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鉄格子の大みそか、身近な「難民」人権と法のはざまで…収容施設の今
大みそか、遠い異国で隔離されたまま新年を迎える人たちがいます。全国に17カ所ある収容施設。強制送還と決まった人などが対象で、法務省入国管理局(入管)が管理しています。いつ出られるともわからない日本社会を密室の中で思い描いています。人権と法のはざまで「人を収容する」ことの難しさと難民の実情の一端をお知らせできればと思います。(朝日新聞映像報道部・鬼室黎)
私は許可を得て、これまで各地の収容施設を継続的に取材してきました。
茨城県牛久市のJR牛久駅から車で片道約15分。人気のない林道の奥に東日本入管センターの建物があります。2015年5月の時点で、約300人を収容中でした。
収容者たちは数人で一部屋をあてがわれていることが多く、1日のうち、共用スペースで洗濯やシャワーなど身の回りのことをして、他の部屋の収容者と話ができるのは6時間ほど。運動場は1日に40分間使うことができます。
しかし、そのほかの時間は数人で室内に閉じこもっていなくてはいけません。元収容者の多くが「自室ではテレビ、食事、睡眠、同室者との会話、トランプゲーム以外に何もできない。毎日がその繰り返しで精神的につらい」と話していました。
誰にも収容期間が定まっていないので、その状態がいつまで続くのか分からないことも追い打ちをかけます。平均収容期間は100日を超え、取材時には5年以上になる人もいました。
私は6畳に板の間がついた定員5人の和室を撮影しました。室内にはトイレとテレビ、テーブルが備わっていますが、窓は鉄格子で塞がれていて、外の景色は見えません。見ず知らずの、しかも言葉も通じにくい外国人同士での生活は緊張を強いられ、疲れがたまるのも容易に想像できます。
トルコから来日、収容されて2カ月になる4人のクルド人への市民ボランティアによる面会に同席しました。面会室は中央をガラスで仕切られ広さは4畳ほど。面会時間は30分です。4人は難民申請の結果を待っているのだといいます。
車いすで現れた1人は収容後に病気になり、ふだんは寝たきり。片言の日本語で「助けて。お願いします」と訴えます。もう1人はストレスからか、いらだちを隠せない様子で「ここにいるのは大変。分かる?」と強い口調でした。
センターで過ごす人の国籍はスリランカ、ネパール、イラン、中国、トルコ、バングラデシュ、フィリピン、ナイジェリアなどさまざまで、出身地のミャンマーから国籍を与えられていないロヒンギャ族の人たちもいます。
超過滞在の例としては、80年代のバブル景気の頃から国内で単純労働などをしてきた人や、日本人と結婚したものの、在留資格を持たない人たちがいます。
ほかには、本国での反政府活動への参加によって脅されたり、周囲の友人たちが行方不明になったりして命の危険を感じた人たちも収容されています。
彼らに共通しているのは、日本に何らかの「希望」を持ってやって来たこと。それは「安全」だったり「収入」だったり、人によっては「人生」そのものだったりします。
ここで、「難民」についても説明しておきましょう。収容者たちの中で、人種、宗教、国籍、政治的意見などを理由に、帰国すると本国の政府や組織から暴力を受けたり、命を狙われる可能性がある人たちが「難民」に当たり、その送還は日本も批准している難民条約などによって禁止されています。
一方で、日本政府は難民であることを、難民が自ら立証することを求めています。これが難題で、彼らは一刻も早く出国する必要があったなどの事情で「証拠」を持たない人が多いのです。
ヨーロッパや北米ではより柔軟に、そして寛容に難民は受け入れられてきましたが、日本の受け入れ態勢はこの点でひときわ厳しいと言えます。
さらに、日本の制度では難民申請中であれば、送還されることがないため、うその申請をして、その間にお金を稼ごうとする人たちの存在も指摘されています。
収容者のうち、難民申請するなどして保護を求める人が半数を超えるセンターもありますが、誰が難民で誰が難民ではないのか、日本には専門家が少ないこともあり、見極めることは非常に難しいのです。
ただ、少なくとも難民性が高い人をはじき出して、強制送還する状況を生み出してはならないと思います。
こうした収容者にとって、日本社会との接点になっているのが、面会を通して相談にのるボランティアの人たちで、各地で活動しています。
名古屋入管(名古屋市)で面会を続ける主婦、西山誠子さん(71)は「入管施設には第三者として日本人の目が必要」と、60歳を超えてから活動を始めました。
これまで、医療態勢や面会時間の拡大などの処遇改善を、度々入管に申し入れてきました。申し入れに対する入管からの返答はありませんが、面会時間が10分から30分に拡大された時は、面会を心待ちにする家族に喜ばれたと言います。
西山さんは日本人が敬遠するきつい労働に従事する外国人たちを多く見てきました。雇用主からの信頼が厚く、地域社会に認められた人もいて、「帰国させてはもったいない」と感じたこともあります。
山梨県の建設会社で働いていたトルコ人男性は、超過滞在で20年ほど日本にいて収容されました。帰国を決めた後、関係者へのあいさつと荷物の整理のために1週間の仮放免を求めた際、それまで働いていた会社の社長が「あいつは絶対に逃げない」と保証金の100万円を出した例もあったそうです。一方で、やり直しがきく若者などには、帰国を勧めることもあります。
同様の活動は、茨城県の牛久や大阪でもあり、私が出会った支援者は喫茶店の店主や元保育士などさまざまです。仮放免の保証人になったり、自宅で食事を提供したりして収容を解かれた人たちを助けています。各地のボランティアは、「収容施設は日本の人権感覚が問われる場所」という問題意識で一致しています。
ヨーロッパの収容政策に詳しい東大CDR(難民移民ドキュメンテーションプロジェクト)の新津久美子学術研究員によると、英国では法律、宗教、精神面をケアする専門家が頻繁に施設を訪れるほか、独立機関である視察委員会や政府公認の登録ボランティアらが施設を自由に出入りできるそうです。
「密室の施設には、人権侵害や暴力を発見、防止するために第三者の存在が必要。日本ではボランティアがある程度その役割を肩代わりしています」と言います。
大村入管センター(長崎県大村市)では長崎市の牧師、柚之原寛史さん(47)が09年からセンター内の一室で、全国でも珍しい礼拝を行っています。礼拝にはイスラム教徒や仏教徒も集まります。国籍もモロッコ、中国、スリランカなど十数カ国に上るということです。
柚之原さんは「収容者は礼拝したくてもなかなかできない。神を求める渇いた心を少しでも満たせれば」と語ります。入管側も礼拝を許可した理由を「収容者たちの心の安寧を図るため」としています。
この礼拝の様子を撮影した日、神父の正面に座り、熱心に祈りを捧げていたナイジェリア人の男性が身柄の拘束を一時的に解かれる仮放免となりました。
母国でテロリストによって母親を教会で殺されたといい、難民申請中です。偽造旅券を使った来日直後に収容されてから1年4カ月、彼は初めて日本社会に足を踏み出しました。
東京の難民支援協会など、難民支援団体には毎月、難民申請などを求めて外国人たちが訪れます。彼らの中には所持金が尽きてしまい、住む家もなく、見知らぬ日本で野宿生活を強いられる人も少なくありません。
今の時期、冬場は特に苦しく、支援者たちは一時的に避難できるシェルターを用意したり、食事を提供したりしています。
ヨーロッパでの難民についての報道を目にするかもしれませんが、彼らは私たちのすぐ近くにも存在しています。社会全体が彼らの存在と尊厳について、真剣に考える時ではないでしょうか。
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