エンタメ
アイドルめざし、国会議員に陳情 冠二郎が語る「波乱の青春」
演歌歌手の冠二郎さん(72)がすごすぎる! 年齢詐称に、カツラ疑惑、31歳差婚……と、エピソードには事欠きません。酸いも甘いもかみ分けた彼の生き方は、何かと小さくまとまっちゃいがちな私たちに、気合を入れてくれます。たとえ悩み事があったって、思うようにいかなくたって、大丈夫! 私たちには、二郎センパイがいるから!(朝日新聞文化くらし報道部記者・岡田慶子)
センパイの生まれは埼玉県の「秩父の山奥」。高校時代は、橋幸夫さん、舟木一夫さん、西郷輝彦さんの「御三家」全盛期で、センパイもご多分に漏れずガッツリ影響を受けたそうです。
高2の春休みには、橋さんのマネをして潮来(いたこ)刈り(俗に言う角刈り)に。「橋さんのブロマイドを持って床屋さんに行って、『おじさん、これと同じ頭にしてくれ』って。同級生で、長髪は俺だけだったんだよ。で、女の子がキャーキャー言うから、変な自信過剰になって。突然アイドル志望になったわけ」
以降、「秩高(ちちこう・秩父高校)の橋幸夫」と、もてはやされたという二郎センパイ。こびりついた“俺イケてる感”は、ますます加速していきます。
高2の夏休みには、「秩父で一番エラい人に頼めば、俺もアイドルになれるんじゃないか」と、地元出身の国会議員で元運輸大臣の荒舩清十郎さんを訪ね、上京したこともありました。
「先生、俺を歌手にしてください」
「俺の秘書になれ。30になったら参議院の公認をやる」
「先生、俺歌手になりたいんです」
この強烈な思い込みと、身の程知らずなトンデモ“陳情”はしかし、後の師匠・三浦康照さんとの出会いを引き寄せます。
こぎつけたオーディションで、しかし、三浦さんは、二郎センパイに告げます。「君の顔は演歌だよ」と。
これは、自らを橋幸夫風情だと思い込んでいたセンパイにとって、少なからずショックなひと言でした。「演歌ってアイドルより大衆的だし、俺は自分のことをもっといい顔だと思ってたわけ。女の子が騒ぐし。だから『どこが演歌ですか!』って。でも結局、人の3倍息を吸う演歌鼻だったわけよ」
こうして、演歌歌手として老舗レーベル、コロムビアの門をたたきました。
ところが、「演歌歌手がゴロゴロいる」「同型はいらない」というオトナの事情で、録音済みのデビュー曲も出せないままビクターへ移籍。ようやくデビューを果たしたのは、2年後のことでした。
「冠二郎のすごすぎる人生」は5月21日発行の朝日新聞夕刊紙面(東京本社版)「ココハツ」と連動して配信しました。
1/14枚