昭和史の大疑獄 特捜部が切り込んだロッキード事件の現場
ロッキード事件。5億円収賄を裁くロッキード裁判丸紅ルートの判決公判を終え、右手をあげるいつものポーズで東京地裁を出る元首相・田中角栄氏=1983年10月12日
パソコンゲームになった「首相の犯罪」の1シーン。扇子を片手に入廷するタナカ被告=1983年10月
メーデーはロッキード事件を皮肉ったデコレーションが多く見られた。ピーナッツをくわえたトライスター神輿もその一つ。自治労名古屋市水道労組が制作=1976年5月1日
ロッキード事件「丸紅ルート」の控訴審は、3日間にわたった最終弁論を終え、結審。田中角栄被告側の弁護団は、「無罪を一層確信するに至った」との声明を出した=1986年6月18日
ロッキード事件で衆院予算委員会に証人喚問されたで全日空の渡辺尚次副社長=1976年2月16日
ロッキード事件で証人喚問され「記憶にございません」を繰り返す小佐野賢治・国際興業社主=1976年2月16日
ロッキード事件の解明を「使命」と掲げた三木武夫首相=1976年11月15日
ロッキード事件丸紅ルートの控訴審判決で記者の質問に答える評論家の立花隆氏=1987年7月29日
ロッキード事件丸紅ルート公判で、扇子を手に入廷する田中角栄氏=1978年7月19日
ロッキード事件丸紅ルート控訴審の最終弁論で、東京高裁に入る内藤丈夫裁判長=1986年6月16日
ロッキード事件丸紅ルート控訴審の最終弁論で、東京高裁に入る弁護団=1986年6月16日
ロッキード事件丸紅ルート控訴審の最終弁論で、東京高裁に入る検事団。正面は東京高検の松田昇氏=1986年6月16日
ロッキード事件全日空ルートの控訴審判決公判に出廷するため、全日空本社を出る全日空会長の若狭得治氏=1986年5月28日
ロッキード裁判丸紅ルートの初公判で、緊張した表情で車を降りる田中角栄氏=1977年1月27日
灰色高官退治を掲げたモグラ叩き=1977年3月5日