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「世界の亀山」シャープの街の今 さびれた駅前、なぜかホテルは満室
「世界の亀山」。そう呼ばれてきたシャープ亀山工場が目の前にあった。あまりにも巨大で、視界に収まらない。駐車場も広大だ。かつて最先端の液晶技術で世界に知られた工場は2004年に操業開始。最盛期には社員約3千人が働いていた。08年にリーマン・ショック、今年はシャープが台湾のホンハイ精密工業の傘下に入ることが決まった。かつて「最も予約の取れない」と言われた地元のビジネスホテルに「ある変化」が起きていた。(朝日新聞名古屋報道センター記者・斎藤健一郎)
工場がある「亀山ヒルズ」からJR亀山駅へ向かった。所要時間15分、タクシー代は2250円。駅で客待ちする運転手によると、シャープの次はまたシャープという状態だった乗客が、今はさっぱりで、「7割、いや半分かな」。
最近は工場へ台湾人を乗せることも多くなった。先行きが不透明の中、工場では今も社員約2千人が働く。
「まさかシャープが台湾企業の傘下に入る時代が来るとは思わなかったよね」
亀山の街は、シャープの浮き沈みとともに生きてきた。駅近くの不動産屋の男性に話を聞くと、「シャープ・バブル」の時代を語り出した。
当時は入居希望者があふれ続け、アパート建設が間に合わず、しまいには山を削って谷を埋め、ワンルームアパートを増設したのだという。月6万円まで跳ね上がったという家賃は今、3万円台になった。
「1週間前も単身の40代の社員さんが退去していきましたよ。早期退職に応じたとかで」。
かつて3人が働いていた不動産屋で、男性は1人で仕事を続けている。
そんな中での参院選。どの候補者も経済発展や雇用確保を熱く訴えるが、この街ではこの5年、経済も雇用も上向いていない。
空き店舗が目立つ駅前で戦前から商売を続ける「みつわ食堂」に入り、中華そば550円を頼んだ。戦前からずっとここにいる林きみ子さん(80)に話を聞くと、「シャープ? あかへんで」。
食堂の傍らスナックを経営していた。「1500円の明朗会計」がモットーだった。ママとして4人を雇っていたこともある。シャープの衰退とともに客もひき、8年前にスナックを閉めた。
「シャープなんて関係あらへん。今はなんの影響もない」。ご主人の彰さん(83)と、朝から晩まで食堂を切り盛りする毎日だ。
脱シャープの兆候を、工場近くの「リビングホテル亀山」で見つけた。
フロントの女性従業員の話では、かつては「シャープさん」のおかげで「最も予約の取れないホテル」だったという。最近、お得意さんは中国人観光客になった。
「昨日も大型バス2台で30人。ここは高速もすぐで便利でしょう。京都巡りが終わって伊勢観光の間に泊まるんです」。
すでに8月末まで予約がいっぱいなのだそうだ。
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