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紀里谷和明、離婚・金融危機…どん底から見つけた道 新作への決意

映画監督の紀里谷和明が、自ら名刺を配りながら新作映画の宣伝に精力を注いでいる。離婚や世界恐慌を経て、彼が行き着いた道とは?

映画監督の紀里谷和明。自ら名刺を配りながら、沖縄県那覇市で新作映画「ラスト・ナイツ」の宣伝をする=迫和義撮影
映画監督の紀里谷和明。自ら名刺を配りながら、沖縄県那覇市で新作映画「ラスト・ナイツ」の宣伝をする=迫和義撮影 出典: 朝日新聞

目次

 映画監督の紀里谷和明が、自ら名刺を配りながら新作映画の宣伝に精力を注いでいる。著名な映画監督としては異例のこと。「作品は自分の子ども。多くの人に見てもらうためなら、何でもする」。離婚や世界金融危機を経て、彼が行き着いた道とは?

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那覇で1日名刺2000枚

 降りそぼつ雨と汗で前髪が額にへばりつく。ぬかるんだ地面の泥で、黒の革靴がみるみる赤茶色に。「脱いじゃえ」。紀里谷和明(47)は10月、那覇の祭り会場を素足で駆けた。手には、今月14日公開の監督作『ラスト・ナイツ』のポスターを裏面に刷った名刺の束。

 「監督の紀里谷です、よろしくお願いします」。屋台で沖縄そばを売る若い女性にも、祭りの裏方の男性にも声をかけ、名刺を手渡す。記念撮影に応じるうち、紀里谷の土踏まずに柔らかな感触が走った。犬のふんだった。その後、商業施設や街頭にも足を運び、この日だけで約2000枚を配った。

 「素通りも多くて、心が折れそうにもなる。でも、作品は自分の子ども。多くの人に見てもらうためなら、何でもする」

那覇市のお祭り会場で名刺を配る紀里谷和明=迫和義撮影
那覇市のお祭り会場で名刺を配る紀里谷和明=迫和義撮影 出典: 朝日新聞

国内の配給会社探しは難航

 今年9月から全国100カ所以上を巡った。著名な映画監督が街頭で名刺を配り、自作を売り込むのは異例のことだ。

 紀里谷にとって監督3作目となる『ラスト・ナイツ』は初のハリウッド映画。計17カ国から俳優とスタッフが参加し、30カ国で公開・配信される国際的な大作だ。米アカデミー賞俳優モーガン・フリーマンや英国の実力派クライヴ・オーウェンらが出演し、物語は日本人になじみの深い「忠臣蔵」を元にしている。

 話題には事欠かないのに、日本での配給会社探しは難航した。結局は、配給会社ギャガの協力を得て、紀里谷自身の会社で配給することになった。宣伝会社もすんなりとは決まらなかったなか、紀里谷が考えついたのが、名刺配りだ。「名刺は小さくてかさばらない」。人情としても捨てづらいだろう。映画の宣伝のため、できる限り取材を受け、テレビのバラエティー番組にも出演を重ねている。

映画監督の紀里谷和明=迫和義撮影
映画監督の紀里谷和明=迫和義撮影 出典: 朝日新聞

大邸宅にひとり、高級スーツ次々捨てた

 カナダ人の脚本家マイケル・コニーヴェス(43)らが書いた『ラスト・ナイツ』を紀里谷が初めて読んだのは、6年ほど前。それまでに読んだ何百本もの脚本の中でも出色の出来栄えで、すぐに映画化を思い立った。

 2007年、歌手の宇多田ヒカルと離婚し、海に臨むロサンゼルスの大邸宅にひとり。自己嫌悪になり、英国製の高級スーツなどを次々に捨てた。さらに、08年の世界金融危機で、舞い込んでいたハリウッド映画の監督契約もご破算になった。そんな「非常に苦しい時期」から、立ち上がろうとしていたころだった。

 この脚本にひかれたのは、地位や財産よりも、正義や愛を重んじる人間を描いていたからだ。そのメッセージを広く世界に伝えるため、架空の封建帝国を舞台に、白人、アジア人、アフリカ系といった人種にこだわらずに配役するアイデアを思いついた。

映画「CASSHERN」公開時の紀里谷和明。主題歌は宇多田ヒカルが歌った=2004年4月
映画「CASSHERN」公開時の紀里谷和明。主題歌は宇多田ヒカルが歌った=2004年4月 出典: 朝日新聞

初作品では助監督を何人もクビに

 マサチューセッツ州のアート系名門高校では、絵や写真、チェロ、バレエと「今の基礎となる芸術を学んだ」。だが、美大は「授業が退屈」と中退。世界を放浪し、通訳やアンティーク販売などで食いつないだ。友人に借りた一眼レフで撮った写真が、ニューヨークの雑誌に認められ、カメラマンに。宇多田らのプロモーションビデオ(PV)撮影などでも評価を得て、今につながる道を切り開いた。

 人生の大半を米国で過ごす紀里谷は、日本では煙たがられることも少なくない。初監督作『CASSHERN』で助監督と衝突しては何人もクビにし、取材で日本映画界を批判。業界で距離を置かれた。飲み会で口げんかになり「表に出ろ」と言われることも多い。

ニューヨークの大学時代の紀里谷和明
ニューヨークの大学時代の紀里谷和明

いずれ、肩書ない人に

 『ラスト・ナイツ』に出演した俳優の伊原剛志(52)は、数年前に初めて食事をした時「自己主張の強い、はっきりした人」と感じた。いまは、「寂しがりやで、迷ったりもするんだけど、自分自身を追い込んで、やらないといけない状態にして挑んでいく」と紀里谷をみている。

 熊本時代からの幼なじみで、東京で居酒屋「ぶりきや」を営む池上秀和(46)は、最近の紀里谷について「名刺を配るなんて、見たことがない。変わったな」と感じる。

映画監督の紀里谷和明=迫和義撮影
映画監督の紀里谷和明=迫和義撮影 出典: 朝日新聞

 『ラスト・ナイツ』は、多色のCGで彩られた前2作とは打って変わって「そぎ落としたモノトーン」だ。

 「自分を何者かに見せようという欲がなくなった」。紀里谷は今の心境をそう語る。いずれは肩書なんて関係ない人になりたい、と思っている。(文中敬称略)

     ◇

1968 熊本県免田町(現あさぎり町)生まれ
1983 中学2年修了で単身渡米
1985 米アート系名門高校ケンブリッジ・スクール・オブ・ウェストンに進学
1987 ニューヨークのパーソンズ美術大学入学
1989 同大中退、デザイン会社設立。その後、世界を放浪
1994 米音楽雑誌「Vibe」でカメラマンとしてデビュー
2000 プロモーションビデオの撮影を始める。宇多田ヒカルの「traveling」「SAKURAドロップス」などを手がける
2004 初の監督作『CASSHERN』公開
2009 監督2作目『GOEMON』公開。明智光秀役で出演も
2015『ラスト・ナイツ』が世界で公開される

関連リンク:朝日新聞GLOBEに紀里谷和明の「突破する力」

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