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「親」だけど「母」じゃない 山崎ナオコーラさんの気張らない子育て
「人のセックスを笑うな」などの作品がある作家の山崎ナオコーラさん(38)。性別や年齢など、人をカテゴリーで束ねることへの違和感を書き続けてきました。2016年初めに出産し、出産・子育てを通じて感じていることを、「Web河出」のエッセー「母ではなくて、親になる」で連載中です。たしかに「母」って、良くも悪くも「親」より重い響き……。「母ではなく、親に」なるなんて、本当にできるんですか?
「『親』ならば、その人それぞれの方法で、親という存在になれそうです。自分のまんまで。でも『母親』とか『ママ』というと、定型のイメージがあって、自分ではない何かにならないといけないように感じます。たとえばソプラノで子守歌を歌うとか、毎食手作りするとか、子どものために自分を捧げるとか」
「子育て中の友人の話を聞いたり子育てをした人の文章を読んだりした時、出てくる悩みが、無理に『母親』になろうとしているから生じているのではないか、男の人はそういうことで悩まないのでは、と感じたんです。『母』を気張らなければかなり楽になるのではないかと。『母になりたい』という人を否定する気は全くありませんが、自分は『母』とは一切考えないようにしようと思いました」
連載1回「人に会うとはどういうことか」で、山崎さんは書いています。
定型的な「母親」のイメージが現れる例として、山崎さんが挙げたのが妊娠中の姿を撮ってもらうサービス「マタニティーフォト」だ。頭に花輪を載せ、白やピンクの布を身につけた、妖精のような姿で撮る人が目立つ。
「妊娠前はみんな違うファッションだった人々が、一つのイメージに向かって変わっていく努力をしないといけないような雰囲気があります。その努力をしない人は、『母親』失格であるかのように」
育児グッズの買い物をしても、子育ての本を読んでも、「ママだからできる○○」「母のための○○講座」といった表現があふれていて、違和感を感じたそうです。
たとえば、お出かけ時の赤ちゃんのお世話道具一式が入る大きめのバッグの名称は「マザーズバッグ」。健診や成長記録のための手帳は「母子手帳」。いずれも、出産後は父親が使うこともあるものです。
「これでは夫の方も、自分向けではない気がして居心地が悪いんじゃないでしょうか。私は頭の中で『親のバッグ』などと勝手に変換しています。そうすると楽になりました」
そんな山崎さんも出産前、夫に対してつい「父親になるんだから」と言ってしまったことがあったと、エッセー集「かわいい夫」に書いています。
実際に子どもが生まれてみたら、つい「母親」をしている自分を発見した、ということはなかったんでしょうか。「母親になれ」という社会的な圧力だけでなく、自分の内側から何かがわき上がってくるということは?
「自分では、産む前の自分と何も変わっていないと思っています。出産は帝王切開で、お産というより手術という風に感じました。産後のうつや体調不良もほぼなかったので、別の自分に変わるタイミングがありませんでした。これは体質や個人の感覚によって違うことだと思いますので、あくまで私の場合は、ということです」
「でも、友達や親に対して『いい母』である自分を表現しないといけない空気を感じる時はあります。子どもより仕事を大事にしているんじゃないかと思われていそうな時は、『離乳食は手作りしているんだ』とか言いそうになる。でもやっぱり、それは言わなくていいことなんです。ちゃんと親をやっていることは、子どもにさえ伝わればいい。周りから、『母親でない』『ダメな親』と思われても構わないと思った方が、楽に生きられます」
そういう風にふるまうには、覚悟がいりそうですが……。
「私個人について言えば、表現したいことを表現するのは仕事でやればいい。自分の『成績』を上げるために親になったわけではないので、子どもとさえいい関係ならいいんです。出産や子育てを、自分の側の、ステップや経験と思いたくない。『子どもを産んで成長した』というのは何か違うと思う。産んでいない人もいろんな経験をして成長しているのに、なぜか、子どもを産むことが人生の特別なステップであるかのように世間で思われがちです」
現実には、子どもを持っていることが、仕事上の登用や印象に影響することはないとはいえません。たとえば要職に登用された女性が新聞で紹介される際、「○児の母」などと、子育て経験がポジティブな情報として紹介されます。男性でも政治家などでは、プロフィールに「○児の父」と入れ「イクメン」であることをアピールする人が増えている印象があります。
「私はいやですね。男でも女でも、子どもがいないと教育問題がわからないかのようなイメージを作ってしまう。次世代のことを考えているかどうかは、子どもがいるかどうかとは関係ありませんよね」
男性の中には、「出産するから女の人はすごい」「女の人にはかなわない」などと、出産・子育てをした女性をもてはやす人もいます。
「こんなことを言うと嫌われそうですが、女性が、『すごい』と言われることに酔ってしまうことも、もしかしたら女性側の子育ての負担が重くなっている一つの原因かもしれません。女性はすごいんだからがんばろうとか、尊敬される母親になろうと思ってしまって。女性が『主人公』として育児をして、同じ親であるはずの男性に、『サポート』や『手伝い』を頼んでしまう感覚です」
もちろん女性の意識の問題以前に、家のことにほとんど関わろうともしない男性は多く、育児は女性がやるものだという社会の固定観念もまだ強い現状があります。
山崎さんは、自治体の健康診断に行った際にモヤモヤした体験を、連載に書いています。
「ロボットではないから作業量や負担をきっちり平等にすることは不可能ですし、会社の仕事とは違う子育てで、それを目指すべきだとも思いません。ただ、女性の方が負担がかなり重くなってしまう場合に、それを『女性だからやっている』とは思わない方がいいと思います。そういう理由づけをすると、それ以上の話し合いの余地がなくなってしまいます」
夫が育児の「サポート役」にならないよう、山崎さんは子育ての「晴れ舞台」をあえて夫に譲っているそうです。たとえば友人に子どもをお披露目する時や、お宮参りの祈祷(きとう)の時など、スポットライトがあたる瞬間に抱っこするのは夫です。入浴などさまざまなお世話も、できるだけ一番最初は夫にやってもらうことにしています。
出産前に出した小説「開かれた食器棚」では、子どもにダウン症などの障害があるかどうかが分かる出生前診断のことに触れました。山崎さんは、図書館でダウン症についての本を借りて調べ、夫とも話した結果、受けないことを決めたそうです。
「もし子どもに障害があったとしても、育てられると思ったんです。最先端の医療やすごい教育を受けさせなくてはと思うと、無理だと考えたかもしれませんが、もともと『いいお母さん』になる気が毛頭ないのです。障害がある子でもない子でも、『すごいこと』をやることは諦めているので、育てていけると思ったのです」
昔は、がんばって何でも最善のことをやろうとし、どんどん東京の中心地に引っ越していくことを目指していたという山崎さん。結婚を機に考え方が変わったそうです。夫は「勝ち負けを気にせず、収入も学歴もそんなにない」けれど、山崎さんが父の死や最初の子の流産などつらい経験をした時には深く関わってくれました。
「違う生き方もあるかもしれない、という気持ちになりました。他の人に対して、『最善のことができないなら障害のある子を産むべきではない』とは一切思いません。愛情をかけてその人なりに育てれば十分。だから自分にもやれると思いました」
山崎さんは、子どもがいる人ともいない人とも、子育ての話も、それ以外の話もしたいといいます。
「私も長い間、子どものいない人生を送ってきました。少子化で子どもがいる方が価値があるみたいな雰囲気で、子どもがいる人は誇らしいんだろうから立てないといけない、と勝手に思っていました。でも子どもを持ってみると、全然そんな風には感じなかった。子どもがいる人の側も、子どもがいない人に子どもの話をする時には、愚痴っぽく言わないといけないと思い込んでいる。お互いに無駄な遠慮です」
その気持ちを書いた第2回「同じ経験をしていない人とも喋(しゃべ)りたい」には、子どもがいない人からも多くの感想が届いたそうです。
根底にはこんな思いがあります。
「社会はみんなで助け合うために構成しているはずです。なのに今は、自分と似ている場所でがんばっている人は助けるけれど、似ていない人や、がんばっていない人は助けなくていい、という雰囲気があります。これでは成熟した社会とはいえないのではないでしょうか」
この記事は11月12日朝日新聞夕刊(一部地域13日朝刊)ココハツ面と連動して配信しました。
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