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ジュリー「こんな頃もあったんだなあ…」ツアーで語った恩師への思い

沢田研二さんが、「恩師」ともいえる加瀬さんが亡くなってから初めて、ファンの前でその思いを口にしました。

「TOKIO」を熱唱する沢田研二=2015年8月17日、東京都千代田区の東京国際フォーラム、日吉健吾撮影
「TOKIO」を熱唱する沢田研二=2015年8月17日、東京都千代田区の東京国際フォーラム、日吉健吾撮影 出典: 朝日新聞

 「ジュリー」、沢田研二さんの毎年恒例の全国ツアーが8月17日、始まりました。4月に亡くなった加瀬邦彦さんの作品を歌う、一種の追悼コンサートでもあります。「恩師」ともいえる加瀬さんが亡くなってから初めて、ファンの前でその思いを口にしました。

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沢田研二さん=2015年8月17日、東京都千代田区の東京国際フォーラム
沢田研二さん=2015年8月17日、東京都千代田区の東京国際フォーラム

安井かずみさん、阿久悠さん…そして加瀬邦彦さん

 ツアータイトルは「こっちの水苦いぞ」。3月に発売した反戦・反原発のメッセージにあふれた4曲が入ったシングルと同じです。
 例年、新曲を中心に据えたセットリストなのですが、ファンの間では今回は4月に亡くなった加瀬邦彦さんの作品を多く歌うのでは…と予想されていました。
 
 ジュリーは、94年に作詞家の安井かずみさんが亡くなった時、ツアータイトルを「ZUZU Songs」(「ZUZU」は安井さんの愛称)として、安井さんが自分に書いてくれた曲だけで公演をしています。
 また、07年8月、作詞家の阿久悠さんが死去した4日後に始まったツアーでは、腕に喪章を巻いてステージに立ち、1曲目に阿久さん作詞の「時の過ぎゆくままに」を歌いました。

 歌手沢田研二(59)が阿久悠さん(享年70)を歌で送り出した。阿久さんがだびに付された4日、沢田は東京・渋谷C.C.Lemonホールで全国ツアーをスタート。予定を変更して冒頭で阿久さんを追悼し、約2000人のファンに向けて「1日に阿久悠さんが亡くなられました。みんなと一緒にご冥福をお祈りしたいと思います。ご唱和ください」と頭を下げた。腕には喪章。ファンと「時の過ぎゆくままに」を合唱した沢田は涙声で最後まで歌い切った。同曲は阿久さんが初めて沢田に詞を提供した75年の楽曲。ほか「ダーリング」(78年)「女神」(86年)など計5曲の阿久ソングを盛り込んだ。また、最新アルバム「生きてたらシアワセ」収録曲も披露した。
日刊スポーツ 2007年8月5日:沢田研二ファンと熱唱し阿久悠さん送る

「恩師」加瀬さんとジュリー

ザ・ワイルドワンズ=1981年1月、東京・有楽町
ザ・ワイルドワンズ=1981年1月、東京・有楽町

 加瀬邦彦さんは「ザ・ワイルドワンズ」のリーダーとしてGSブームを牽引。「ザ・タイガース」などを経てソロになったジュリーのプロデューサーとして多くのヒット曲を生み出しました。ジュリー自身「加瀬さんはどんな時も僕の味方だった」「加瀬さんには足を向けて寝られない」というように、ジュリーにとって苦楽をともにした、かけがえのない人でした。

 加瀬さんは2013年、がんを発症し、手術しました。その後ステージ復帰をめざして自宅療養中でしたが、2015年4月、自ら命を絶ったとみられています。

 東京都内の自宅で亡くなっていたことがわかったグループサウンズ「ザ・ワイルドワンズ」のリーダー加瀬邦彦さん(享年74)の所属事務所は22日、通夜、葬儀の日程を発表した。通夜は27日午後6時、葬儀は28…

「加瀬さんは、僕がよく売れていたころのプロデューサー。長年、作曲のほか、衣装やパフォーマンスなどビジュアル全般で助言をくれ、引っ張ってもらった。言ってみれば、恩師のような存在」
朝日新聞「be」 2010年3月13日
沢田研二さん=1976年
沢田研二さん=1976年
「デザイナーの早川タケジさんと加瀬さんが『面白いからやっちゃえ、やっちゃえ』とのせてくるんです。例によって自主性が無くて、人の言うことをすぐ聞いちゃうから『そう?そう?』と僕ものっかっていった。その結果が、パナマ帽を飛ばした『勝手にしやがれ』だし、『カサブランカ・ダンディ』のウイスキーの霧吹きだし、『OH!ギャル』の女性メークだった」
朝日新聞 2011年9月16日夕刊
「TOKIO」では、パラシュートを背負って歌った =ココロ・コーポレーション提供
「TOKIO」では、パラシュートを背負って歌った =ココロ・コーポレーション提供

加瀬さんはジュリーをこう語っています。

「大勢の人に見られることでエネルギーを出す男。『勝手にしやがれ』の時代もテレビに出れば出るほど、持ち味を出して輝いていった」
アエラ 2001年2月5日

「ジュリーwithザ・ワイルドワンズ」

 ジュリーは2010年、ワイルドワンズとともに、「ジュリーwithザ・ワイルドワンズ」(ジュリワン)としてアルバムを発売し、全国ツアーも行いました。

沢田研二さん(中央)と「ザ・ワイルドワンズ」。右から2人目は加瀬邦彦さん=2010年2月8日、東京・渋谷のNHK
沢田研二さん(中央)と「ザ・ワイルドワンズ」。右から2人目は加瀬邦彦さん=2010年2月8日、東京・渋谷のNHK
「加瀬さんに『オリコンで1位をとらせてやる』と誘われました(笑い)。加瀬さんでなければ、他の誰からのお誘いでもやってなかったでしょう」
「恩返しになるかどうかは分かりませんが、そんな気持ちですよね。僕はタイガース時代から、どこか冷めていました。与えられた仕事は一生懸命やるけど、自分から夢を追いかけるタイプじゃない。いろんな人にお世話になったおかげで、がんばれたのだと思っています。」
朝日新聞「be」 2010年3月13日
デパートの開店を記念したイベントで演奏するザ・タイガース=1967年11月
デパートの開店を記念したイベントで演奏するザ・タイガース=1967年11月

「新曲以外は全部加瀬さんの歌で」

 8月17日、東京国際フォーラム。バンドメンバーの急病で、ツアーの初日を約1カ月延期してのスタートとなりました。このツアーは11月まで続きますが、10月に、建て替えのため一時閉館となる渋谷公会堂の最後の3DAYSはジュリーが飾ります。

 初日のステージ。客電が落ち、流れてきた曲は、加瀬さんが歌う「僕たちほとんどいいんじゃない」。「ジュリワン」のアルバムに入っている曲でした。

 そして舞台にジュリーが登場。1曲目、加瀬さん作曲の「危険なふたり」のイントロに、1カ月待ったファンは総立ち&手拍子で応えます。演奏する「鉄人バンド」は、ギターの柴山和彦さん、同じく下山淳さん、キーボードの大山泰輝さん、ドラムのGRACEさんの4人。ジュリーが08年、還暦記念のドーム公演で6時間・80曲を披露した時もこの4人が演奏し続け、のちにジュリーが「鉄人バンド」と呼んだのでした。

初日の東京国際フォーラムで熱唱するジュリー
初日の東京国際フォーラムで熱唱するジュリー

 ライブでは、新しい4曲以外はすべて加瀬さんが手がけた曲でした。「あなたへの愛」「TOKIO」「追憶」「恋のバッド・チューニング」「気になるおまえ」……。

 ジュリーは、アンコール前のトークで、加瀬さんのことを口にしました。

「加瀬さんは、まだ死にたくなかったと思うんですけど。まあしょうがないわね、言うてもね」
「今回は新曲以外は全部加瀬さんの歌でやろうと決めまして。考えたら私が光り輝いていた頃の歌ばっかり。こんな頃もあったんだなあと、歌いながら、思ってたりなんかしたんですけど」
沢田研二輝く、あのメロディー 全国ツアー、加瀬邦彦の作品で追悼

 あの頃ジュリーを光り輝かせた加瀬さんの曲たち。見た目は変わっても(?)いまもスターの輝きを放つジュリー。その存在にファンは魅了され続け、いまも叫ぶのです、「ジュリー!」と。

 ジュリーのそばではいつもやさしい笑顔を見せていた印象の加瀬さん。きっと天国からもずっとジュリーを見守ってくれることでしょう。

加瀬邦彦さん=2005年11月8日、東京・六本木
加瀬邦彦さん=2005年11月8日、東京・六本木

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