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SMAP、小泉今日子へ曲提供…作曲屋・横山剣が語る「理想のアイドル」

SMAPやキョンキョンをはじめ、数多くのアーティストに楽曲提供してきたクレイジーケンバンドの横山剣さん。“東洋一のサウンドマシーン”が明かす「作曲屋」としての矜恃とは。

クレイジーケンバンドの横山剣さん
クレイジーケンバンドの横山剣さん

目次

 今年でデビュー35周年を迎える、クレイジーケンバンドの横山剣さん。バンドでの活動と並行して、SMAPや小泉今日子さんら様々なアーティストに楽曲を提供しています。アルバム「香港的士-Hong Kong Taxi-」で提供曲をセルフカバーした剣さんに、独自のアイドル論や「作曲屋」としてのこだわりを聞きました。

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SMAPはユニゾンがグッとくる

 ――「香港的士」では、SMAPへの提供曲「退屈な日曜日」(2005年)をセルフカバーしていますね。

 元々はZAZOU(1989~91年)というバンドをやっていた頃につくった曲です。ホーンセクションの入ったジャジーな感じの曲がやりたかったのに、ZAZOUのサウンドには適合しなくて、当時は悔しい思いをした覚えがあります。CK'S(91~97年、クレイジーケンバンドの前身バンド)時代にライブではやってたんですけど、音源には入ってなかった。それがSMAPさんに、というお話をいただいて提供することになりました。

 SMAPはグルービーな曲にも対応できるし、ジャジーなものやソウルっぽいものをあててもカッコイイ。しかもそれをユニゾンでやるのがグッとくるんです。まるで最初からSMAPのための曲だったかのように、違和感なく歌ってくれました。

 「SMAP×SMAP」で共演した時は、カーマニアの稲垣吾郎さんとクルマの話で盛り上がりました。中居正広さんは野球マニアなので、ウチのギターの小野瀬雅生と野球の話に熱くなってましたね。木村拓哉さんはホスピタリティーがすごい。「こちらへどうぞ」って、ダンディーな方でした。

「まるで最初からSMAPのための曲だったかのよう」と語る剣さん
「まるで最初からSMAPのための曲だったかのよう」と語る剣さん

 ――クレイジーケンバンドの「プーナ」(98年)も、実はSMAPのためにつくった曲だったとか。

 ええ。「プーナ」はSMAPを意識してつくりました。つくっているうちに「これはSMAPだ!」って。まあ、この時は楽曲提供はかなわなかったんですけど。

 ――SMAPバージョンの「プーナ」も聴いてみたかったです。

 そうですね。絶対カッコ良くなると思います。あまりにも裏ヨコハマの歌なんで、このままの歌詞だと難しいでしょうが。

AKBもおニャン子も、食わず嫌いはもったいない

 ――ジェロさんに提供した「アルゼンチン逃避行」(09年)の作詞は秋元康さんです。

 宇崎竜童さん作曲の「海雪」(08年)で秋元さんが書いた歌詞が好きで、ダメ元でお願いしたら、すごく気合の入った歌詞をいただきました。クレイジーケンバンドのことも好きでいてくれたみたいで、よく研究してくれて…。

 秋元さんは根っこがソウルフル。AKBにしてもおニャン子クラブにしても、歌詞を見ると男の子的にグッとくる内容だったりする。イメージだけで食わず嫌いするのはもったいない、いい歌詞なんです。美空ひばりさんの「川の流れのように」(88年)なんか、素晴らしいですからね。

 会うといつも湯上がりタマゴ肌でつるんとしてて(笑)。不思議な方ですよね。本当に天才だと思います。

アルバム「香港的士-Hong Kong Taxi-」
アルバム「香港的士-Hong Kong Taxi-」 出典:ユニバーサルミュージック

 ――アイドルということでいうと、小泉今日子さんと中井貴一さんに提供した「T字路」(14年)もアルバムに収録されていますね。ドラマ「続・最後から二番目の恋」の劇中歌でした。

 ドラマのストーリーから喚起されるイメージで作曲しました。小泉さんも中井さんもうまくて、何の指示もしないのに思い描いた通りに歌ってくれて。ドラマで共演した時に小泉さんにごあいさつしましたけど、キュートで綺麗でまったく年齢を感じさせませんでした。

 小泉さんは、近田春夫さんとか小西康陽さんとかアーティスティックな人の作品にうまく乗るセンスのある方。そしてそれが、スタイリッシュに落ち着く。SMAPもそうですけど、そういう方に曲をつくるのはやりがいがありますね。

オールスター運動会でマッチと徒競走

 ――キョンキョンがデビューした80年代には、剣さんもダックテイルズ(84~88年に在籍)のメンバーとしてテレビでの芸能活動をされていました。同時代を併走するような感覚もあったのでしょうか。

 併走してましたし、自分たちのアイドルという感覚もありました。昔のアイドルはお人形さんで、自分の意思を持つことも許されなかった。そんななかにあって自分の考えをしっかりと持って、新しいスタイルを築いた。そういうアイドルの先駆けだったんじゃないかな。

 ダックテイルズ時代は、テレビのオールスター運動会にも出てました。グアム島に行ってやるんですよ。僕らみたいな末端の人間にもそれ相応の部屋を用意してくれて。相当な予算掛けてましたよね。

イイネ!ポーズを決める剣さん
イイネ!ポーズを決める剣さん

 トシちゃん(田原俊彦さん)率いる「レッド・トッシーズ」と、マッチ(近藤真彦さん)の「グリーン・マッチ-ズ」、それから(シブがき隊の)「ブルー・ガッキーズ」、(ザ・グッバイの)「イエロー・グッバイ」に分かれて競い合って。僕はレッド・トッシーズ。徒競走をやって、1位がマッチ、2位が僕、3位がフックン(布川敏和さん)で4位はヒップアップの島崎俊郎さんでした(笑)。

 女の子もキョンキョンはいなかったけど、森尾由美ちゃんや中森明菜ちゃん、桑田靖子ちゃん、亡くなった岡田有希子ちゃんがいましたね。

筒美京平さんや浜口庫之助さんのように

 ――時代を感じます。そういう「ザ・芸能界」的なものに対して、「しゃらくせえ!」みたいな思いはなかったのですか?

 むしろ、ザ・芸能界と太いパイプを持っていたかったですね。僕の目的は作曲することだったので、芸能界は「お客さま」なわけです。

 アイドルに曲を書きたい、というのは小学生の頃からの夢。筒美京平さんや浜口庫之助さんのようになりたい、と思ってましたから。

渋いイメージからは想像がつかないが、かつてはオールスター運動会に出演したことも
渋いイメージからは想像がつかないが、かつてはオールスター運動会に出演したことも 出典:ユニバーサルミュージック

 ――どうしてもクレイジーケンバンドでのパフォーマーとしての剣さんに脚光が集まりがちですが、もともと裏方志向が強くあったわけですね。

 そうですね。バンドもやりたかったけど、趣味でよかった。バンドでデビューしようという感じではなかったんです。でも、「作曲屋」を目指していた頃は全然オファーがなくて。バンドを始めたら「曲をつくってほしい」という依頼が来るようになった。結果的によかったな、と思います。

 昔、作曲用のバンドをやろうと思ってメンバーを集めたこともありましたが、みんな「で、ライブはいつやるの?」って。「スタジオミュージシャンで裏方がんばろうよ」と言うんだけど、やっぱりみんなライブでキャーキャー言われたい。僕はキャーキャーなんていいから、裏でアイドルとイイ感じになりたかったんですよ(笑)。

「作曲家」ではなく「作曲屋」

 ――不純なことに対して、すごく純粋な思いを抱いていた(笑)。

 作曲で名をなして葉山や逗子に住んで、クルーザーに乗るのがオトコの夢なんだって思ってたんですねえ。でも、結局誰も(曲を)使ってくれない。それなら自分でやるのもアリかなと。矢沢永吉さんや山下達郎さんを見ていて、そう考えるようになりました。

 達郎さんはマッチの「ハイティーン・ブギ」(82年)とかKinKi Kidsの「硝子の少年」(97年)とか、名前を隠したら達郎さんとわからない曲をつくってますよね。イメージを覆すような。そういうところも面白いな、と思います。

 ――「作曲家」ではなく、「作曲屋」を自称するのはなぜですか。

 「作曲家」だと英才教育を受けたセンセイみたいで。人から言われるのはともかく、自分で名乗るのはインチキくさい。「作曲屋」の方がストリート的でしょ。僕の始まりは、屋台の即興パフォーマンス。小5の時から露店の中古レコード屋さんで、実演販売の口上をやってましたからね。

 一番偉いのは「楽曲様」。楽曲のためなら我慢でも何でもしよう、という気持ちがあります。

「一番偉いのは楽曲様」
「一番偉いのは楽曲様」

 ――剣さんが最初に憧れたアイドルは?

 ピンキーとキラーズ。8歳ぐらいの頃に聴いて追っかけになって、コンサートを見に行ったり、グッズを集めたり。テレビも欠かさずチェックしてね。当時、曲にフルートが入るのは珍しかったし、すごくセンスが良かった。ブラジル音楽の要素も下地にあって、コンサートではセルジオ・メンデスの曲なんかもカバーしてました。

 「アーティスト」と「アイドル」の両方を兼ね備えてましたよね。そういうグループはあまりなかった。アイドルは人をチャームする魅力が大事。ツンとした人もいれば、人なつっこい人もいますけど、ピンキラは後者かな。いまで言えばTOKIOみたいな、素直で親しみやすい感じがありました。

東方神起の曲をつくってみたい

 ――いま作曲してみたいアイドルは誰ですか。

 いっぱいいますけど、東方神起はいいですね。R&Bっぽいヒップな曲が多いなかで、アルバムに1曲ぐらい牧歌的で親しみやすい曲があって…。その1曲をつくってみたい。

 チャンミンは僕のなかで、矢沢永吉さんや西城秀樹さんに通じる龍のようなイメージなんです。もう1人のユノも踊りがすごくカッコイイし。娘が好きで見ているうちに、「何この人たち、カッコイイ~!」って自分までファンになっちゃった。コブシはR&Bで高音はX Japan。見た目もいいし、とにかく短所が一つもない。完璧過ぎるんですよ。

来年、結成20周年を迎えるクレイジーケンバンド
来年、結成20周年を迎えるクレイジーケンバンド 出典:ユニバーサルミュージック

 ――クレイジーケンバンドにとって、来年は結成20周年、再来年はデビュー20周年とアニバーサリーが続きます。今後の抱負は。

 誰もが口ずさめるようなヒット曲が、もう2、3曲あると楽しいかなと。キャッチーなんだけど、いざ歌うと難しい歌。森進一さんの「冬のリヴィエラ」(82年)とか達郎さんの「クリスマス・イブ」(83年)のようなね。

 それから来年9月、横浜の赤レンガで記念ライブもやります。お客さんを飽きさせないように常に刺激して、何かしら賑やかしをしていきたいですね。

「誰もが口ずさめるようなヒット曲が、もう2、3曲ほしい」
「誰もが口ずさめるようなヒット曲が、もう2、3曲ほしい」

 〈よこやま・けん〉 1960年、横浜生まれ。81年、クールスRCのボーカル兼作曲家としてデビュー。ZAZOU、CK'Sなどのバンドを経て、97年にクレイジーケンバンドを結成。作曲家としても堺正章、和田アキ子、SMAP、TOKIOなど多数のアーティストに楽曲提供している。著書に自叙伝『マイ・スタンダード』(小学館文庫)。

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