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トランプ風刺に総立ち スター集結「熱狂しない」ロックフェス
10月上~中旬、米国カリフォルニア南部の砂漠で、「デザート・トリップ」という名のロックフェスティバルが開かれました。ノーベル文学賞を受賞し、再び脚光を浴びているボブ・ディランを始め、ザ・ローリング・ストーンズ、ニール・ヤング、ポール・マッカートニー、ザ・フー、ロジャー・ウォーターズの6組が出演。1960~70年代をリアルタイムで受容したファンなら、その字面だけで身震いするレジェンドばかりが集った夢のフェスです。そこに、私も参戦し、「ロック」を自分なりにかみ締めてきました。
2週続けて、週末の3日間開催された同フェスの第1週目(10月7、8、9日)を目撃した。「熱狂」よりも「鑑賞」。3日間を通して強く心に残ったのは、やはりこの時代のロックは、「鑑賞する音楽」の側面が強い、ということだった。
ミック・ジャガーの強靱な身体能力を生かした歌と踊り、ピート・タウンゼントのぐるぐる腕を回してかき鳴らすギター・パフォーマンス、ポール・マッカートニーのステージにも登場して一緒に「A DAY IN THE LIFE」を歌ったニール・ヤング……。それぞれのパフォーマンスに、熱狂はもちろんしたけれど、実は最後まで理性は失われなかった。
なぜなら「次に彼らが何をするのか」に注目し続けていたからだ。語感を研ぎ澄ませ、彼らの一挙手一投足に着目し、その意味をかみ締める--。そのサインを見落とすわけにはいかない。
今月13日にノーベル文学賞を受賞したディランに至っては、メロディーに乗ったその歌詞を聞き漏らすまいと、観客は彼が発する言葉をかみ締めながら、静かに聴き入るのだ。「雨の日の女」「廃墟の街」「くよくよするなよ」……。しかも、この日はファンも驚く、往年の名曲も披露したわけだから。
クラブ音楽やオルタナティブロックのように、音の渦と一体となって我を忘れた熱狂は、ここにはそぐわない。実際、そんな観客はほとんどいなかった。
ロックを、よく「本能を揺さぶる音楽」「心を解き放つ音楽だ」と位置付ける言説がある。自分自身もこれまでそうだと思っていた。
だが、実は、ある時期までのロックは、クラシックコンサートの延長線上にあるイメージで、いくばくかの興奮や熱狂こそあれ、ステージ上のパフォーマーを「じっくり鑑賞して味わう音楽」に位置づけられるのではないかと最近よく思うのだ。
だからこそ会場は、通常のフェスとは異なり、一部エリアを除き、大半が指定された座席が配されるわけだし、ステージで起きる出来事を仔細にキャッチアップし、後方の観客の目を代替するための巨大スクリーンも鎮座しているのだ。
明らかに、観客が音の渦にのみ込まれ、踊り狂うための舞台装置にはなっていない。もちろん、観客のほとんどが白人の中年または高齢者で、体調への配慮があったとは言えるけれども。
そして、その鑑賞音楽の極め付けが、3日目のトリを務めたロジャー・ウォーターズだった。いわずとしれたピンク・フロイドのメンバー。数日前に、女性活動家を逮捕・拘留しているイスラエル国防軍への抗議のために再結成を宣言して話題にもなっていたが、ここでも話題を見事にさらった。
ステージ終盤。すでに大半の観客は座り、まるでオーディオ装置で音楽を楽しむように、ゆったりとした時が流れていた。このまま青春の思い出をかみ締め、帰宅するつもりで。
それが一変したのは、「Pigs (Three Different Ones)」という曲の時だ。
ステージ後方に、「Divided we fall(分断すれば倒れる)」などと書かれた巨大なブタのバルーンが現れた。ざわつく観客たち。前方のスクリーンには、米国共和党の大統領候補、ドナルド・トランプ氏を女装させたコラージュ画像などが映し出され、彼の過去の発言が次々と表示された。
重厚なリズムを背に鳴り響くギターソロ。盛り上がりが最高潮に達した時、ステージいっぱいに大きな文字で「TRUMP IS A PIG」が出現し、演奏が終了。
その瞬間、観客が総立ちになり、大歓声が砂漠に響いた。
からかいといったレベルではない、強い嫌悪と否定を込めた明確な政治的メッセージ。一時代を築いたミュージシャンとファンの同窓会的音楽イベントには終わらせない、ロジャーの気概と、鑑賞音楽の極みを感じ取った。
「pigs~」は、ピンク・フロイドが1977年に発表したアルバム「animals」に収められた曲だ。
アルバム自体が、人を動物に例えて社会批判した作品だとされ、ブタは資本家や権力者などに例えていると一般的に解釈されている(通なファンならより深い読み方もするのだろうが…)。
音楽に直接的な政治主張を込めるというのは、ともすれば、説教くさくなって、聴き手を興ざめさせがちだ。
しかし、ロジャーは映像を駆使しながら、みごとに大衆エンタメに昇華させていた。共和党支持者と見られる白人が意気消沈し、早々に会場を後にする犠牲を払いはしたものの、だ。
先日のフジロックの「音楽と政治」論争に多くみられたが、「音楽と政治は分離できる」「音楽はもっとピュアなものだ」と信じて疑わない層が多い日本だと、社会的パニックを起こすレベルだ。米国における、音楽を受容する側の度量の深さを強く感じた瞬間だった。
3日間全体を通じて感じたのは、ロジャーも含め、皆まだまだ現役のバンドであるという事実だ。
実際ポールやストーンズは、現在も世界ツアーを続けていて、それぞれのライブフォーマットをここに持ち込み、会場を自分仕様にしたてた上で登場。セットリストもほぼ変えず(ストーンズがビートルズの「come toghter」を演奏したのには驚いたが)、まるでここも、ツアーの一貫だとでも主張するように、黙々と演奏していた。
7日のストーンズの時、スクリーンに、ボロボロになったあまたの自動車が、頭から砂漠地帯に墓標のように突き刺さっている映像が映し出された。車を自身に見立てているのだろう。今回の出演者を指して、「じいさんがいい年して、ロックを続けている」といった皮肉への、彼らなりのユーモアだったのかもしれない。
ただ、よく見ると、ブレーキランプはまだ光っているのだ。バッテリーが残っているということだろうか。
まだまだ走る、というメッセージに受け取った。
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