市、関田航撮影
エンジンカッターを使い切断したオスプレイの一部を運ぶ米軍関係者ら=2016年12月16日、沖縄県名護市、関田航撮影 出典: 朝日新聞

きっと事実が変わる瞬間を何度も目撃してきていたからなんだと思う。

 今年起きた米軍属による暴行殺人事件のとき、大人が言った。「またか」と。それと同じように、オスプレイが配備されることになった4年前、大人たちが「もう二度と」と声を上げていた。

 大人たちがあの時、反対していたのはきっと事実が変わる瞬間を何度も目撃してきていたからなんだと思う。安全と思っていたものが危険に変わる瞬間を、負担軽減と言って何も変わらない瞬間を。そして大人たちが予想していた通り、事故後飛行を停止していたオスプレイは事故発生から6日後に沖縄の空を飛んでいた。「オスプレイだ」という友人のツイートを見かけた。

 今回オスプレイの事故があった現場は、普天間基地の移設先に予定されている辺野古の近くだ。普天間に所属しているオスプレイが北の名護市で事故を起こしたのだ。仮に辺野古に基地が移設されたとして、普天間で事故が起こらないと誰が言えるだろうか。と、ふと思った。普天間基地を辺野古に移設することで安全面において何が解決されるんだろうか。と。

辺野古のキャンプ・シュワブのゲート付近で、オスプレイの事故に抗議する人たち=2016年12月17日、沖縄県名護市、小宮路勝撮影
辺野古のキャンプ・シュワブのゲート付近で、オスプレイの事故に抗議する人たち=2016年12月17日、沖縄県名護市、小宮路勝撮影 出典: 朝日新聞

ほんの少しだけでいいからその記事を読んでほしい。

 僕は基地に賛成だとか反対だとか、正直に言うとまだ答えが出せていない。その思いは、米国にやって来て、沖縄のことを話す米国人の姿を見て、さらに奥が深くなっている。

 ただ、ひとつだけ伝えたいことがある。新聞で、テレビで、もしくはSNSで、基地に関する話題を見かけたとき、少しだけでいい、ほんの少しだけでいいからその記事を読んでほしい。

 基地問題は沖縄問題なんかじゃなく日本の抱えている問題だと思ってほしい。みんなで悩んで、みんなで考える。そこから広がる可能性がきっとあるはずだと、僕は信じたい。

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