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絶望からの復活「7本指」のピアニスト 西川悟平の超ポジティブ人生
突然の難病を乗り越えた「7本の指」のピアニスト西川悟平さん。NYの強盗とも「友達」になってしまう。超ポジティブな人生を生きています。
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突然の難病を乗り越えた「7本の指」のピアニスト西川悟平さん。NYの強盗とも「友達」になってしまう。超ポジティブな人生を生きています。
ピアニストなのに、マイクを握れば関西弁で会場を沸かせる。西川悟平さん(41)のコンサートで目を引くのはその演奏法です。世界でも西川さんしかできないスタイル。彼は「7本指」のピアニストなのです。憧れのニューヨークデビューから、突然の難病。絶望から這い上がった、西川さんの超ポジティブ人生について聞きました。
「これはいい話なんで大阪弁でいいですかね」漫談のように一つ話すごとに会場から笑いが漏れます。2015年7月、六本木ヒルズから東京タワーや街の明かりを見下ろす会場。西川さんは約200人の観客の前に立っていました。
ここはピアノのリサイタル場ではなく、漫才劇場か錯覚するほどの盛り上がりようです。鉄板ネタは、2014年1月に起きた「ある事件」です。
ニューヨークのロウア-マンハッタン。西川さんのアパートの一室に、2人の男が入ってきました。黒人とラテン系の男。強盗でした。黒人に注射器をつきつけられ、手を上げさせられている間に、iPadとコンピューターが盗まれました。
「最初は怖かった。でもだんだん何しとんねんと思えてきたのです」
大学で心理学を勉強していたこともあり、興味もわいてきた西川さん。「どんな幼少期を過ごしたの?」と恐る恐る早口で聞いてみると、ラテン系の男が「おまえに分かるわけないだろう!」と吐き捨てるように答えました。
そこから、5歳から実の父に性的虐待を受けていた。ドラッグを取ってきたらありがとうと親は言ってくれたことなどを打ち明けだしたのです。
結局、3人は日本茶を読みながら明け方4時まで話し込みます。朝が近づき、2人にシャワー浴びて帰ったらと勧めた西川さん。シャワールームの暖房のバルブを壊れているのをラテン系の男が発見し「ここから有毒なガスがもれてるんだ。これじゃあ、気管支を悪くするよ」と言って、修理をしてくれたそうです。
「泥棒に入られて、物は取られず、機械を直してくれて最後には、ドアを開けるときはよく確認しろよ、とまで言われたなんて!」と聴衆をわかせました。
「どんなひどかったりつらかったりすることがあっても諦めないで!考え方を変えて、Stay Positive! 」と西川さんは話します。
ピアノを始めたのは大阪堺市の中学校の時。あこがれの先輩がピアノを弾くのに衝撃を受けたのがきっかけでした。音楽大学受験の3年前から音譜を読むことから勉強し始めた超スロースタートでした。
「皆が5時間練習するなら、僕は人の倍、10時間練習する」。指の体操教則本であるハノンの約60曲を全曲弾く毎日。防音設備がないので、布団でピアノをまいて、毎日5時間から12時間練習しました。
ただし、大阪音大短期大ピアノ科を卒業して就職したのは和菓子屋でした。転機が訪れたのは1999年。調律師のちょっとした誘いで、ニューヨークのジュリアード音楽院出身のプロのピアニストと出会います。デイヴィッド・ブラッドショー氏とコズモ・ブオーノ氏です。
そのリサイタルの前座を任されることになった西川さんに、ブラッドショー氏が「君が一番やりたいことは何」と聞きました。口ごもる西川さんに何度も聞き返します。最後に西川さんは「本当はピアノがしたい」と打ち明けていました。
「粗削りだが、味がある演奏だ」と感じていたというブラッドショー氏は、西川さんを弟子にして3カ月間、ニュージャージー州の豪邸で自由にピアノを練習できる環境を与えてくれました。
師の見込み通り、西川さんは新天地で活躍します。ニューヨークのリンカーンセンターで弾けば大きな拍手に包まれ、著名ピアニストに身近に接することができる環境。幸せだと感じていたが、「夢のような生活を送っていた」ことから来る張り詰めた気持ちと朝方までの猛烈な練習のほころびが来ます。
ニューヨークに渡って約1年後の2001年、指がピアノの鍵盤の前に来ると丸まってしまい動かなくなる症状に見舞われるようになります。難病のジストニアでした。筋肉の硬直で、挟んだ割り箸がばきっと折れてしまうほどに。「一生、ピアノはひけない」と複数の医師に判断されました。
数々の試験的治療を試しました。苦難の中、自分で「禅プラクティス」を編み出します。16分音符をひくのにその160倍ほど長く鍵盤を押さえるかたちで一曲を弾く。筋肉に一音一音、覚えさせようとしました。奇跡的に回復し、「7本指」で鍵盤をたたけるようになったのです。
今では、マンハッタンの中心部にあった老舗ピアノメーカーのスタインウェイで演奏もできるようにまでになりました。イタリアの国際音楽フェスティバルでは、ショパンのノクターン13番を演奏したことも。
指10本で演奏していた時は、技巧や演奏の派手さで人を魅了しようとしていたという西川さん。「7本指」になってからは、心で歌い上げるように弾けるのだと気づきました。
左手で動くのは親指と人差し指。左右7本の指が鍵盤の上を転がるように動きます。ペダルを使って響かせながら和音をつなぎ、腕を交差させて左手を補う演奏法。流れるように音楽は続き、音が欠けているとは思えません。
昨年自著を出版し、最近では、日本やアメリカでのリサイタルも増えてきました。だけど、いつも原点は忘れていません。
超スロースタートで音楽の道に入り、偶然の出会いでニューヨークに渡り、突然の難病を乗り越え、強盗とも仲良くなれちゃうピアニスト。今迎えている機会に感謝した気持ちを、7本の指を通じて鍵盤に落として奏でています。
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