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不思議な名前の魚屋「フーリオ水産」 ペルー人に継がせた親方の思い
横浜南部のベッドタウンの駅前にある小さな魚屋「フーリオ水産」の店主、フーリオ・セサルさん(34)は南米ペルー生まれ。鮮魚や刺身、干物が並ぶ魚屋を、コロンビア出身の妻サンドラさん(39)と一緒に切り盛りしています。中学生の時に彼を魚屋に紹介した校長先生、魚のさばき方から読み書きまで教えた親方…。たくさんの人との出会いが、彼を支えてきました。(朝日新聞横浜総局記者・太田泉生)
JR根岸線洋光台駅を降りてすぐ。ラーメン店や精肉店が入る商業ビルに店はあります。1階のちょっと奥まった位置で、地元の人でも気づきにくいかもしれません。
6月の昼下がりに店を訪ねました。冷蔵ケースには相模湾でとれた見事なアジ、東京湾のスズキ、房総の金目鯛など、旬の魚が並んでいます。干物や昆布、海苔や鰹節も並び、雰囲気は昔ながらの街の魚屋さんです。
初老の女性が真鯛のアラを手に、フーリオに潮汁の作り方を尋ねました。「塩を振ってから鍋にお湯をわかして、ぐらぐらしてきたら湯通ししてざるにあげて。今度は水から炊くんだ。水からだよ、お湯じゃないよ」。女性は「そうなんだ、やってみよう」とアラを買っていきました。
次に店に来た男性は、「このイワシ、自分だったらどうやって食べる?」。フーリオが答えます。「俺は開いてパン粉付けて揚げるのが好きッスね。骨が嫌なんで、骨とっちゃって、サクサクって食べたい」。お客さんとの会話が弾みます。
フーリオはペルーの首都リマ生まれ。母親のセシリアさん(57)が日系3世で、1990年に来日しました。当時7歳。入管法が改正され、海外の日系人が日本で働きやすくなった時期です。
磯子区内に住み、地元の小学校に通いました。最初は日本語がわからず、兄に「ペルーに帰りたい」と言って泣いたといいます。やがて友達もでき、会話はできるようになりましたが、読み書きは難しすぎて、あきらめていました。
転機になったのが、中学校の校長先生だった高橋啓子さん(76)との出会いです。
中学2年のある日のこと。校内放送に高橋先生の声が響きました。
「フーリオ・セサル、校長室に来て下さい」。校長室で紹介されたのが、洋光台駅前で「日吉水産」を営んでいた日吉さんでした。「こんど店に来てよ」。日吉さんの優しげな笑顔が印象に残りました。
高橋先生にとって日吉さんは、自宅近くの馴染みの魚屋さん。フーリオには手に職をつけさせたいとの思いがありました。
中学3年の春から毎日、フーリオは魚屋に通いました。イカの皮をはぎ、魚をさばき、少しずつ包丁に慣れていきました。
「高橋先生も時々店に来るんだ。『何やってんのかな、フーリオ君』みたいな感じでさ」
当時、フーリオは魚屋の仕事に深い思い入れはなかったといいます。ただ、そこで手にしたお金を苦しい家計の足しにできることが、うれしかったのです。
中学を卒業後も、魚屋で働き続けました。
日吉さんは読み書きも教えました。フーリオはバイクの免許を取ろうとしましたが、漢字が読めなくては筆記試験も通りません。日吉さんは午後7時ごろに店を閉めると、フーリオを連れて自宅に戻り、毎日1時間、交通ルールと漢字を一緒に勉強しました。
念願の免許を取ったのは約1年後のことでした。
10代の終わりに店を離れた時期もあります。しかし20歳の時、サンドラさんとの間に長女(13)が誕生。再び魚屋で働き始めました。
魚のことを深く知ろうと思うようになったのは、この頃だといいます。あるお客さんとの会話が、きっかけでした。
「これどうやって食べるの?」。お客さんに聞かれ、「塩焼き、煮付け、おいしいよ」と答えると、お客さんがまた聞きました。
「食べたことあるの?」
実は食べたことはない。図星でした。
「知らないでしゃべっちゃダメだ」。そう思ったフーリオは、日吉さんに聞き、仕入れ先の市場で職人に聞き、自宅で自分でいろいろな料理を試し、学ぶようになりました。
2人を養っていかなければという切迫感もあったといいます。フーリオの真剣な姿に、日吉さんは、いずれは店を継がせたいと考えるようになりました。
近くにはスーパーが4軒。そこでは飽き足らないお客さん向けに、質の良い魚を出すのが日吉さんのポリシーです。お客さんとの会話を大事にし、料理法も教えます。「魚屋のおやじが魚を売る、魚食文化を残したい」と日吉さん。
そんな思いを、フーリオは受け継いでいます。日吉さんの勧めで、ふぐ包丁師の資格も取りました。料理法を聞かれれば、どんな魚でもすぐに答えられるようになりました。
「みんな出来合いの簡単な魚に流れるでしょ。イカならボイルしたり刺し身にしたり、やれば簡単だよ。本物をおいしく食べてほしいんだ」
日吉さんのやり方に倣い、魚のアラも丁寧にウロコや血合いを取り除き、水分をぬぐってきれいに店頭に並べます。「お客さんが家に着いてパッと使えるようにね。せっかく料理を教えても、雑におろして血がついてたら『生臭い』って言われちゃう。アラを食べるのも文化だから」
日吉さんと働くこと20年近く。いなせな語り口もすっかり板につきました。「しゃべり方や声まで似てるって言われるんだ」と、日吉さんも嬉しそうです。
昨年秋。日吉さんは体力の衰えを感じ、フーリオに「12月で店を閉じる」と伝えました。1年で最も忙しい、年末の仕事を乗り切る自信がなかったのです。
フーリオは考え込みました。「魚を仕入れてさばいて、店を回すことはできるんだ。でも経営はわからない」。でも魚屋は彼のすべてです。「俺にはこれしかない」。屋号を「フーリオ水産」に変えて、跡を継ぐと腹を決めました。
1月からはフーリオが朝から1人で市場に仕入れに行き、日吉さんも昼前まで仕込みを手伝います。日吉さんは「教えられることは全部教えた。魚屋は奥が深い。あとはフーリオ自身が何を感じて何を学ぶかだ」。
代替わりをして、新たな商品が加わりました。ペルー料理の「セビッチェ」を売るようになったのです。
太平洋に面したペルーは魚をよく食べる国です。なかでも、生魚をレモンでマリネにしたセビッチェは、レストランでも家庭でもよく食べる名物料理。フーリオも幼い頃によく家で食べたといいます。
使う魚は真鯛やメダイ、カツオなど。店で出すために、ペルーで漁師をしていたという友人に本格的なレシピを教わりました。レモン、ニンニク、胡椒やパセリを加え、魚とタマネギをあえた一品は、日本人にも親しみやすい味わいです。
「親方に色々なことに挑戦させてもらい、フヤフヤだった自分が『魚屋をやるんだ』と固まった。親方の気持ちを継いで、魚食文化を残したい」というフーリオ。
この街で末永くがんばってほしいと、私も一住民として願っています。
フーリオ水産は月曜定休、午前9時半~午後7時。セビッチェは予約すると確実。電話045-834-3919。
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