エンタメ
「世界の車窓から」1万回、「窓ふきセット必需品」 制作秘話を聞く
世界各地を鉄道で旅する番組「世界の車窓から」(テレビ朝日系、BS朝日)が5月2日に放送1万回を迎えました。104の国と地域を訪れ、取材した列車の走行距離は計約75万キロ、およそ地球19周分に。初回からナレーションを担当する俳優の石丸謙二郎さん(62)と番組を企画した岡部憲治プロデューサー(67)に、番組の魅力や制作の裏側を聞きました。
――放送1万回を迎えて
石丸さん)1千回のパーティーのとき、「もう1個ゼロがついたら……」とあいさつしたら、ジョークだと思われたのか笑われて。当時35歳くらい。誰一人信じる人はいなかったけど、現実になりました。
ゼロが1個増えるのにどれだけの歳月をかけて積み上げてきたか。声だけなのでごまかしがきかない。風邪もひけず病気もできず、でも自由にさせてもらいながら、一度も休むことなく1万回、続けることができました。
――長く続いた理由は
石丸さん)良い意味でのマンネリがあると思います。海外に赴任して帰国して、パッとテレビをつけて同じような番組がやっていたら、帰ってきたって思うでしょ? そのためにも変えちゃいけない。
テレビが横長になったり僕の声がおじさんになったりはしましたが。窓枠がどんどん変わってくれるから、こっちから特別に何かする必要はないんです。地域によって放送時間が違うけど、遅い時間帯になってからは「睡眠導入番組」なんて言い方もしてました。
昔はもう少し早い時間帯だったので「夫婦げんか仲裁番組」と。この2分だけは水でも飲んで落ち着いて、その間に終わってくれればいいな、という希望はありましたね。
――特に印象に残っている車窓は
石丸さん)タンザニアの列車の墓場。アフリカの原野の中に使わなくなった列車を最後に落とす場所があるんです。
他にも、特に最初の頃は脱線とか故障とか、動物が横切るとかしょっちゅうありました。馬がひく列車、水の上を走る列車、こんなにいっぱい色んなことが世界にはあるんだ、という話の宝庫ですね。これからも「線路は続くよどこまでも」というように続けていきたいです。
――そもそもなぜ、番組を企画されたのですか?
岡部さん)連続で毎日見ても、1日だけでも楽しめる。100年以上前、フランスのリュミエール兄弟が蒸気機関車を撮ったのが映画の始まり。列車というのは映像対象として良かったのかと思います。
初回は鉄道発祥の地である英国でロンドンのキングス・クロス駅。列車は世界中に走っているので、理屈はいらない、レールがあればいい。明日も続く、という感じがいいのかもしれません。
鉄道をテーマにした番組は日本でも最近多いし、各国にもありますが、世界中を巡っているような番組は珍しいのではないかと思います。
――番組ができるまで
岡部さん)リサーチからロケ、編集まで、番組ができるまで4カ月ほどかかります。国によっては時刻表通りに列車が来ないのは当たり前で、時間通りかと思ったら丸1日遅れだったことも。現場では臨機応変な対応が求められます。
一方で、花束を抱えてのプロポーズ、兵隊で旅立つ恋人を涙ながらに見送る女性、盲目の夫に風景を一つひとつ説明するおばあさんなど、偶然の出会いの中に数々のドラマがありました。
――29年間で変化は
岡部さん)今は情報も入りやすくなり、取材でもタブレットやGPSを使えるようになり、便利になりました。一方、窓が開かない列車も多くなり、撮影のための窓ふきセットは必需品です。
連結部分や車掌の部屋などから撮らせてもらったり、ディレクターによっては小型カメラを取り付けたり、色々と工夫しています。
同じ場所でも、季節が違えば、時間が経てば、風景もまったく変わってきます。チュニジアやシリアは風景もよくて何回も取り上げましたが、治安などを考えると現在は行けない国もあります。
1/19枚