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天野喜孝さん「ドロンジョは理想の女性」小説・ゲーム経て、アートへ
1970年代からイラストレーターとして活躍してきた天野喜孝さん。現在「初めて描きたくて描いた作品」という「Candy Girl」シリーズに取り組んでいます。
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1970年代からイラストレーターとして活躍してきた天野喜孝さん。現在「初めて描きたくて描いた作品」という「Candy Girl」シリーズに取り組んでいます。
「ドロンジョは、僕のマリリン・モンローなんです」。天野喜孝さんは、1970年代からイラストレーターとして活躍し、ファイナルファンタジーや田中芳樹作品の挿絵など、様々なフィールドで独自の世界を築いてきました。「ドロンジョ」に始まり、「初めて描きたくて描いた作品」という最新の「Candy Girl」シリーズまで。作品にかける思いを聞きました。
1952年生まれの天野さんは、15歳で絵の世界に入ります。故郷の静岡から友達と東京見物に出てきた時。当時、熱中していた漫画やアニメのスタジオがあるという国分寺を訪問。そして、いきなりタツノコプロに絵を持ち込んでしまいます。
「何を描いたのかも忘れちゃったんですけどね」と振り返る天野さん。ほどなく採用通知が届き、そのままアニメーションの世界に。
「ドロンジョが生まれたのは旅館のちゃぶ台でした」。入社したタツノコプロは、20代の若手が活躍する活気のある環境でした。新作はゼロから作られるため、時には旅館に「缶詰」になって作業することもあったそうです。「理想の女性であり、妄想の女性ですね(笑)」
その後、天野さんはイラストの世界に挑戦します。「ゼロからスタートしたかった」という思いから、出版社に自分の絵を持ち込むところから、キャリアを重ねていきました。
やがて、栗本薫さんの「グイン・サーガ」や、 菊地秀行さんの「バンパイアハンターD」で名前が知られるようになり、1986年には、田中芳樹さんの「アルスラーン戦記」の挿絵を担当します。
「田中さんの作品は会話がいい」という天野さん。「(絶世の美女として登場する)ファランギースとか強気な女性も存在感があって。ファンタジーなんだけど人間同士の友情を絵で表現できないかなって思ったんです」
その後、田中作品では「創竜伝」も手がけます。
「田中さんは、とてもまじめな方。字がかちっとしていて。字でだいたいわかりますね、作家さんの個性は」
天野さんと切っても切り離せないのが、ゲーム「ファイナルファンタジー」シリーズです。発売当初から「ドラゴンクエスト」シリーズの鳥山明さんと共に、ゲーム文化の礎を築きました。
ファイナルファンタジーでイメージしたのは、北欧神話、ギリシャ神話、アーサー王の世界観だったそうです。
「最初、ゲームっぽい絵を描いたこともあったんですけど、普通に描いていいって言われて。実際、ユーザーは、デフォルメされたキャラを操作しながら自分の絵をイメージして遊んでいるのがわかって。それが、逆に面白く感じましたね」
今、天野さんが力を注いでいるのが「Candy Girl」シリーズです。これは、今まで依頼されて取り組む仕事が多かった天野さんにとって「初めて、描きたくて描いた作品」だそうです。
「責任がありますよね。人のせいにできない」と笑う天野さんですが、創作の幅は、これまで以上に広がっています。車用の塗料を使ったオブジェのような作品や、シルクスクリーンを使った1970年代のポップアートを感じさせるものまで、話題作を生み出しています。
実は、ポップアートへは1970年代当時から関心があったそうです。「その頃は、毎週3本くらいアニメの作品を抱えていて。とても手を出せませんでした……」
アート作品を手がけるようになったのは2000年代から。「アートへのあこがれと、これまでの積み重ね。両方が自分の中から出てこざるを得ない感じになった」と言います。「アニメ、ゲーム、出版、散々やってきて、今、未知の世界にいる。新鮮です」
現在、東京・有楽町で開催中の個展(2016年3月8日まで)では、ドロンジョをシルクスクリーンで大胆に仕立てた作品も出展されています。
「アンディ・ウォーホルがマリリンモンローでやりましよね。僕はなんだろう。じゃあ、ドロンジョをマリリンにしちゃおうってね。今までの積み重ねが、ようやく、つながったなあって思っているんですよ」
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「天野喜孝展 進化するファンタジー」は、3月8日まで東京・有楽町朝日ギャラリーで開催中。
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