コラム
元大臣は笑い、元幕僚長は泣いた 2人を分けたものとは…特捜部の闇
2001年に「HERO」で木村拓哉が演じた熱血漢の検事と比べると、15年の間に、世間の検察官に対するまなざしは大きく変わってしまった。この間、再審無罪となった足利事件など刑事司法の信頼を揺るがす事案が相次いだ。きわめつけは、2010年9月に発覚した大阪地検特捜部による証拠改ざん事件だろう。特捜部長ら3人が逮捕され、検事総長が引責辞任する事態に発展した。それから6年。特捜部が再び国民の喝采をあびる日は来るのか。東京地検特捜部が最近捜査した二人の事件から考えてみたい。(朝日新聞社会部記者・三橋麻子/WEBRONZA筆者)
9月29日午後6時。
この日保釈が認められた元航空幕僚長の田母神俊雄被告(68)が乗った黒いワゴン車が、東京・小菅の東京拘置所を後にした。
田母神被告は今年4月の逮捕以来、半年近くを拘置所で過ごした。元東京地検特捜部検事の粂原研二弁護士は、勾留が長期に及んだ理由について、「田母神被告が全面的に無罪を主張していることが原因」と話す。
否認している被告は口裏合わせや逃亡する可能性があるとみられ、なかなか保釈されない。逆に言えば、検察の言うままに容疑を認めれば、早く拘置所から出られるということになる。
「取り調べ検事が『認めないと一般的に勾留が長くなりますよ』と容疑者にいうことはよくある。それは事実だから」と粂原弁護士は言う。
日弁連は、否認した被告を長期間勾留することを「人質司法」と批判してきた。
大阪地検特捜部検事に証拠を改ざんされた村木厚子元厚労事務次官の冤罪も、この「人質司法」によるところが大きい。村木氏は全面否認し、5カ月余り勾留された。一方で、部下は検察の見立てに沿って「村木さんが事件に関与した」と虚偽の供述をし、1カ月で釈放されている。村木さんの有罪立証の中心はこの部下の供述だった。
事件を機に検察のあり方を検討した法務省の有識者会議は、被告の身体拘束に慎重な対応を求めた。今年5月に成立した刑事司法改革関連法には、保釈を判断する際、身体拘束を続けると裁判の準備などで不利益を受けないか考慮する、との趣旨の一文が盛り込まれた。
「長期勾留は人質司法につながる」と、改善を求めた。
前述の粂原弁護士は言う。
「特捜部の事件は、複雑で関係者が多く、証拠も供述が中心になる。検察が口裏合わせを恐れ、長期勾留を求めるのはやむをえないが、裁判所はちゃんと状況をみて判断するべきだ。執行猶予の場合もあるのに、禁錮刑並みの期間を拘束するのは、実刑を受けるのと同じでしょう」
田母神被告の起訴内容は、2014年の都知事選後に、選挙対策本部事務局長や出納責任者と共謀し、運動員5人に280万円を配ったほか、事務局長にも200万円を渡した公職選挙法違反(買収)の罪だ。
この事件に主体的に関わったとされているのは、田母神被告、事務局長、出納責任者の3人。無罪を主張する田母神氏、事務局長に対し、出納責任者は、任意の取り調べから一貫して容疑を認めた。
その結果、この出納責任者は逮捕されず、在宅で起訴。7月に執行猶予付きの判決が確定した。
刑事司法改革関連法では、特捜部の捜査などで新たに司法取引が認められるようになるが、田母神被告と出納責任者の処遇の違いをみると、すでに司法取引が存在している印象がある。弁護人は法廷で、検察の見立てにあわせて出納責任者が虚偽の供述をし、田母神被告に罪をかぶせたことを示唆する立証をしている。
それでも、検察側は有罪立証に自信を見せている。家宅捜索で押収したメモなどの物証があるためだ。
「どの時点で、いかに適切な場所を家宅捜索するかで特捜の事件の勝敗は決する」
ある特捜部長経験者は特捜捜査のセオリーをそう語る。
私たち取材記者にとっても、検察がどこに家宅捜索に入り、どれだけの資料を押収したかは、取材の際、もっとも重要なポイントだ。それは事件がどこまで発展するかを占うものだからだ。
家宅捜索。身柄拘束を判断する権限を最大限に生かした取り調べ。特捜部は「必勝セオリー」を駆使し、田母神被告を追い込んだ。逮捕前、田母神被告は「何とも理不尽さを感じますが、国家権力にはかないません」とツイートしている。
一方の甘利明・元経済再生相についてはどうだったのだろう。
週刊文春の報道がきっかけで今年1月、甘利氏は記者会見し、自ら業者から大臣室などで現金計100万円を受け取ったことを明らかにした。
元秘書2人も、この業者から都市再生機構(UR)の用地買収交渉に関して陳情を受ける一方、多額の現金を受け取り、高額の接待も受けていた、と甘利氏は述べた。
甘利氏は大臣を辞したが、あっせん利得処罰法や政治資金規正法違反の疑いがもたれた。市民からの告発を受けた東京地検特捜部がURと業者を関係先として家宅捜索したのは4月のことだ。
この際、多数の記者が、当然、甘利元大臣の関係先も家宅捜索するものと思い、張り込んだ。
だが、待てど暮らせど、特捜部は来なかった。
特捜部が国交省と甘利氏側に求めたのは、任意の資料提出だけ。5月に特捜部は元秘書や甘利元大臣を嫌疑不十分で不起訴処分としたが、そもそも強制的な物証の収集をしていないのだから、証拠があるはずもない。甘利氏の元秘書にも任意の事情聴取はしたが、いわゆる「アテネタ」がなければ、鋭い追及は困難だったろう。
あっせん利得処罰法という法律の欠陥もあり、ハードルが高かったのは間違いないが、週刊文春が報道した以上の背景を徹底的に解明しようという意気込みはなかった、ということだ。
「チャレンジすべきことにチャレンジしない特捜部」
元特捜部検事の郷原信郎弁護士はこうなげく。
「証拠改ざん事件で、検察のイメージが低下し、モチベーションも低下したことが今も尾をひいているのではないか。限界までチャレンジせず、政治日程に調子をあわせるように不起訴にしている。本来の特捜部がチャレンジすべきことにチャレンジしてない」
捜査が続いていた間、「睡眠障害」で行方をくらましていた甘利氏は、7月の捜査終了とともに表舞台に戻ってきた。大臣辞任の際に約束した「弁護士による調査」の説明は、国会開会直前の9月14日、事件に詳しい記者を避けるように抜き打ちで行われ、短時間で終了した。
甘利氏側から配布された資料には、調査した弁護士名も詳細な説明もなく、「不起訴と判断した捜査機関と同様の結論を得た」と強調するものだった。
政治権力にお墨付きを与えるための捜査だったのなら、茶番というほかない。
経営コンサルタントの佐藤真言氏(43)は2011年、詐欺容疑で東京地検特捜部に逮捕された。中小企業2社の粉飾決算を隠して国の制度を使うなどし、銀行から合わせて約1億円を融資させたという容疑だ。
最高裁まで争ったが実刑判決を受け、1年7カ月、服役した。服役中は月に一度反省文を書き、今は償いを終えて一市民として生活している。
佐藤さんは「巨悪と戦うのが特捜部だと思っていたのですが、私が逮捕され甘利さんは許されるというのは、どうしても納得がいきません。警察とは別に特捜部がある必要もない気がします」という。
特捜部は6年前の証拠改ざん事件以降、取り調べの録音録画の導入などの改革に取り組んできた。独自捜査の態勢は縮小し、着手には以前より慎重な判断がなされるようになった。
それでも、警察組織がある中で、あえて検事が独自捜査をする以上、その法律知識と大きな捜査権限を駆使し、公正な社会をゆがめる腐敗を断つものでなくてはならないだろう。
長年、国民は特捜部にその役割を期待してきた。
再び権力と向き合う気概を持たない限り、再生の日は遠いだろう。
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