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蜷川幸雄が見いだした逸材たち 藤原竜也・吉高由里子・西島隆弘…

蜷川幸雄さんの指導を受けた西島隆弘さん(左)、藤原竜也さん(中)、吉高由里子さん(右)
蜷川幸雄さんの指導を受けた西島隆弘さん(左)、藤原竜也さん(中)、吉高由里子さん(右) 出典: 朝日新聞

目次

 日本を代表する演出家、蜷川幸雄さんが都内の病院で亡くなりました。80歳でした。蜷川さんは「世界のニナガワ」として国際的にも活躍。近年は、藤原竜也さん・吉高由里子さん・西島隆弘さんといった若手俳優にも大きな影響を与える存在でした。

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舞台上でインタビューに答える蜷川幸雄さん=2011年12月、さいたま市中央区
舞台上でインタビューに答える蜷川幸雄さん=2011年12月、さいたま市中央区 出典: 朝日新聞

藤原竜也さん「僕を創り上げた人」

 「土台から僕を創り上げた人。私生活すべて削り落として向き合った。今も細胞の6、7割は蜷川さんでできている」

 2012年の朝日新聞の取材にこう答えた藤原竜也さん。14歳で受けた舞台「身毒丸」のオーディションで蜷川さんに見いだされ、数々の作品に出演してきました。21歳で主役を演じた「ハムレット」では、多くの演劇賞を受賞しています。

 藤原さんは昨年、再び「ハムレット」を主演。国内のみならず、台湾やロンドンでも上演し、「蜷川さんとの集大成の年でした」と振り返っていました。

 蜷川幸雄に見いだされ、15歳で初舞台を踏み15年。「土台から僕を創り上げた人。私生活すべて削り落として向き合った。今も細胞の6、7割は蜷川さんでできている」。厳しく守り育てられ、21歳で主演した「ハムレット」で数々の演劇賞に輝いた。
2012年5月10日:「出会った☆新感線 舞台「シレンとラギ」主演・藤原竜也 」:朝日新聞紙面から
藤原竜也さん
藤原竜也さん

吉高由里子さん「固めず、泳がしてくれた」

 08年に蜷川さんがメガホンを取った映画「蛇にピアス」。主役を演じたのが、吉高由里子さんでした。

 世界のニナガワを「タダで見られるから」という理由でオーディションを受けたという吉高さん。蜷川さんからはセリフについて、原作に忠実な台本を守るよう課された一方、演出は厳しさ一色ではなかったと語っています。当時の朝日新聞の取材に「ガチガチに固めず、泳がしてくれた」。得たものを尋ねると、「音で表現すると『グゥオン、グゥオン』と生命力の強い10代最後の自分」と答えていました。

 全裸のベッドシーンなど、大胆な場面が多い作品のオーディションを受けたのは、世界の蜷川を「タダで見られるから」。(中略)蜷川はセリフについて、原作に忠実な台本を守るよう課した一方、演出は厳しさ一色ではなかった。「ガチガチに固めず、泳がしてくれた」。蜷川の舞台に出ている縁で特別出演した小栗旬や藤原竜也は「舞台の現場とは違う」と語ったという。
 得たものを尋ねると、「得たというより、収めてもらった。事故で死を考え、音で表現すると『グゥオン、グゥオン』と生命力の強い10代最後の自分を」。
2008年9月26日:「痛さで生を実感 映画「蛇にピアス」主演・吉高由里子」:朝日新聞紙面から
吉高由里子さん=郭允撮影
吉高由里子さん=郭允撮影 出典: 朝日新聞

西島隆弘さん「真剣勝負のだいご味感じた」

 「AAA」のボーカルや俳優として活動する西島隆弘さんは、2012年の舞台「下谷万年町物語」に蜷川さんから誘われました。「初対面なのに、『本読み』の時から、いきなり『ダメだ』と怒鳴られた」

 蜷川さんは、戦後間もない時期の設定なのに、そのころの言葉遣いができていないと指摘。「脚本を読み込んで臨んだのに。でも蜷川さんの指摘は、考えるとその通りなんです。負けてたまるかって、闘志がわいた」。西島さんは稽古後に言葉を一つひとつ当時の言葉に置き直して頭にたたき込み、役になりきって徹夜で何度も練習したそうです。そして、翌日の立ち稽古。「蜷川さんから『やるじゃん』と笑ってもらえた」

 最終リハーサルの前、「僕の芝居は大丈夫ですかね」ともらすと、蜷川さんは「キミは僕にはないものを持ってる。それをとことん見せて欲しい」。続けて、「間違っているものがあれば、イジメてやるよ」と蜷川さんならではの励まし方で、背中を押してくれたそうです。

 「その瞬間や役者のテンションを大切にして、真剣勝負で向き合う現場のだいご味を肌で感じさせてもらった」。西島さんは蜷川さんから学んだことを大切にしています。

 演出家の蜷川幸雄さん(80)から舞台「下谷万年町物語」への出演の誘いがあった。芸能界の雰囲気に閉塞(へいそく)感を感じた時期でもあった。
 初対面なのに、「本読み」の時から、いきなり「ダメだ」と怒鳴られた。戦後間もない時期の設定なのに、そのころの言葉遣いができていないという。「脚本を読み込んで臨んだのに。でも蜷川さんの指摘は、考えるとその通りなんです。負けてたまるかって、闘志がわいた」。稽古後に言葉を一つひとつ当時の言葉に置き直して頭にたたき込み、役になりきって徹夜で何度も練習した。翌日の立ち稽古では、蜷川さんから「やるじゃん」と笑ってもらえた。
 緊張の連続だった1カ月余の稽古は、きつくても楽しかった。だが、最終リハーサルの前、ふと不安にかられて「僕の芝居は大丈夫ですかね」ともらすと、蜷川さんはこう諭してくれた。「キミは僕にはないものを持ってる。それをとことん見せて欲しい」。続けて、「間違っているものがあれば、イジメてやるよ」と蜷川さんならではの励まし方で、背中を押してくれた。
2016年3月10日:「(一語一会)歌手・俳優、西島隆弘さん 演出家の蜷川幸雄さんからの言葉」:朝日新聞紙面から
西島隆弘さん=飯塚悟撮影
西島隆弘さん=飯塚悟撮影 出典: 朝日新聞

傘寿でも衰えなかった創作意欲

 蜷川さんは、心臓や肺などに病気を抱え、90年代後半から入院や手術を繰り返しましたが、創作意欲は衰えず、15年は4本を新たに演出しました。傘寿迎えても、自分より若い作家との仕事にも意欲的で、「ライバル意識。組んだら俺も、もっとすごくなるかなあとか。自分が勝手に若いと思っているんだよ」と話していました。

80歳の誕生日を祝われる蜷川幸雄さん=2015年10月15日、さいたま市の彩の国さいたま芸術劇場
80歳の誕生日を祝われる蜷川幸雄さん=2015年10月15日、さいたま市の彩の国さいたま芸術劇場 出典: 朝日新聞

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