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リオパラ15競技見た、観客席の常連 熱い応援の理由が、深すぎる…!
「舞台」以外の場でもドラマは起きています。たとえばアスリートを見つめる応援席でも。2016年のリオデジャネイロ・パラリンピックの観客席でレンズ越しに出会った「彼」は、一人でも多くの選手に声援を送りたくて、日本から来ていました。地元のリオっ子も巻き込んでしまう、やたらと熱いその応援スタイル。いったいどんな人なのか知りたくなり、会いにいってみました。(朝日新聞大阪映像報道部・井手さゆり)
(あの人、また来てる)
リオデジャネイロ・パラリンピックも後半に入った9月15日、車いすラグビー日本代表のフランス戦。観客席を撮影していた私は、気になる相手にレンズを向けた。
新聞社のスポーツ取材では、競技はもちろん観客席も撮影する。会場が盛り上がっているか。おもしろい応援をしている人はいないか。どのくらい観客が入っているかも大切な要素になる。
この日、観客席の多くは地元ブラジルの人たちで埋まっていた。そのなかで、ラグビー日本代表のサクラのジャージーに日の丸のハチマキ姿で、手持ちの太鼓を打ち鳴らし、声を張り上げる男性の姿はひときわ目立った。周りより応援に熱が入っていた。
誰だろう、と思っていると、顔見知りのカメラマンが教えてくれた。「あの人、『つなひろワールド』の社長ですよ」。
それが竹内圭さん(32)だった。
フランス戦に日本は勝って準決勝へと進み、その後悲願の銅メダルを獲得して大会は終わる。リオでは応援席の竹内さんに声を掛ける間がなかったが、帰国した後も、何となく気になっていた。あの応援の入れ込みようの理由を知りたかった。
東京・神田に事務所を構える「つなひろワールド」は障害者アスリートの就職支援に特化した会社だ。設立は2012年、選手と企業の希望をすりあわせて、双方が納得いく形での就職を支える。リオには支援した選手が合わせて20人出場したという。
リオで竹内さんは、就職支援した選手が多い車いすラグビー以外にも、陸上、水泳、柔道、ボッチャなど、日本人が出場する競技を中心に計15競技をはしごして応援していた。私が睡眠時間を削りながら撮影に走り回っていた競技数より多い。日程表を見せてもらうと、本当に朝から晩まで応援ざんまいだった。
「戦うのは選手たち。僕らができるのは、応援しかないですから」
地元ブラジルの観客を味方に取り込もうと、現地で知り合った日本人たちと、ホームセンターで材料を買い込んで、夜な夜な日の丸の小旗や必勝ハチマキといった応援グッズを手作りしては、会場で配ったりしたらしい。
仕事の域を超えて応援する理由を尋ねると、竹内さんはこう話してくれた。
「就職支援をするにあたっては、選手たちのバックグラウンドを詳しく聞きます。障害を負った当時のこと、社会人として仕事をどうしてきたか、スポーツとの出会いについても……」
「いろいろ聞くじゃないですか。車いすラグビーの場合はロンドン・パラリンピックで4位でした。そして、リオに来て、やっとメダルに手が届く、っていうところを目の前で見ていると……」
「ロンドン・パラの頃までは、障害者アスリートの雇用は思わしい状況ではなく、海外遠征には借金して行く選手もいました。今は東京パラが決まってからの『風』に乗っていますが、ブームで終わらず定着してほしい。若い選手には、東京の先があります。また、就職支援をする選手には、アスリートとして『結果』を出す覚悟があるか、確かめています」
一般の人たちより選手の身近にいて、日頃の様子を知っているからこそ、というのは、取材する側の気持ちと少し似ている。
私自身、取材を始めた当初はパラリンピックの選手はほとんど知らなかった。取材を重ね、選手一人ひとりの話を少しずつ聴くうちに、格好よく撮りたいという気持ちも強くなっていった。
車いすも義足も、丸ごとその選手がきれいに見えるフォームを探すようになった。試合の途中で一喜一憂することもある。カメラマンとしてその場にいる以上、勝っても負けても目の前で起きていることを撮り続けるのだけれども。
リオの観客席には、竹内さんの他にも目立つ人たちがいた。聞けば、バックパッカーだったり、車いすラグビーが好きな米国在住の日本人だったり。会場で顔を合わせるうちに、一緒に応援するようになったという。
視察に来た政治家などもいたけれども、応援を引っ張って、その熱量で選手たちを支えていたのは、「ただただ、応援したくて来た人たち」だった。あのときシャッターを切ったのは、その熱を写し取りたかったからかもしれない。
この記事は11月12日朝日新聞夕刊(一部地域13日朝刊)ココハツ面と連動して配信しました。
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