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「刑務所に戻りたかった」駅に放火した男性 20年後、94歳のいま
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山口県下関市で2006年1月、JR下関駅が放火され、焼失する事件がありました。記者(48)は当時入社3年目で下関支局に勤務。火をつけた男性は、以前から放火や放火未遂を繰り返し、事件8日前に刑務所を出たばかりでした。「刑務所に戻りたかった」と話していると取材で聞き、「なぜ?」と首をひねった記憶があります。いま、94歳。この10年、市井で穏やかな暮らしをしています。事件から20年を機に、ふたたび男性に会って聞いてみました。「なぜ刑務所に戻りたいと思わなくなったのですか」
事件で、現住建造物等放火の罪に問われたのは福田九右衛門さん(94)。当時は74歳でした。
福田さんは事件前年の05年12月30日に福岡刑務所を出たばかり。福岡県警や北九州市役所など八つの公的機関と接点がありながら、支援につながらず、事件前日に下関駅に降り立ちます。
06年9月24日の夕刊記事で、記者はこう書いています。
「(事件前日の)1月6日夕、福田被告はジャンパー姿で小さな袋を手に、小倉北区役所にある福祉事務所の保護2課の窓口に現れた。(中略)職員は話を聞いた後、市の『行旅困窮者旅費』の取り決めに従い、隣接する自治体の役所までの交通費として、JR西小倉駅から下関駅までの回数券1枚と、下関駅から下関市役所までのバス賃190円を手渡した。福田被告はこの回数券で電車に乗ったとみられ、6日午後7時ごろ下関駅に降り立った」
福田さんは「寒いし、おなかもすきよった。刑務所に戻りたかった」と、当時の動機を語ります。
京都で生まれ育った福田さんは21歳だった1953年、近所の家に火をつけ、京都地裁で懲役6年の判決を受けました。以来、下関駅放火事件を含めて計11回服役し、50年以上を刑務所や拘置所で過ごしています。いずれも放火や放火未遂です。
裁判では繰り返し軽度知的障害が指摘されていました。しかし、一度も障害者福祉とつながりませんでした。
記者は2024年、25年と2回、福田さんに会いに行きました。下関駅放火事件で収監されて以降は、静かに社会生活を送っていると聞き、その理由を知りたかったからです。
現在暮らしているのは北九州市です。
25年12月に会った時は、あいさつを交わした後、福田さんが声を再生してくれるぬいぐるみ「ごんた」を見せてくれました。そして、「お客さんや」と話しかけ、ごんたが返す声を記者に聞かせてくれました。
「手をたたくと歩くんよ」と言って渡してくれたので、記者が床にごんたを置いてやってみました。その様子を見て、うれしそうに「歩くやろ」「偉いんよ」。
聞けば、記者が訪れた前日、通っているデイサービスの仲間50人ほどと大分にバスハイクに行ったとのこと。大分市の高崎山自然動物園でサルを見た感想は「怖かったな」と一言。「疲れへん、疲れへん。みんなと一緒で楽しかった」
福田さんが暮らす施設は、認定NPO法人抱樸(北九州市)が運営しています。理事長の奥田知志さん(62)は、下関駅放火事件で収監されていた福田さんの身元引受人となり、16年6月の出所の際に出迎えました。
引き受けにあたり、奥田さんは「不安はあった」と言います。ただ、その奥田さんには、「もう、この人は火をつけない」と確信した日があります。
福田さんが出所して約半年後の17年3月、一緒に講演会に出るため、上京した時のこと。東京スカイツリーの土産物店で、福田さんは、仲間と遊ぶためのトランプを買い求めました。「旅先で思いやれる仲間がいる。もう一人じゃない。大丈夫だと確信しました」
24、25年と、記者は福田さんに同じ質問をしました。
「なぜ刑務所に戻りたいと思わなくなったのですか」
「もう火はつけない?」
福田さんはこう答えました。
「自分の部屋があるから」
「温かいごはんもあるから」
「友達もいるから」
「生活が安定しよるから」
そして、「もうつけん」「もう(つけることは)ないね」と話しました。
社会では日々、事件が起こっています。貧困、障害、孤立……。事件の背景に何があるのか、どんな社会構造があるのか。どうしたら「次」を防げるのか。じっくり見て、聞いて、考えないといけないーー。記者3年目に遭遇した下関駅放火事件は、そんなことを記者にたたき込ませた事件となりました。
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