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5人を救った5歳の娘 決断した父親「臓器提供が〝光〟になった」
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当時5歳だった一人娘をインフルエンザ脳症で亡くし、臓器提供を決断した家族がいます。提供された臓器は、5人を救いました。自身の経験を発信しつづける父親は、「臓器移植で5人のからだの中で娘が生きているということが、私たち家族にとっては光になっているということを知ってほしい」と語ります。
5歳の娘がインフルエンザ脳症となり、臓器提供を決めたのは岡山県津山市で市議会議員を務める三浦拓(ひらく)さん(47)です。
娘の名前は愛來(あいく)ちゃんで、愛称「くーちゃん」。大きな病気をしたことのない元気な子でしたが、数年前、インフルエンザにかかりました。
かかりつけのお医者さんを受診した時には、熱が下がりはじめ、聴診器をさわってはしゃぐような様子もありました。
しかし数時間後、熱が再び上がって40度に。救急車を呼ぶか迷いましたが、三浦さんは「インフルエンザで熱が40度になることがあるとも知っていましたし、救急現場が大変なことも頭をよぎりました」と振り返ります。
ただ、次に測ると、熱はおよそ42度とさらに上がりました。失禁もしていて「これはさすがにおかしい」と救急車を呼びました。
「私自身がくーちゃんから聞いた最後の言葉は、『マスク……』でした。もうろうとした意識の中で、私にインフルエンザを移したくないという一心だったんだと思います。最後の最後まで、世界一優しい子どもでした」
インフルエンザ脳症は年100~200人ほどの患者が報告されていて、急速に脳に炎症が起きる、後遺症が残ったり亡くなったりすることもある重篤な合併症です。
「もっと早く救急車を呼んでいたら、と後悔しています。お医者さんは『そうだったとしても難しかったかもしれない』と言いますが、僕は父親として、人生の一番の後悔としてこの思いは持ち続けると思います」
病院で脳のCT画像を撮ったあと、医師からは「意識は戻らないかもしれません。戻ったとしても、重い後遺症が残ると思います」「会わせたい人がいたら、今のうちに」と厳しい現状を告げられたそうです。
三浦さんも妻も突然のことに気持ちが追いつきませんでしたが、「どれだけお金がかかることになっても助けよう」と励まし合いました。
「助からなかったら、なんてことは考えないようにしていました」
しかし入院して1週間が経っても、意識は戻りませんでした。主治医からは「きわめて脳死に近い状態」「くーちゃんがお父さん、お母さんより先にこの世からいなくなってしまうのは、もう避けられません」と告げられました。
三浦さんは「お医者さんだって両親にそう言うのはつらいことですよね。真っ正面から伝えられた時、ふと『人のためになりたい』と言っていたくーちゃんのことと、臓器移植のことが頭をよぎりました」といいます。
日本臓器移植ネットワークから派遣されたスタッフから、どんな経過になるのか説明を受けました。妻と、くーちゃんの祖母ふたりが反対しました。
「僕は、僕の議員としての仕事を誰よりも応援してくれて、『世界中の人のためになりたい』って言っていたくーちゃんのためにも提供した方がいいと思っていました。でも、無理に考えを変えさせたくないので、絶対に説得はしませんでした」
「妻からは『くーちゃんはすごい子だってあなたも言ってた。世界で初めての奇跡が起こるかもしれないじゃない』と言われましたね。『そうあってほしい』と思う自分もいました」と吐露します。
しかしくーちゃんの全身状態は悪化していき、数日後、脳に新たな出血が見つかりました。その出血が広がる余地のないほど、脳が腫れている状態でした。
そして誰からともなく、「臓器提供しようか」と口にしたといいます。
「みんなが、元気だった頃のくーちゃんのことを考えながら、これでいいのかって考えていたんだと思います。お菓子をもらったら『じゃあ半分こね』と自ら分けたり、おばあちゃんたちに『ずっと元気でいてね』って手紙を書いたり。本当に優しい子でしたから」
日本の法律では、家族が臓器提供をすると決めた場合だけ、脳の働きがなくなった「脳死」も人の死と決めています。
生命維持に欠かせない脳幹の働きが失われているかどうかも含め、非常に厳格な脳死判定が行われますが、三浦さんはその1回目、2回目どちらにも立ち合いました。
「脳死判定をされたからといって、その前と後で、くーちゃんの見た目の様子は変わらないんですよ。医療の力だと頭では分かっているけれど、心臓も動いているし、からだもあったかいんです」
「つらかっただろう脳死判定を受けたくーちゃんに、『頑張ったね』と声をかけて、その場でひとりで泣き続けました。あれだけ涙を流したことはありません」
提供の前日は、手形や足形をとって、看護師さんの提案もあって泣きながら家族写真を撮りました。病院側がストレッチャーを用意してくれて、くーちゃんをはさんで親子3人で川の字になって寝ました。
摘出された心臓が病院から搬出されるときは、家族みんなで「がんばれ」と見送ったといいます。
くーちゃんの心臓は10歳未満の女の子に、肝臓は男の子に移植されました。ふたつの腎臓と小腸は10代の男女3人に移植されました。
5人のからだの中で、くーちゃんの命がつながっている――。その事実が、三浦さんたち家族が「前を向く」ことの大きな助けになっているそうです。
日本では、まだまだ臓器移植の件数が多くはありません。およそ1万7千人が移植を待って日本臓器移植ネットワーク(JOT)に登録していますが、受けられるのは数%にとどまり、移植がかなわずに亡くなる人もいます。
三浦さんは「子どもが死ぬのって本当に理不尽ですよね。でも残念ですが、これだけ医療が進んでいる日本でも、これをゼロにすることはできないんです」と話します。
「全力で助けようとしてもらったけど、助からなかったくーちゃんの命。それが臓器提供という選択肢によって、うちの家族の場合は『光』になりました」
一方で、そこまでくーちゃんのことを考え抜いて臓器提供を決断した三浦さんでも、「100%よかった」とは言い切れないといいます。
「『くーちゃんの意思を確認したわけじゃない』というところはずっと残っているからです。だからこそ、経験した者として、家族や大切な人が臓器移植についてどう思っているのか、事前に話しておいてほしいなと思うんです。病気や事故がいつ、誰の身に降りかかるかなんて、わからないことなので」
そんな思いも含めて、自身の体験を包み隠さず発信している三浦さん。
その発信で「インフルエンザ脳症」を知り、いち早く病院を受診して助かった子どもの親から連絡がきたり、移植を受けたレシピエントから「くーちゃんのおかげで移植のことを知ってもらえる。くーちゃんが救ったのは5人の命だけではないですよ」と感謝の言葉をかけられたりしたこともあるそうです。
「すごいことなんてしなくても、子どもは元気で生きてくれているだけでありがたいですよね。でもやっぱり、くーちゃんはすごいことをしているなって、今も思うんです」
「今後も、くーちゃんのしてきたすごいことを僕が発信して、『世界中の人のためになる』お手伝いを続けていきたいと思っています」
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