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イランのテレホンカードなくなる? かつて日本でも話題に、真相は…
「イラン」「テレホンカード」と聞けば、連想して「上野公園」、あるいは「代々木公園」をキーワードとして思い出す人も、30代後半より上の世代には多いのではないでしょうか。そんなイランで「テレホンカードがなくなる」と報じられました。真相を探ってみると…。(朝日新聞テヘラン支局長・神田大介)
そもそもテレホンカードと言っても、若い人は知らないかもしれません。小銭を使わなくても公衆電話から電話をかけられる磁気カードで、クオカードのような形をしています。この使用済みカードのパンチ穴にテープを貼るなどし、再び使えるようにした変造カードが現れ、大きな問題になりました。
過去の朝日新聞記事をたどると、変造が初めて見つかったのは1989年。その後、変造カードの売り子にイラン人が目立つようになりました。彼らが多く集まっていたのが、上野公園や代々木公園。日本は92年、それまでイラン人に認めていたビザなし渡航をやめましたが、その一因になったとも言われています。
そんなイランでテレホンカードがなくなると聞いて、さっそく地元のキオスクを3軒まわってようやく見つけました。店主は「最近じゃ、買いに来る人もあまりいないね」。
たしかに、イランも携帯電話の普及率は昨年春で9割超。公衆電話を使う人自体、ほとんど見たことがありません。
イランのテレホンカードってどんな形なのか。入手した現物を見てみると…ちょっと日本のテレホンカードと違います。
見覚えのあるペラペラの磁気式ではなく、偽造が難しいとされるICチップを埋め込んだ、厚みのあるカードでした。クレジットカードに似ています。
イランメディアの記事によると、イランでテレホンカードが導入されたのは2000年。当時からこの形だったとのことで、「本国の技術」をもとに日本で悪さをしたというわけではなさそうです。
では、なぜイラン人が。過去をたどると、89年5月の週刊紙「AERA」にこんな記事がありました。
逮捕されているのはみな日本人。イラン人は、この時点では単なる「得意客」だったようです。
変造カードが初めて認知されたのは、89年5月8日。東京・神田の金券ショップに持ち込んだ会社員の男が詐欺未遂の現行犯で逮捕されています。別の記事には、暴力団組員の男が、この会社員に変造カード1000枚を渡したと書かれていました。
雑誌記事などをもとに、テレホンカードが変造できるようになった。これを売って荒稼ぎをしたい。だが、金券ショップに売ると通報されるぞ。テレホンカードを大量に必要としているのは誰だろう。そうだ、母国への国際電話にカネがかかる外国人だ……そんな連関が想像できます。
イランは1980年から88年まで、イラクと戦争をしていました。荒廃した郷土を後にしたイラン人が、バブル景気のただ中にあった日本に向かうのは必然とも言えます。ところが、90年代に入ってバブルは崩壊。真っ先にクビを切られたのが外国人労働者でした。
92年3月の記事には、こんな記述が。
イラン人はとにかく話し好き。私の周りでも、よく飽きないなとあきれるくらい、いつまでもおしゃべりに興じています。日本にいても、きっと家族との電話をやめることはできなかったでしょう。
まずは自分が使うところから不正が始まり、どうせならと売るようになった、といったところでしょうか。
日本ではその後、99年に「ICテレホンカード」が加わりました。カードの角を折って取ると使えるようになるというもので、偽造、変造にとても強いというふれこみでした。ただ、このころには携帯電話が普及。あまり利用が広がらず、こちらは2006年に利用を終了しました。
公衆電話はなお現役ですが、数は減っています。総務省の情報通信白書によると、2015年3月の時点で18万台。92年には83万台でした。
在日イラン人の数も激減。91年には年間に5万人近いイラン人が日本を訪れ、ビザなしで滞在できた3カ月を過ぎても出国しない、不法滞在者も多かったといいます。現在、外国人として登録しているイラン人は約4千人です。
2万イランリアル(実勢レートで約60円)で公衆電話から約11分通話できましたが、9月で利用を打ち切ると伝えられたイランのテレホンカード。実は、新たに額面5万リアルのものを発行し、カードを使ったサービスは続けるそうです。カードの単価を上げて効率を高める狙いだといいます。
ただ、イランメディアによると、1台の公衆電話が1カ月にあげる収入が平均33万リアルなのに対し、維持には30万リアルがかかるとのこと。収入は先細りする一方で、将来的に事業の縮小は避けられないということです。
日本にいたイラン人の売り子の印象も、テレホンカードとともに、記憶の中に消えていくことになるのかもしれません。
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