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元売れっ子CMプランナー、なぜ今「ダム映画」? 原発広告の過去

ダム映画に取り組む山田監督(右)と百々カメラマン
ダム映画に取り組む山田監督(右)と百々カメラマン

目次

 大手広告会社に勤務するかたわら、山田英治さん(46)はサラリーマン映画監督としても活躍しています。俳優の大森南朋さん(44)を起用した映画「鍵がない」などフィクションの世界を撮ってきましたが、現在は初のドキュメンタリー映画の制作に取り組んでいます。舞台は、長崎県の片田舎にある「ダムに沈むかもしれない里山」。売れっ子CMプランナーがなぜ? 震災前に手がけた原発広告への後悔。タレントを使ったCMから手を引いた決断。8月1日の「水の日」にあわせて、 新作への思いを聞きました。(朝日新聞経済部記者・高野真吾)

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原発推進に「加担」した過去について「心置きなく正義だと思って企画に邁進した」と語る山田監督
原発推進に「加担」した過去について「心置きなく正義だと思って企画に邁進した」と語る山田監督

原発推進に「加担」した過去

 山田監督は、1993年に大手広告会社に入社。コピーライターからCMプランナーへと活動の幅を広げていくと、15秒という限られた時間から飛び出したくなりました。2000年からの1年間、会社を休職して映画を撮りまくりました。05年には俳優の大森南朋さんらと組み、東京・下北沢を舞台に繰り広げられる恋愛模様を描いた映画「鍵がない」が劇場公開されました。

 本業に復帰していた03年夏。電力会社がトラブルを起こして原発の運転が止まったことから、節電を幅広く呼びかけるキャンペーン広告を担当することになりました。

 「原発はCO2(二酸化炭素)を出さないエコなエネルギーだとすり込まれていた。心置きなく正義だと思って、企画に邁進した」

 電力会社が原発を再稼働させるまでの手助けをし、間接的に原発促進に携わりました。

事故のあった福島第一原子力発電所の原子炉建屋=2011年11月12日
事故のあった福島第一原子力発電所の原子炉建屋=2011年11月12日 出典: 朝日新聞

「細胞のレベルから生き方を改めよう」

 しかし、東日本大震災による原発事故が起きます。山田監督の両親は、ともに福島県出身。子どもの頃、夏休み、正月になると福島で過ごしました。自身は千葉県の出身ですが、福島こそが「心のふる里」でした。その一部に人が住めなくなりました。

 その原因をつくった原発に、仕事ながら促進の立場で関与したことを強く悔いました。また、震災復興団体のCMを個人としてボランティアで制作していく過程で、被災地の問題が日本全体の社会問題でもあることに気づきました。

福島第一原発から半径10キロの住民に避難指示が出され、マスクをつけて誘導する警察官=2011年3月12日、福島県富岡町
福島第一原発から半径10キロの住民に避難指示が出され、マスクをつけて誘導する警察官=2011年3月12日、福島県富岡町 出典: 朝日新聞

 「細胞のレベルから生き方を改めよう」。今ある情報の中から選び取り、「信じられる企業」「信じられる社会活動」をより多くの人に伝えることに、クリエイター人生の全てを費やすことにしました。

 それまでは不動産、自動車関係など有名企業の商品広告の担当もしていましたが、新たに引き受けることをやめました。会社員としてのリスクのともなう決断でしたが、迷いはありませんでした。

 同時に社会的課題をクリエイティブで解決していくための、NPO法人「Better than today.」を12年に立ち上げました。今回のドキュメンタリー映画は、このNPO法人の代表の立場で撮っています。

山田監督が取り組むダム映画の舞台、長崎県川棚町の川原地区
山田監督が取り組むダム映画の舞台、長崎県川棚町の川原地区

反対派は「過激な人たち」なの?

 昨年5月上旬、山田監督は初めて舞台となる長崎県川棚町の川原地区を訪れます。

 同地区に流れる石木川をせき止めて石木ダムを造ろうという建設があがったのは、約半世紀前。事業主体は、長崎県と同町の隣にありテーマパークのハウステンボスが有名な佐世保市です。

川原地区の風景。のどかな農村地帯にダム反対の看板が並ぶ
川原地区の風景。のどかな農村地帯にダム反対の看板が並ぶ

 同市への水の供給と、石木川が流れ込む川棚川の洪水を防ぐことを建設目的に掲げています。今でも13世帯60人が暮らし、反対で団結していますが、行政は建設に向けた土地の強制収用などの手続きを進行中です。しかし、同県内外から必要性への疑問の声がわき、近年は積極的に反対住民を支える動きが目立ってきています。

 山田監督はその頃、ダム建設反対派を「ヘルメットをかぶった過激な人たち」という偏見の目で見ていたと言います。しかし、地元の青年やおばあちゃんと接するうち、「何か俺、間違っていたのかも」と感じ始めました。

ダムで揺れる川原地区。今でも13世帯60人が暮らす
ダムで揺れる川原地区。今でも13世帯60人が暮らす

1枚の写真に涙が止まらない

 決定的だったのは、1枚の写真を見せられた時でした。

 長崎県は1982年に機動隊を投入して強制測量を実施しました。住民らが一丸となって激しく抗議活動をした当時の写真に、メガホンを持って叫んでいる少年の姿が写っていました。気になって説明を求めると、今は4児の父親になっている松本好央さん(41)でした。なぜか涙が止まらなくなりました。

1982年に機動隊が投入された強制測量時の写真。中央右側の少年が、現在は4児の父親になっている松本好央さん
1982年に機動隊が投入された強制測量時の写真。中央右側の少年が、現在は4児の父親になっている松本好央さん

 今から振り返ると涙の理由は、その写真に「不条理」を強く感じたからでした。行政から自分が住む里山を守るために、大人顔負けの必死の形相で、少年までが声を上げて戦わなければいけない。小学5年と3年の男の子2人の父親でもあり、少年の叫びを強くリアルに感じました。

 ダム反対派という「恐ろしいイメージ」以外に、地区の暮らしの素晴らしさや家族の歴史を伝えることができたら、「少しでも石木ダムに関心を持ってくれる人が増えるんじゃないか」。帰りの飛行機の中で、ドキュメンタリー映画を制作する企画書を書きました。

白黒写真の少年、松本好央さん(右から4番目)一家
白黒写真の少年、松本好央さん(右から4番目)一家

「今回こそは、立ち位置を間違えたくない」

 「ほたるの川のまもりびと」(仮)は、昨年10月に撮影を始めました。カメラマンは13年に木村伊兵衛写真賞を取った写真家、百々新(どど・あらた)さん(42)。2人は最初、川原地区の住民たちを知るために、全世帯のポートレート写真を撮りました。完成に向けた撮影、編集はこれから佳境を迎えます。

 「原発の危険さには震災前は気づけなかったが、石木ダム問題は里山が沈む前に知ることができた。今回こそは、立ち位置を間違えたくない」と、山田監督は映画制作にのめり込んでいます。

サカエおばあちゃん。いつも明るく、番小屋でのおしゃべりを楽しみにしている
サカエおばあちゃん。いつも明るく、番小屋でのおしゃべりを楽しみにしている


 「石木ダムには、国からのお金も使われる。あいまいな根拠をもとに、川原での豊かな暮らしを奪っていいのだろうか。全国の人も、決してひとごとではないのです。ダム建設にイエス、ノーという前に、現場にある事実を知って欲しい」

     ◇

山田英治(ヤマダ エイジ) 69年、千葉県出身。早大卒業後、大手広告会社にてコピーライター、CMプランナーを務める。近年は、社会課題をビジネスで解決していく事業を企画プロデュースするソーシャルクリエイティブプロデューサーをしている。映画監督、脚本家、作詞家としてもマルチに活躍し、映画作品に「鍵がない」、テレビドラマ「TBS階段のうた」(長塚京三、市川実日子主演)、NHK「中学日記」(脚本)などがある。山田監督は、映画制作のために朝日新聞が運営するクラウドファンディング「A-port」を実施中。

「A-port(エーポート)」は朝日新聞社が運営するクラウドファンディングサイトです。朝日新聞社の持つ「発信力、拡散力」「幅広い世代へのリーチ力」「新聞社だからこその編集力」を活かして、誰もが等しく挑戦でき、「クラウドファンディングで支援する」というお金の使い方が日本に定着することを目指しています。

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