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川島なお美さん死去 女子大生DJ・マンガ道場・失楽園…多彩に活躍

がんの治療中だった川島なお美さんが死去しました。手術後の取材では「命ある限り表現していきたい」と、意気込みを語っていました。

ワインの魅力を語る川島なお美さん=2007年11月26日
ワインの魅力を語る川島なお美さん=2007年11月26日 出典: 朝日新聞

目次

 がんの治療中だった川島なお美さんが死去しました。54歳でした。女優として舞台やドラマで活躍、ソムリエとしてもワインの優雅な世界を紹介するキャラクターとして親しまれていました。手術後の取材では「女優は一生をかけてやる仕事。命ある限り表現していきたい」と、意気込みを語っていました。

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「女子大生DJ」として人気

 1960年、名古屋市に生まれた川島なお美さんは、「女子大生DJ」としてラジオで人気者になります。1976年から94年にかけて放映、全国で人気を集めたバラエティー番組「お笑いマンガ道場」(中京テレビ制作)では、クセのある出演者との軽妙なトークが評判になりました。

 女優としてもキャリアを重ねた川島さん。中でも1997年に放送された日本テレビ系のドラマ「失楽園」は、代表作として知られています。原作者の渡辺淳一氏のファンだった川島さんは「私も女として三十六年間、いろいろな意味で豊かに生きてきた。自分の凛子を演じられればいい」と、役に臨み、夫との不和に悩む凜子を熱演しました。

“深夜放送ルネッサンス”を掲げてスタートしたAM番組がある。「ミスDJリクエスト・パレード」である。現役女子大生がDJをつとめるユニークな深夜放送として、81年に文化放送で始まった。千倉真理、川島なお美などの人気者が輩出したこの番組は、MTV時代でもラジオが洋楽のヒットに大きく貢献しうるという当たり前のことを再認識させたといえるかもしれない。
2005年8月5日:村上太一 Taichi Murakami/(Behind the Scene)ラジオDJ ロックといえばラジオだった時代:アエラ
七月七日から始まる日本テレビ系のドラマ「失楽園」(読売テレビ制作)で、ヒロインの凛子役を演じる。高校時代から、原作者の渡辺淳一氏のファンだった。「今回は小説も読みましたし、映画も見ました。激しくて、濃密なラブストーリー。話題性が大きいだけに、ちょっと怖い」。でも背伸びはしない、ときっぱり。「私も女として三十六年間、いろいろな意味で豊かに生きてきた。自分の凛子を演じられればいい」
1997年6月2日:川島なお美 自分の凛子、艶っぽく(ひと前線):朝日新聞紙面から
川島なお美さん=1993年8月19日
川島なお美さん=1993年8月19日 出典: 朝日新聞

名誉ソムリエ、騎士号も

 川島さんは、ワイン通としても知られました。2001年には日本ソムリエ協会の名誉ソムリエに就任。ボルドーなど仏ワイン産地の騎士号も受けています。

 国内各地で開かれるのワインイベントにも積極的に登場しました。川島さんは、ワインをおいしく飲むコツとして、次のように語っていました。

 「ワインをおいしく飲むコツは、まず好きな人と楽しく飲むこと。それから、ブドウ畑の前で作り手と一緒に飲むこと」

60年、名古屋生まれ。女優。映画「鍵」などに主演。テレビや舞台への出演のほか、小説やエッセーも執筆。01年には日本ソムリエ協会の名誉ソムリエに就任。ボルドーなど仏ワイン産地の騎士号も受けている。
2008年1月1日:(信州ワインで乾杯)世界を魅する大地のしずく 川島なお美さん:朝日新聞紙面から
ワインをおいしく飲むコツは、まず好きな人と楽しく飲むこと。それから、ブドウ畑の前で作り手と一緒に飲むこと。長野県東御市に、エッセイストの玉村豊男さんが作ったワイナリーがあって、ここでいただくワインは本当においしい。
2007年9月11日:(日本一のワイン産地で試飲する)山梨・勝沼 :朝日新聞紙面から
グラスを手に取りながら日本酒やワインについて語る川島なお美さん=2007年1月20日、佐賀市
グラスを手に取りながら日本酒やワインについて語る川島なお美さん=2007年1月20日、佐賀市 出典: 朝日新聞

「山を越えたら次の山が来て登っている」

 がんが見つかったのは、2013年8月でした。ミュージカル「フットルース」の公演中、2014年1月に手術を受け、無事に成功。その年の舞台にも立つほど、回復をしていました。

 芸能生活は「一本道ではなく、曲がりくねった道を4、5年ごとにシフトチェンジしてきました」と語っていた川島さん。「女優としての目標は自分自身。おばあちゃんになってからでもいい。まだまだ自分は未完成」と、言っていました。

 「山あり山ありで、谷になんて落ちていません。山を越えたら次の山が来て登っている。別の景色が見えたらチャンスと思ってきた」とあくまで、発言は前向きでした。

病気が見つかったのは昨年8月、同じ「フットルース」の公演中だった。「仕事の予定も詰まっていたし、正直怖かった。腫瘍(しゅよう)がどんどん大きくなって。主人には『命の方が大事』と言われましたが、仕事をやり通してからでも遅くないと思った」手術を受けたのは今年1月。無事に成功した。
2014年6月18日:がん克服、命ある限り女優 川島なお美さん、9月に名古屋で舞台:朝日新聞紙面から
35周年を迎えた芸能生活は「一本道ではなく、曲がりくねった道を4、5年ごとにシフトチェンジしてきました」と振り返る。けがや病気を経験し、夫も左目が見えなくなった。それでも「山あり山ありで、谷になんて落ちていません。山を越えたら次の山が来て登っている。別の景色が見えたらチャンスと思ってきた」。どこまでも強く前向きだ。
2014年6月18日:がん克服、命ある限り女優 川島なお美さん、9月に名古屋で舞台:朝日新聞紙面から
女優としての目標は自分自身だという。「おばあちゃんになってからでもいい。まだまだ自分は未完成」。この5年の目標は「あまり頑張らないこと」と話す。「『戒め君』と呼んでいた腫瘍が、酷使してきた体をいたわる大切さに気づかせてくれた。良い意味で力が抜けてきました」
2014年6月18日:がん克服、命ある限り女優 川島なお美さん、9月に名古屋で舞台:朝日新聞紙面から
愛犬と川島なお美さん=2008年5月29日
愛犬と川島なお美さん=2008年5月29日 出典: 朝日新聞

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